こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』スピンオフ小説「化け猫、かく語りき」

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 そういえば、「湯屋さがみ」では少し前から、タオルや湯上がりコーヒー牛乳に加え、猫用のおやつを売り始めた。一応これも、寿郎が始めた新たな施策のひとつらしい。寿郎の経営手腕には懐疑的な立場だが、これについては断固支持したい。なんでも寿郎本人が無類の猫好きだとかで、最近特にわたしへのラブコールがすごいのだ。隙あらばあの謎の板を使ってわたしの姿を写真に収めようとしてきたり、わたしの体を抱き抱えて、あごを擦りつけてこようとする(ひげり跡がじょりじょりして痛いので、やめて欲しい)。

 それだけならまだしも、近頃はわたしのことを子どもの頃に飼っていた猫の生まれ変わりだ、とか何とか吹聴しているらしい。背中の模様が似ているとか、目の形が似ているというのが根拠らしいが、そんなわけはない。似ている猫など全国に何万匹といる。なんというか、「生まれ変わっても人間になりたい」というような戯言を恥ずかしげもなく口にする生き物が、いかにも考えつきそうなことである。

 しかし、そう考えると皮肉なものだ。その猫とやらは、とっくの昔に生まれ変わって、次の人生(この場合、猫生と言った方が正確だろうか)を謳歌おうかしているに違いない。寿郎のことなど、すっかり忘れて。猫とはそういう生き物なのだ。飼っていた猫が生まれ変わってもまた猫に生まれて、自分の前に現れてくれる、などと考えるのは人間のおごりである。

『いやいや。全部の猫がそうだと考えるのは、逆に君の驕りなんじゃないかな』

 ついこの間、わたしに対してそんな講釈を垂れる犬っころと出会った。まあ、犬のお前はそうだろうね、としか言いようがない。何故ならそいつはかつての飼い主が心配だとかで、死んでからもああだこうだと理由をつけては、ありとあらゆる方法でその飼い主にまとわりついているのだ。これでは立派なストーカーではないか。犬だから、死んでいるから見逃されているだけだ。人間達から守護霊だの守り神だのと妙な名前をつけられてありがたがられる前に、さっさとそこから退散するべきである。そんな言葉を真に受けて行き場を失ってしまった奴らを、この九十余年の間に山ほど目にしているのだ。

 早めに見切りをつけて、自分の犬生を生きた方がいいぞ、とアドバイスもしてやったのだが、あいつの耳に届いていたかはわからない。人間達の、たった一回の餌やりにも恩義を感じるような不可解な生き物の考えることだ。どんな生き物も、永遠にそこにとどまれはしないのに。あいつもそろそろ、次の場所へ行けるといいのだが。



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『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ


こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。

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