こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』スピンオフ小説「化け猫、かく語りき」

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「うちの孫に何をする!」

 暖簾をくぐって姿を現したのは、和代だった。割烹着かっぽうぎの裾でばさばさと風を切り、つっかけ姿で颯爽さっそうと男の前に立ちはだかった。右手に握っているのは例のハエ叩きである。いささか頼りない武器ではあるものの、尋常ではない和代の剣幕に、男は怯んだようだった。その一瞬の隙をついて、和代が先制攻撃を仕掛けた。じりじりと距離を詰め、男の足元にできた吸い殻の山に目を止めると、鬼婆のような形相で、きっ、と男をにらみつけた。

「貴様、無断でうちを汚しおって」

「ババア、何を」

「くるぁ!」

 鋭い掛け声とともにハエ叩きを振り回し、近所の悪ガキ同様に、ばしばしと男を叩き続ける。最初は腕に物言わせようとしていたその男も、二の句を継ぐ前にハエ叩きが飛んでくるものだから、和代に手を出す隙がない。一分も経たないうちに、劣勢を強いられた。ほれみろ、和代のハエ叩きはすごいのだ。その攻撃の鋭さは、わたしが身をもって体験済みである。

 そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけたらしい近所の男衆も集まり始めた。さすがに分が悪いと悟ったのか、男は捨て台詞とともに地面につばを吐きかけ、逃げるようにその場を立ち去っていった。一連の事件は、あっという間に街中に知れ渡った。和代ちゃんがヤクザ者を成敗したとして、後々語り草になったほどである。

「ばあちゃん……」

 少年が、わたしをぎゅっと抱き寄せる。両目にいっぱいの涙を溜めて。さっさと火傷やけどの手当てをして欲しいが、それどころではないようだ。わたしの体に自分の顎をすり寄せる少年を見て、ああもう、と和代が顔をしかめた。

「そいつをこっちに連れてくるんじゃない。あたしゃ昔から、猫がいるとくしゃみが止まらなくなるんだよ」

 そいつはうちじゃ飼えないよ、何回も言ってるだろ。と和代は言うが、少年はどうしても諦めがつかないらしい。

「じゃあ、じゃあ、俺がここで飼うのは? 夏休みの間だけ。中には絶対入れない。ここで、餌とかあげるだけだから。せめて、こいつの怪我が治るまで」

「お前がいなくなったら、どうする。もしこいつがここに居着いたら、誰が面倒見るんだい」

「それは……」

 返す言葉もない。少年は、私の火傷のあとと祖母の顔を見比べながら、でも、でも、と繰り返した。頬を拳でぐいと擦るが、拭い損ねた涙が私のおでこにぽたりと落ちた。よくよく泣き虫な少年である。わたし自身、この銭湯にそこまで長居する気はないのだが。すると、それを見ていた和代が、はああ、と盛大なため息を吐いた。さすがの和代も、孫の必死の訴えにはあらがえなかったらしい。



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『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ


こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。

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