【NYのベストセラーランキングを先取り!】否応なく「家庭内暴力」「性的マイノリティ」などの社会的弱者について考えさせられる小説 ブックレビューfromNY<第84回>

養蜂と家庭内暴力

この小説は、深刻な家庭問題を抱えた過去を捨て、ニューハンプシャー州の小さな町アダムズで新しい生活を始めた二つの家族の物語である。

アダムズができた頃から代々リンゴ農園を営み、当主が趣味で養蜂業を営んでいた家に生まれ育ったオリヴィア・マカフィーは、ワシントンDCの国立動物園で働きながら、大学院で動物学の勉強をしていた。その頃に、ジョンズ・ホプキンス大学で心臓手術の研修医をしていたブレイデン・フィールズと知り合い、3か月後に結婚した。研修期間が終わった後、ブレイデンはボストンのマサチューセッツ総合病院の心臓外科医となった。ボストンに移り住んだオリヴィアは、外科医の妻として何不自由のない生活を送り、一人息子のアシャーも生まれた。しかし、結婚前には気づかなかった夫ブレイデンの恐ろしい側面が次第に明らかになってきた。普段は優しく、ユーモアのある夫だったが、いったん機嫌を損ねると、抑制が利かないほど暴力的になり、オリヴィアは傷やあざを隠すため、夏でも長袖の服を着なければならなかった。それでも、冷静になると優しい夫をいつも許してしまっていた。夫が息子アシャーに暴力をふるうことは決してなかったので、オリヴィアは自分さえ我慢すればいいと思っていた。

結婚後1年ほどして、実家の父が突然亡くなった。農園はともかく、養蜂については蜂アレルギーの母の手には負えなかった。兄ジョーダンは弁護士として忙しく、とても養蜂を手伝える状況ではなかった。そこで、毎週末ボストンからアダムズまで、オリヴィアは幼い息子アシャーを連れて車で往復し、蜂の面倒を見る生活を5年間続けた。

12年前のある日、暴力をふるうブレイデンに対し、母を救おうとして拳をふるう6歳のアシャーがブレイデンと同じ目をしていると感じたオリヴィアは、アシャーをブレイデンのようにしてはならないと決意し、翌日、息子を連れて家を出た。弁護士の兄が紹介した腕利きの離婚弁護士の尽力で、ブレイデンが決してオリヴィアにもアシャーにも近づかないという条件をつけてオリヴィアは離婚して実家に戻り、養蜂業を本職にしてアシャーを育てた。

息子は娘になり、恋をして

シアトルに住んでいた7年前までは、リリーはリアムという名の男の子だった。男性として生まれたが、物心つく頃から自分は女の子だと思うようになり、隠れて母の口紅をつけたりして遊んだ。そんな息子を男らしく育てなければと躍起になった父と、子供の意思を尊重したいと思う母は、しばしば息子の育て方をめぐって喧嘩をした。結局、父親の言い分が通ってリアムは私立の全寮制男子校に入学させられた。しかし、男子校に入っても、長髪をポニーテールにしたリアムは他の生徒と全くなじめず、いじめの対象となった。そしてある日、校長から突然呼び出された父親は、リアムを連れて帰るよう申し渡された。目の周りに黒いあざを作り、他の生徒から暴行を受けたことは明白だったが、休学処分を受けたのは暴行した生徒ではなく、暴行されたリアムのほうだった。サーモンピンクのマニキュアをしたことが風紀を乱したという理由で、悪いのはリアムとされ、謝ったのは校長ではなく父親だった。家に戻ると、父はリアムを押さえつけて無理やり髪の毛を全部切ると、泣きじゃくるリアムを一人家に残して飲みに出かけた。仕事から戻ったパーク・レンジャーの母は、髪の毛を切られて泣いているリアムを見て、息子を連れて家を出る決心をした。

シアトルからカリフォルニアを経由して、ニューハンプシャー州アダムズに到着するまでの間に、リアムはリリーと名前を変え、トランスジェンダーの女の子になった。パーク・レンジャーだった母は、アダムズ町で、フォレスト・レンジャーの仕事を見つけた。こうして母と娘は新しい生活をスタートした。

2018年9月、アシャーは転校生のリリーに一目ぼれした。高校のホッケー・チームのキャプテンとして活躍していたアシャーは人気者だったが、その時までガールフレンドはいなかった。リリーも最初は戸惑ったが、次第にアシャーに惹かれ、二人は愛し合うようになった。

容疑者となったアシャーと母の疑念

実はこの小説は、2018年12月7日、リリーが亡くなった日から始まる。最初の章は、12月7日のアシャーの母オリヴィアの独白、次の章は同じ日のリリーの独白で、その後は、オリヴィアの章とリリーの章が交互に登場する。オリヴィアの章は12月7日に始まり、章が進むにつれ、時間もどんどん先に進んでゆく。リリーの章は、逆にどんどん後戻りしていき、その時々のリリーの心の動き、苦しみ、悩みが語られる。リリーの最後の章は、8月、リリーと母のエヴァがアダムズ町の新しく住む家で、引っ越し荷物の到着を待ちながら、これから心機一転、新しい生活を始めようとしているところで終わっている。

12月7日、アシャーが出かけた後、オリヴィアは蜂の冬ごもりの準備で忙しくしていた。夕食の時間になっても戻ってこない、連絡もしてこない息子に腹を立てていたところにアシャーから電話が入り、彼が警察にいること、リリーが死んだことを知った。その時点では、リリーの死因はまだ特定されておらず、リリーの家を訪ねたアシャーが倒れているリリーを発見したという話だった。アシャーは警察での形式的な事情聴取の後、迎えに来たオリヴィアと自宅に戻った。アシャーによれば、リリーの家を訪れた時、彼女はすでに血だらけで倒れており、リリーの突然の死にアシャーはショックを受けた。

ところが、数日後、突然アシャーはリリー殺人容疑で逮捕された。リリーが頭部から大量に出血していたこと、体中にあざがあったこと、彼女の部屋がめちゃくちゃになっていたことなどから殺人と断定されたというのだ。状況証拠ばかりだったが、部屋のあちこちからアシャーの指紋が検出されたことなどの根拠に、アシャーが容疑者となった。オリヴィアはすぐに弁護士の兄ジョーダンに連絡した。ジョーダンはすでに一線を退いているが、かつては腕利きの法廷弁護士だった。甥の一大事にすぐに駆け付け、アシャーの弁護を引き受けた。

ここからのオリヴィアの章は、法廷での攻防が語られる。検死によってリリーがトランスジェンダーであるとわかると、検察は、アシャーがその事実を知って逆上したのだと主張した。アシャーは、リリーに暴力をふるっていないし、当日はリリーの部屋にも行っていないと証言したが、オリヴィアは、息子の無罪を信じたい気持ちの一方で、「荒らされた部屋」「体中のあざ」という言葉を聞くたびに、夫でありアシャーの父であるブレイデンを思い出し、「もしや息子も?」という気持ちが心をよぎるのだった。

小説のタイトルMad Honeyとは、シャクナゲ類の花からとれる毒性がある蜂蜜を意味する。食べれば甘くておいしいが、しばらくすると、めまい、吐き気、けいれん、心疾患などを引き起こし、死に至ることもある。オリヴィアにとってのブレイデンはMad Honeyだった。そして息子のアシャーがMad Honeyではないことを祈るのだった。

⚫︎ そもそもアシャーは、リリーがトランスジェンダーだと知っていたのか?
⚫︎ 裁判の判決はどうなった?
⚫︎ リリーの死の真相とは?

オリヴィアの章だけを読み進めれば、これは法廷小説である。他方、リリーの章は、性転換するまでの葛藤、親の悩み、苦しみや子供への愛情、そしてトランスジェンダーであることを愛する人に知らせるべきか否かなど、重いテーマが綴られる。まったく異なる二つの章が縦糸と横糸のように奥深い小説を織りなす。主人公だけでなく、アシャーとリリーの親友マヤの両親はレスビアン・カップル、アダムズ町の楽器店の店主エリザベスはトランスジェンダー女性で、男性だった時はエドガーという名で元妻との間に息子もいる、というように、物語全体が性の多様性を意識させる舞台設定になっている。否応なく、家庭内暴力、性的マイノリティなど、社会的弱者について考えさせられる作品である。そして、リリーは死んでしまうけれど、読後、救われた気持ちになる小説でもある。

著者について[2]

ジョディ・ピコー[3]は1966年、ニューヨーク州ロングアイランド生まれの小説家。1987年、プリンストン大学を卒業。ハーバード大学大学院で教育学の修士号を取得した。1992年に最初の小説Songs of the Humpback Whaleを出版して以来、28作品を上梓し、世界で4千万部を売り上げている。このコラムで2016年に紹介したSmall Great Things を含め13作品がニューヨークタイムズ・ベストセラーリスト1位で初登場している(Mad Honeyは3位で初登場)。 また、5作品が映像化、現在、Wish You Were Here(2021)がNetflixによって映画化が進行中である。

ジェニファー・フィニィ・ボイラン[4]は1958年ペンシルベニア州生まれの作家、大学教授(バーナード・カレッジ)であり性的マイノリティの人権擁護の活動家。ウェズリアン大学卒、ジョンズ・ホプキンス大学大学院で修士号を取得。18作品を出版していて、そのうち14が実名で、4作品がペンネームで出版されている。自身がトランスジェンダー女性であり、(トランスジェンダーになる前に結婚した)妻と2人の子供がいる。

[2]“About the authors”, p.453
[3]Jodi Picoult – Wikipedia
[4]Jennifer Finney Boylan – Wikipedia

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

初出:P+D MAGAZINE(2022/12/21)

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