こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』スピンオフ小説「化け猫、かく語りき」
「……そいつの怪我が、治るまでだよ」
あとは勝手にしな、と言い捨てて、どすどす足音を立てながら、暖簾の向こうに引っ込んで行った。番台に「喫煙お断り」と書かれた手書きの貼り紙が貼られるようになったのは、それから間もなくのことである。
***
パシャ、パシャ。
シャッター音に顔を上げると、寿郎が例によって、不可思議な体勢でわたしに謎の板を向けていた。
「あ、撮れた」
むむ。さすがのわたしも油断していたようだ。絶対撮らせまいと思っていたのに。
「猫と満月。うーん、いまいちパンチがないな。猫又とか、化け猫? ……ってのは、ちょっとやり過ぎか」
ああでもない、こうでもない、と頭を捻る。大きな体をきゅっと丸めて、さっきから何を悩んでいるのか。ベンチの上にぴょんと飛び乗り、あっ、邪魔すんなよ、とか何とか言われながらも、寿郎と一緒にその画面を覗き込んだ。寿郎は謎の板を指で操作し、今撮った写真に何やら文字を打ち込んでいるようだ。
#猫があなたをお出迎えします
#湯屋さがみやへようこそ
#猫
#ブサ猫
#愛嬌はない
#だがそれがクセになる
#看板猫
「これがバズって、明日からぞろぞろお客がやって来ねえかなあ……」
そんな都合いいこと、あるわけないか。独りごちるようにそう言って、寿郎は再び肩を落とした。しかし何を思い立ったか、よし、とベンチから立ち上がり、わたしの目の前で、ぱん、と両手を合わせる。
「頼む、もう一枚だけ撮らしてくれ。できたらバズるやつ」
集中、集中っ、とつぶやきながら、ぶんぶん腕を振り回し、何やら気合いを入れている。バズる、が何のことかは知らないが、この銭湯にたくさん客が来るようになる、ということだろうか? わたしが写真に写ると? それは一体、どういう理屈で? 人間の考えていることは、よくわからない。わからないが、そんなことでここが少しでも長続きするというなら、協力してやらないこともない。滅びは誰にでも訪れるものだが、それがほんのちょっと先延ばしになったところで、ばちは当たらないだろう。
「……おっ。なんだお前、今日は機嫌いいな。そう、そう。いいよ、その感じ」
さて、明日は誰に餌をねだろうか。寿郎が最近仕入れた新商品のキャットフードもいいが、定番のチュールも捨てがたい。やや、ここにさっきの食べ残しが。髭についた鰹節の残りカスに気づいて、ぺろぺろと顔を洗う。と同時に、頭の上からパシャ、とシャッターを切る音が聞こえて、寿郎がガッツポーズするのが目に入った。
『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ
こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。