ニホンゴ「再定義」 第16回「隠居」
ふと考えてみた。「死ぬまで労働」ライフコースにおける最大の問題は何か? それは「どこかで体を壊し、労働できない状態になり、医療費が底をつき、誰も助けてくれない」という究極の生殺し状態に陥ることだろう。だからこそ先述の人生たそがれ研修でも、健康維持、つまりいわゆる「健康寿命をいかに延ばすか」についてくどいほど強調しているのだ、と思われている。私も5分ほど前まではそう思っていた。
しかし実は、未来において確実に発生するであろう、ビジネスモデルや産業コンセプトの変化に的確に追随しながらちゃんと仕事できるのかどうか、という点も同じように、というかむしろ重要な気がしてきた。「さあ、体に気をつけながら死ぬまで働きましょう!」といわれたとき、人は基本的にいま現在従事している労働内容(もしくはそれがちょっと進んだもの)が最後まで続くと思い込みがちだが、おそらく実は全然そうでもない。実は自らの知性の全体アップデートを今後(それも数回にわたって)図らねばならないのだが、おそらくその覚悟はない。
最近の例を見れば、たとえば音楽産業の只中でCD(コンパクトディスク)をハンドリングする技能しか保持していない者は、たとえ達人レベルであってもどう身を振ればいいのか! という話があったはずだ。もちろん未来予測トレンドを売りにするコンサル・アドバイザー業界はこの問題でも積極的な煽り展開を見せており、「食いっぱぐれることは絶対無い超手堅い職業と思われていた馬車の御者たちは、モータリゼーションの進歩とともに一気に絶滅したのです!」的な例示により、労働市場全体の常識感覚について警鐘を鳴らしている。というか、自分の本や商材を買わせたがっている。そして、ここで本当の問題は何か、といえば、
どう頑張っても、実際には誰もが社会/産業/技術の変革に追随できるわけではない
という点だ。すでに何度か認識アップデートを「してきた」高齢者層の中には「もうこれ以上はいいっしょ」と匙を投げる者がいてもおかしくないし、まあ、実際に私の周りにそういう人は実在する。最近、年配の職場同僚が送信メールに添付ファイルをつける作業で「もう無理。そんなのもう覚えたくないわ!」とボヤいたのが印象的だった。だからこそというべきか、「アップデート!」「変革!」「イノベーション!」という旗印を振りかざしたがるコンサル・アドバイザーをはじめとする産業言論界が、おそらくは意図的にこの面についてぼかしているのが印象的だ。なぜなら彼らは、ちょっとした心がけによって誰でも楽園に到達できるかのような幻想を売ることが商売だからである。
実際には今後、社会/産業の変化に的確にはついていけない大きな高齢労働者層がこれまで以上に拡大する。そこで展開されるのが単なる技能的な切り捨てなのか、あるいは先端状況への理解レベルに応じた層化(ランク化)なのか、その詳細はよくわからない。しかしいずれにせよ「ついていけない」層がいま以上に多数派化することは確実で、そこで攻撃的な開き直りを見せる頻度が高くなるのではないか、と考えられる。