ニホンゴ「再定義」 第4回「呪う」

ニホンゴ「再定義」第4回


 この「役に立つかどうか」という観点は「ホントかウソか」を問う路線よりも絶対的かつ攻撃的であり、ここでアウト判定を下されてしまうと、政治体制がどう変わろうと100年は浮上の目は無いのが率直なところだ。良くも悪くもそれがドイツ社会というもの。

 しかしヒンターカイフェック事件から100余年、石頭国家ドイツでもそろそろそのへんの価値観の再考が必要だろう、と個人的には思う。

 というのも日本の、特に近来成熟を見せている「都市伝説」系の上質なオカルト話には、単に人を怖がらせるだけでない知的要素がいろいろと見え隠れしており、それはネット時代の「現実」を整理・再構築するのにも有効な思考触媒だったりして、他国事情とはいえそういった流れに鈍感なままで居続けるのもちょっとどうかと思うからだ。

 たとえば、ネットで人間は「自分の見たい現実」だけを見て「主観世界を共有できる」仲間とのみ徒党を組み、それ以外の不快要素を拒絶しがちだ、とよく言われる。実はこれ、古今東西いろんな宗教や霊能者(欧米でいえば「夢日記」で有名な科学思想家スウェーデンボリ等)が述べている「地獄というのは、傍から見ると地獄なんだけど、中の人たちにとっては意外と居心地いいんです。なぜなら魂のレベルが同じ者の集まりだから。でもって、その階層構造で大霊界は成立しているんです」的な話に近い。というか、ネット世界はいわゆる大霊界的コンセプトの具現化ですねと言い換えた方が早いかもしれない。

 この「べつにスピリチュアルにかぶれているわけでもないのに現実環境が妙にそれ系なモノになってしまっている」的な現象は(あまりうかつなことは言えないが)たいへん興味深い。またそれを踏まえてさらに興味深いのは、日本の実話怪談・都市伝説系の語り手のけっこう多くが、そのへんの道理をわきまえたストーリーテリングを展開しているように見受けられる点だ。おそらく私の知人が「昔の怪談に比べ、今のは陳腐に感じない」という旨の発言をしていた最大の理由はそこだろう。優れた現代的怪談の語り手たちは、ファンタジーを語る能力以上に、人間のリアル精神生活を取り巻く多種多様なネガティブ因果関係を集約・再構築する手際が際立っているように感じられる。

 結果的に、そこで最も印象深く切実なテーマとして浮上するのは「満たされない者の怨念」であり「道理の破壊」の願望であり、そしてその実行手段としての「呪い」である。

 呪い系の怪談が、いまどき、単なる絵空事でもファンタジーでもなくむしろ現実の似姿なのは、たとえば「リアリティショー番組の出演者が理不尽なネットリンチに遭って自死に追い込まれる」事例を見ればよくわかるだろう。実際あれは「リアル呪殺」以外の何物でもない。まともな道理に沿わぬ理不尽さがあればこその「呪」といえる。

 そう、我々が日常的に浸っているのは、どちらかといえば神に祝福されていない、地下2階レベルあたりの霊的世界なのだ。だからこそ怪談の語り手の神経や言霊力も、否応なく研ぎ澄まされずに居られない。それによって物語の質が担保されてしまうというのも素直には喜べない話だが、納得感は深い。

 多くの人はSNSを怨念熟成のベースとみているが、実際には、呪詛技法を含めてそのネット的ノウハウの確立は「2ちゃんねる」を軸に進んだのではないか、というのが個人的な印象だ。2ちゃんねるの立役者である西村ひろゆき氏については毀誉褒貶入り乱れて評価が難しいが、本人にとって意図的だったかどうかにかかわらず「呪いの実用フォーマット化の成功」をもたらしたのは確かだ。それは文化史的にみて何気に画期的な事績であり、また毀誉褒貶に一つの材料を添えることになるだろう。

 オールドメディアの衰退が激しいこともあり、日本はある意味ネット呪怨の先進国だ。その点ドイツは遅れている。旧型のメディアや言論人に対する支持もまだ強い。しかし新たな動きは存在する。ポスト・ネオナチ的な右翼勢力、たとえばAfD(ドイツのための選択肢)は知的に研ぎ澄まされた社会不満層が活動の主力であり、実際彼らは、オールドメディアを嫌悪するネット民でもある。

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