ニホンゴ「再定義」 第8回「サボる」

ニホンゴ「再定義」第8回


 そんなドイツ人の私が日本に初めて来た1999年からしばらく、目にする耳にする「サボり」というのはだいたいにして単なる「怠け(faulenzen)」であった。体育の授業で「ほらそこ! サボっちゃダメだぞ~! 先生ちゃんと見てるからな~! 腹筋あと8回!」と小言っぽく言われる、あの路線である。

 その空気感が変化してきたのは2000年代後半ごろだろうか。おそらく就職氷河期を生んだ「企業の極端な人員採用減」のツケが企業内部にブーメラン的にはね返ってきた時期と一致するように感じるのだが、組織の特定箇所(というか人)に過重労働が発生し、バカ正直に働き続けたら死んでしまう! 少なくとも体を壊すよね! という状況が発生してきた。極端な言い方をすれば「うまくサボれるかどうか」が死活問題という話である。このピンチ、もしサボらず正論で構造的なマズさを訴えても組織側は「大人の事情」を盾に逃げるだけだし、また組織の中でそういうワリを喰うのは少数派であるため、えてして「同情はされるけど誰も身代わりになってくれない」という悪夢的な立場に置かれてしまう。そう、このようにして、古代中国の春秋戦国時代末期、「サバイバル」という言葉は「サボる」のエクストリーム変化形として発生したと伝えられる…と『魁!男塾』なら堂々と書くだろう。素敵だ。閑話休題。

 さらに、「働き方改革」的な主張が叫ばれはじめた2010年代後半からは、またひと味違うニュアンスが「サボり」に加わる。日本の労働者は賃金の割にサービスしすぎではないか? 勝手に自発的に搾取されてるんじゃないの? という世論(特にネット世論)の広がりとともに、「自分の賃金に見合った自発的な労務調整」としてのサボりが台頭してきた。ここにきて、「サボる」ことの意味と意義がその語源たる「sabotage」に回帰した感があるのが興味深いが、そのへんを安直に勘違いした一派が、たとえば飲食店バイトで意図的に露悪的なふるまいを展開してその写真や動画を世界に見せつけ、逆に世界からバカスカ叩かれまくって社会的生命を失う「バカッター」などと呼ばれる層であったことは、改めて言うまでも無いだろう。

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