ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第146回
地方民が東京に行くと
発生する「東京痛」は
あまりにも有名だ
年内にもう1回ぐらい原稿の催促が来そうな気がする、とザファ仕込みの第ゼロ感で予見していたが、本当に来たし、同時に他社から2つ別の催促が来ていた。
ただ私は仕事も仕事の催促も嫌いではなく、むしろある内が華だと思っている。
よって今年の残り日数より現時点で来ている催促数の方が多いという現実とそれを間接的に与えてくれる読者や、産んでくれた親、支えてくれる家族、そして母なる地球に感謝している。
ただ、それを告げてくる担当を地球ごと爆破したいと思っているだけで、お前らに罪はない。恨むなら担当と、こんな理不尽な世界に産み落とした親を怨め。
実は昨日、おそらく今年最後の上京から帰ってきたところだ。
地方民が東京に行くと「東京痛」という独自の痛みが発生することはあまりにも有名だが、筋肉痛が事後に発生するのに対し、東京痛は東京に着いた瞬間から始まっていることでも有名だ。
羽田空港は日本全国への玄関だが、同時に地域差別のゴンズイ玉でもあり、田舎ほど搭乗口が端に追いやられ、やっと着いたと思った瞬間「謎のバス」に乗せられる話だけで辺境人は1時間盛り上がれる。
むしろ「このバスが強制労働施設行きだったらどうしようもない」という想像をしたことがない奴は信用できない。
つまり、到着口から京急線改札にたどり着いた時点で、その日の体力は使い果たしているのだ。そこから打ち合わせや取材などの仕事をさせようという発想が間違っている。
よって編集者は地方から呼びつけた作家の目がどれだけ虚を彷徨い、使い物にならなかったとしても「躯が動いたのだ、儲けものと思え」というハドラー様の名言を思い出し、作家が京急線前のドトールで諦めなかったこと、そしてバスが謎の実験施設に走らなかった幸運に感謝してほしい。
私が東京に全く価値を感じず、逆にいかに短時間で田舎に帰って来るかを競うようになったのは「体力のなさ」が原因であり、東京が悪いわけではない。箱根に行けば「箱根脱出RTA」という、元旦にやってそうな大会が開催されるだけだ。
ただ、東京は人と歩きが多いため、より高難易度 MAPになっている。
「疲れ」というのは全ての楽しさに水を差す存在であり、疲れが楽しさを凌駕してしまった瞬間、趣味や人間関係は終焉を迎えるのだ。
東京には我が村にはない楽しい場所や体験がたくさんあることはわかっている。しかし疲れていると今すぐパンイチブラトップになれる場所と「横になる」以上に価値がある体験は存在しなくなり、それが一番快適にできる場所は「自分の家」以外なく、早くそこに帰りたいと思うのは当然だろう。
しかし、東京も呼んでもらえるうちが華であり、交通費相手持ちで上京できるのは役得と言っても良い。私ほどになると「精算業務ができず完全に自腹になった交通費」が毎年発生するが、それでも実質タダで東京へ行く機会があるのは事実だ。
それで何もしないのは自分でももったいないと思っているし「仕事で東京に行けるなんて羨ましい」と地元民に言われるたびに「いや、どこにも行かず、離陸時間まで羽田空港にしゃがみこんでまんじりとしてます」と答えるのも「俺ほどになるとお前らみたいにいちいち東京ではしゃがず、羽田でウィダー飲んでる」というマウントをとっているみたいになってきた。
実際ははしゃぐ元気がなく、羽田に着いた時点で固形物を受付けなくなってるだけである。
よって東京に行くたびに「体力をつけて東京を満喫したい」とは思っているのだ。
ちなみに羽田から微動だにしなくなるのは、そこだけで我が村すべての商業施設を集合させた以上のものが揃っており、そこから動く意味を感じさせないのも悪い。羽田は、県庁所在地でありながら新幹線に無視されている我が村の駅の何もなさを見習ってほしい。
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