【NYのベストセラーランキングを先取り!】ピューリッツァー賞作家が史実をもとに描く、名馬レキシントンと根深い人種差別にまつわる物語 ブックレビューfromNY<第79回>

サラブレッドの骨の標本と絵画

2005年に上梓した小説March(邦題:『マーチ家の父 もうひとつの若草物語』)で、2006年にピューリッツァー賞(フィクション部門)を受賞した小説家でありジャーナリストのジェラルディン・ブルックスは、この最新作Horseでは19世紀、アメリカで最速と言われた競走馬レキシントンにまつわる史実をベースに物語を展開している。2019年のワシントンDCとその周辺の町、19世紀南北戦争前後のアメリカ南部、そして1954~1956年のニューヨークという3つの舞台で、それぞれレキシントンにまつわる物語が進んでゆく。

2019年、ジョージタウン大学で美術を専攻する大学院生のセオが、近所に住む老女が夫の死後に不要になった家具やがらくたを道端に出しているのを見かねて手伝ったところから物語は始まる。老女はお礼代わりに、欲しいものがあれば持って行けと言ったので、セオは古いすすけた馬の絵を選んだ。アメリカ人の父とナイジェリア人の母という外交官夫妻の息子であるセオは、両親が異なる勤務地に転勤になった時、英国の全寮制私立学校に送られ、そこでポロの選手として活躍、以来、馬には興味があったのだ。しげしげと絵を眺めてみると、仔馬ながら素晴らしいサラブレッドであることがわかる。絵画自体は19世紀のものに見えた。スミソニアンが発行する雑誌にアルバイトで美術関連の記事を書いているセオは、編集長にこの絵を見せ、専門家の意見を聞くなどしてリサーチして記事を書きたいと申し出た。編集長はセオにスミソニアンの絵画鑑定の専門家を紹介した。

オーストラリア出身のジェスは子供の時から骨にしか興味がなかった。友達と一緒に遊ぶ代わりに、家の周りでネズミや鳥、トカゲの死体を探して、その骨をコレクションしていた。オーストラリアの大学で勉強し、その後、動物学で修士を取るため、奨学金でワシントンDCに留学した時、スミソニアン博物館でインターンを経験した。修士を取った後、オーストラリアに戻るつもりが、スミソニアンから頼まれたいくつかの短期の仕事をこなしているうちに、新設された骨の標本を作る研究所の責任者というポストに就くことになった。

ある日、ジェスは英国のロイヤル・ベタナリー大学から来た研究者キャスリン・モーガンの要請で、スミソニアン博物館の倉庫の奥深くにしまわれていた「馬」というラベルのついた19世紀のサラブレッドの骨の標本を探し出した。キャスリンは、この馬はアメリカの競馬史上最も偉大な競走馬レキシントンだと言った。モーガンは、競走馬が怪我をすることなくより速く走るための骨格について研究していて、過去の偉大な競走馬の骨の計測を行っているのだった。

セオは編集長の紹介でスミソニアンの絵画修復の専門家に馬の絵を見せていた。その時たまたま立ち寄ったジェスがこの絵の馬を見て、自分が関わっている骨の主であるレキシントンではないかと言った。絵をクリーニングすると、うっすらとトーマス・J・スコットの署名が出てきた。ジェスはスミソニアンの倉庫に同じ画家がレキシントンを描いた別の絵があるので、その絵と比べてみようとセオに言った。スミソニアン所蔵のレキシントンの絵は、1980年に遺贈された画商マーサ・ジャクソンのアート・コレクションのひとつだった。現代美術ばかりのコレクションの中に、なぜ19世紀の馬の絵画が1点だけ含まれているのか謎だったが、これがきっかけで、ジェスとセオは次第に惹かれ合うようになっていった。

仔馬と黒人少年奴隷、画家

ケンタッキー州レキシントン町の元奴隷だったハリー・ルイスは、稼いだ金で自分を買い取って自由市民となり、ドクター・ワーフィールドに雇われて馬の調教師として働いていた。以前別の雇い主のもとで調教師をしていた時、彼はその家の奴隷と結婚して一人息子のジャレットが生まれた。しかし、雇い主が死んだ時、自由市民のハリーは新しい雇い主を探したが、奴隷の妻と子供はトッド家に売却されてしまった。ハリーは毎週末、妻と子供に会いにトッド家に通ったが、ジャレットが5歳の時、妻は死んだ。ハリーには息子をトッド家から買い取るだけの資金がなかったので、雇い主のドクター・ワーフィールドに頼み、ジャレットを買い取ってもらった。そしてワーフィールドの奴隷となったジャレットは、父と一緒に暮らし、父の仕事を手伝うようになった。ジャレットはおとなしい子供で、黙って馬と過ごしていることが多かった。

1850年当時、ボストンという名の気性の荒い暴れ馬がいた。足の速さは抜群のサラブレッドだったので、ハリーは自分が世話している雌馬アリスと掛け合わせれば、良い競走馬が誕生するだろうと考え、ワーフィールドに相談した。ボストンの気性の荒さに恐れをなし、うまく交尾できるか危ぶんだワーフィールドだったが、ハリーに任せることにした。そして、ハリーは首尾よく交尾を成功させ、仔馬が生まれてダーリーと名付けられた(後にレキシントンと改名)。ハリーと共に仔馬誕生に立ち会ったジャレットは、以後、ダーリーの世話の一切をハリーから任された。

アメリカ北部出身の駆け出しの画家トーマス・J・スコットは、ワーフィールドが所有する馬の絵を描くためにレキシントン町に来た。ジャレットはワーフィールドから、絵を描くための準備を命じられた。画家は、ジャレットの馬の扱いの巧みさ、画材の準備の手際の良さ、そして何より、ジャレットが馬と心を通わせていることに感銘を受けた。スコットは依頼されたサラブレッドの絵を描いた後、仔馬ダーリーの絵を描き、その絵をジャレットにお礼として渡した。 

ワーフィールドは名調教師として名高いハリーの給料を低く抑える代わりに、仔馬ダーリーをハリーの所有にした……といっても、当時、黒人が所有する馬はレースに出場できなかったので、名義上はワーフィールドを馬主とし、出走費用などの一部をワーフィールドが肩代わりして賞金は折半するという約束をハリーと交わした。1853年、ダーリーはデビューしたフェニックス・ステークスで圧勝した。その夜、ワーフィールド家で行われた勝利を祝うディナーで、ゲストのニューオリンズから来たテンブルックは、レキシントン町に住むウィラ・ヴァイリーと共同でダーリーを買い取りたいと申し出た。ワーフィールドは、自分は名義上の馬主にすぎず、本当はハリーの馬だからと断ったが、そもそも黒人所有の馬はレースに出場できない規則だから、もし馬がハリーの持ち物だと言い張れば、今回の勝利そのものも無効になると脅し、強引に馬を買い取った。同時にジャレットもテンブルックに買い取られた。テンブルックは、この馬の名前を出身の町の名にちなんで、レキシントンと変えた。

テンブルックの奴隷となったジャレットは、故郷と父親から引き離され、全国のレースに出場するレキシントンとともに、アメリカ中を巡業することとなった。そしてレキシントンの絶頂期と思えた1855年、テンブルックは突然レキシントンを種馬としてケンタッキー州に住む英国人ロバート・アレクサンダーに売却し、ジャレットも一緒に売られてしまった。

1861年、アメリカは南北戦争に突入した。この戦争の混乱は、アレクサンダーの競走馬ビジネス、そしてジャレットやレキシントンにさまざまな苦難を与えた。馬主であるワーフィールド、テンブルック、アレクサンダーに依頼され、節目ごとにレキシントンの絵を描いてきた画家トーマス・J・スコットは、奴隷を解放すべきという熱い思いから北軍に志願し、悲惨な戦いの真っただ中に投げ込まれた。

1954~1956年、ニューヨーク

マーサ・ジャクソンは自身の絵を描く才能には早々と見切りをつけたが、絵を見る目、特に現代美術を見る目には自信があった。バッファローの大実業家だった父が残した財産があったので、マンハッタンに現代美術専門のギャラリーを開き、積極的に作品を集めた。マーサの家に週3回清掃に来るアイルランド移民のアニーは弟を大学に行かせるために資金が必要で、家に代々伝わる絵画を売りたいとマーサに相談した時、マーサは内心では大した絵ではないだろうと思っていたが、とりあえず見てみるとアニーに言った。ところがアニーが持ってきた絵を見て、マーサは釘付けになった。レキシントンを描いた絵だった。マーサの母は乗馬のチャンピオンで、結婚後も乗馬を続けていた。父が母のために買った高額のサラブレッドは母の自慢だった。その馬はレキシントンの血を引いていた。母は愛馬からの落馬で亡くなり、マーサ自身は、その時から乗馬をしなくなっていた。古い絵画の中のレキシントンは、母と母の愛馬を思い出させ、マーサはセンチメンタルな気持ちになった。当時はまだトーマス・J・スコットの絵の価値は評価されていなかったが、マーサはアニーへの援助の意味も込めて法外な値段でこの絵を買い取った。彼女の死後、この絵は他のアート・コレクションとともに、スミソニアンに遺贈されたのだった。

史実とフィクション

ジェラルディン・ブルックスは後書きで次のように述べている。「この小説は想像の産物だが、レキシントンの競馬における輝かしい経歴や、種馬としての年月に関しての詳細な記述のほとんどは事実だ」[2]。 物語に登場するレキシントンの馬主たち、ドクター・ワーフィールド、テンブルック、アレクサンダーをはじめ、この馬を取り巻く多くの人たちは実在した人物である。ジャレットの父ハリー・ルイスも実在の人物だが、ジャレットに関しては、トーマス・J・スコットの最後の作品と言われる絵画(現在は行方がわからなくなっている)に関する1870年の雑誌記事の中で、「レキシントンの手綱を取っている黒人馬丁ジャレット」という記述があることから、著者はジャレットの人物像を膨らませていったと語っている[3]。小説の中で、南北戦争の後、ジャレットはカナダを拠点にアメリカとカナダを行き来しながら競走馬ビジネスで成功したことになっている。作者はアレクサンダーの元奴隷で、馬の名調教師だった実在した二人の黒人の南北戦争後のサクセスストーリーを参考にしたと後書きで述べている。

画商マーサ・ジャクソンも実在した人物で彼女から遺贈されたトーマス・J・スコットが描いたレキシントンの絵は、実際にスミソニアン・アメリカ美術館に所蔵されている。

レキシントンの骨の標本については、長い間スミソニアンの倉庫に忘れ去られていたことは事実だが、2010年からはケンタッキー州の国際馬の博物館(International Museum of the Horse)に常設展示されている。

一方、2019年のジェスとセオは架空の人物である。レキシントンの骨の標本と絵画が縁で惹かれ合うようになった二人の関係は、悲劇的な結末を遂げることになる。2019年当時、ワシントンD.C.やその他の州では、白人警官によって武器を持たない黒人が射殺される事件が相次いで起こり、Black Lives Matter運動台頭の引き金となったが、小説では、黒人のセオが同様の事件に巻き込まれてしまう筋立てになっている。日本人にとっては唐突な展開に思えるが、日常的に銃撃によって多くの人が亡くなっているアメリカでは起こりうることなのかもしれない。日本でも安倍晋三・元首相が凶弾に倒れるという前代未聞の事件が起きた。あっけなく人の命を奪ってしまう銃の恐ろしさを改めて感じる。

「これは単に競走馬(racehorse)についての小説ではなく、人種(race)についての小説でもあるべきだ、と次第に明白に思えてきた」[4]と著者は後書きで語っている。これは、レキシントンというアメリカ競馬史上輝かしい記録を残した名馬(最速のサラブレッドだっただけでなく、種馬として長寿を全うし、多くの名馬の誕生に貢献した)に関する小説である、と同時に、レキシントンの活躍は、裏でそれを支えた低賃金で働く黒人調教師や黒人奴隷の血と汗の結晶であることも語っている。そして、現代においてもアメリカに存在し続ける人種差別の根の深さを考えさせる作品となっている。

著者について[5][6]

ジェラルディン・ブルックスは、オーストラリア出身の小説家、ジャーナリスト。シドニー大学で学び、米国コロンビア大学ジャーナリズム大学院で修士号取得。その後、ウォールストリート・ジャーナル紙の記者として、中東、アフリカ、バルカン諸国に関する報道を行った。1990年、夫トニー・ホロウィッツとともに、湾岸戦争の報道に関して、海外特派員クラブ賞(Overseas Press Club Award)を受賞した。

2006年、前年に上梓した小説March で、ピューリッツァー賞(フィクション部門)を受賞した。その他、次のような作品を出版している。
小説:Year of Wonders(2001)、 People of the Book(2008)、 Caleb‘s Crossing(2011)、 The Secret Cloud(2015)。
ノンフィクション:Nine Parts of Desire (1994)、Foreign Correspondence(1997)

[2]“This novel is a work of the imagination, but most of the details regarding Lexington’s brilliant racing career and years as a stud sire are true”. p.391
[3]P.392-393.
[4]“…it became clear to me that this novel could not merely be about a racehorse; it would also need to be about race.”. p.392
[5]Geraldine Brooks
[6]本カバーのそでの著者のプロフィール

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

初出:P+D MAGAZINE(2022/07/12)

手塚治虫『ママー探偵物語』/“戦時下のこども”としての手塚治虫の姿を滑り込ませた習作
# BOOK LOVER*第7回* 薄井シンシア