ニホンゴ「再定義」 第15回「ラノベ」

ニホンゴ「再定義」第15回


 古典部シリーズをラノベにカテゴリー入りさせる人も居るだろうけど、私は違う。違いを感じる。別にどちらが良いとか高級だとか、そんなつまらない話ではない。しかしその「違い」の根底には何があるのか?

 ひたすら考えに考えて考え抜いた結果思い当たったのは、「古典部シリーズは、設定が相似する強力なラノベ作品と異なり、中二病的な要素との一体感が希薄である」ということだ。

 そう。そもそもラノベとは…とまでは言わないが、私にとって「読みながら文芸ジャンルとしての存在価値を大いに感じる」ラノベというのは、そういえば、中二病的な観点や価値観が世界に対して挑戦を仕掛ける系の作品なのだ。とはいえ「ラノベ=中二病文芸」と括ってしまうのはたぶん雑で乱暴すぎるが、しかしもしもラノベが文芸領域を喰い尽くす世界線があるとしたら、そこに現出するのが中二病の王国であることは間違いない。そういうものだ。学園ドラマだろうがSFだろうがミステリだろうが、設定は自由である。言い換えれば、設定よりも中二病的価値観の「輝かせ方」こそが重要なのだ。

 そう考えてみると、たとえば田中芳樹氏の『銀河英雄伝説』(いわゆる『銀英伝』)は極めて興味深い文芸作品だ。もともとSFなのか戦記なのか三国志的な歴史絵巻なのか、読者の間でもいろいろ言われてきたのだけど、たぶん実際、どれでもあると同時にどれでもない。

 銀英伝は、腐敗した銀河帝国の破壊と再生、および銀河帝国に対峙する自由惑星同盟をめぐる大河ドラマ的ストーリーである。重要なのはこの「銀河帝国」という存在が、歴史のどこかで中二病的な天才独裁者がつくりあげた、中二病原理に深く立脚した美学帝国であり、自由惑星同盟が(その欠点も含めて)いわゆる欧米型の民主主義的システム社会そのまんま、というあたりだ。要するに、ラノベ化されきってしまった現実に対し教養文芸(的なもの)に何ができるのか、の観念的な演習が展開されているように見えなくもない。

 かくして銀英伝は、既存の文芸区分をメタ的に超越した何かの領域に達してしまった、劇的にヤバいコンテンツなのだ……といえるかもしれない。私がアニメ版関係者であるゆえの身びいきバイアスを差し引いても、これはなかなか興味深い観点という気がする(笑)。

(第16回は5月31日公開予定です)


マライ・メントライン
翻訳者・通訳者・エッセイスト。ドイツ最北部の町キール出身。2度の留学を経て、2008年より日本在住。ドイツ放送局のプロデューサーも務めながらウェブでも情報発信と多方面に活躍。著書に『ドイツ語エッセイ 笑うときにも真面目なんです』。

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