小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」最終話

小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」最終話
ある人の、ある恋の、ある時のこと。

 最終話 
まみどり


 まみどりの自転車があった。鍵はかかっていなかった。誰のものかは知らないけれどわたしはそれに乗り、角を曲がった。

 わたしには金がなかった。炭酸水も買えないほどだった。向かうのは遠く離れたどこかしら。誰も知らないどこかしら。

 車輪が小石を踏むと、私ごと飛び跳ねる。思い出すのは、貧乏ゆすり。うるさいからやめて、といえば、リズムを刻んでいるだけですから、というおまえの言葉の意味のなさ。

 大通りには中華そば屋だけが明かりを灯して、十字路にはまぶたの分厚い警官のひとりぼっち。その横を通り過ぎる。さようならば、また今度(つかまえて)。

 ぱらぱら雨は降ってくる。しゅうしゅう風が吹いている。おまえはつとめて明るい夫だった。排水溝の掃除をするのはいつもおまえだった。

 まみどりの自転車は軋みながら、すごい速さで坂を滑り降りていく。東京は雨にぬれて光っている。

 おまえの寝顔ばかり思い出す。それから、眼鏡をはずすと、困ったような顔つきになるおまえの、へんてこな笑い顔、固いほっぺた、不器用な手のひら、よく焼きの卵に包まれたオムライス。過去のすべては、噓になるのか。

 ひとえに、おまえのよわさだろうか。それとも、わたしの非力だろうか。

 まみどりの自転車をまっすぐ漕ぎながら、わたしは雨に舌を出す。雨粒をいくら飲もうが、うるおうことのないこの体はたぶん大きくなりすぎた。わたしは大きくなりすぎた体をせいいっぱいにつかって、まみどりを漕ぐ。漕げど、漕げど、体温はうばわれるばかりだ。はっきり言って、おまえに会いたい。何度もふたりで温めあった足先のことを、忘れたくない。手をつかわずに靴下を脱ぐおまえの、おうちゃくな器用さが、ほんとうはすきだった。

 おまえの死をざんねんだというひとがいる。はやすぎるというひともいる。わたしはそうは思わない。おまえの人生なのだから、好きに生きて、好きに死んで、なにがわるくて、ざんねんで、はやいのだ。祝ふくこそまだできないけれど、わたしは、おまえの死にかたを、この体いっぱいに受けとめる。ふるえるほど、さびしいよ。

 さむい日にはいつも厚着しすぎて、百貨店に入るたび、あついと言うから、それなら上着を脱いで手で持ちなよとわたしが言うのに、いつまでも脱がずにねばるおまえの、へんなねばりづよさが、とてつもなくかなしい。さむかったら、着るんだよ。あつかったら、脱ぐんだよ。雨がふったら、さすんだよ。腹がへったら、食べんだよ。

 まみどりの自転車は走る。大きな一本道を、ずるずると。雨はすべてを流すことなく、わたしの上を、ざらざらと降る。

 


小原 晩(おばら・ばん)
1996年、東京生まれ。2022年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。独立系書店を中心に話題を呼び、青山ブックセンター本店では、2022年文芸年間ランキング1位を獲得。24年に大幅な加筆を経て実業之日本社から商業出版された。その他著書に『これが生活なのかしらん』(大和書房)がある。

関口英子『オリーヴァ・デナーロ』
町田そのこ『月とアマリリス』