田口幹人「読書の時間 ─未来読書研究所日記─」第31回

「すべてのまちに本屋を」
本と読者の未来のために、奔走する日々を綴るエッセイ
4月から5月にかけて、各地の文字活字文化の発信拠点の担い手である書店や公共図書館や学校図書館や、本を活用したまちづくりに取り組む皆さんと面談する機会をいただいた。その際に感じたのは、文字・活字に親しみ、触れる機会の減少は、文字活字文化の衰退へと繋がり、さらには地域間格差も増大するおそれがあるということだった。
様々な立場で本に携わる人のリアルな声を拾い集めることができたこの2か月間は、新たに気づかされたことも多く、僕にとってこれまでの活動を振り返り、前に進むために一度立ち止まる時間をもらった気がしている。
僕は自著『まちの本屋 知を編み、血を継ぎ、地を耕す』(ポプラ文庫)に、「自分のフィルターを通じて本を誰かに手渡す人をすべて本屋と呼びたい」と記している。
本屋と呼ばれたくない方もいるかもしれないが、その思いは今も変わらない。
書店業界、出版業界にいると間違えてしまいがちなのだが、「読者」と「本を買う人」はイコールではない。図書館で本を借りる人も当然、読者であり、様々な形で本を誰かに手渡すために奮闘している人たちがいる。
「もっと本を買ってもらうように」とばかり考えていては、読者人口は増えていかない。そもそも僕たち未来読書研究所は、「どうすれば読者人口が増えるのか。なぜ本を読まない人が増えているのか」を研究しようという問題意識から出発している。激動の書店業界に身を置いていると、目の前の事案に対処するだけで疲弊してしまうことが多く、原点に返るために自戒を込めてあらためて記しておこう。
僕たちが目指しているものは、「未来の読者をつくること」と「まちに本がある場所を増やすこと」のふたつなのだ、と。
そんなことを考えている最中、2022年僕がもっとも推した作品である高瀬乃一著『貸本屋おせん』(文藝春秋)が文庫化された。解説は、文芸書評などでも活躍する精文館書店中島新町店の書店員・久田かおりさんだ。僕は、久田さんの書評のファンでもある。なんて素敵な文庫化なの! とテンションが上がる。
解説は全文公開されているのでご覧いただきたい。
僕からも『貸本屋おせん』について簡単に紹介させてほしい。
本書は、2020年の第100回オール讀物新人賞受賞作「をりをり よみ耽り」に書き下ろしを含む中編4編を加えた、女手ひとつで貸本屋を営むおせんの奮闘を描いた物語である。
江戸・文化年間、幕府による出版統制下、彫師の父・平治は、手掛けた読本が幕府批判とみなされ、重い刑罰を受ける。二度と鑿を握ることができない体となった父は酒におぼれた末に自死する。母は愛想を尽かし、若い男を作り家を出てしまい、わずか12歳で天涯孤独となったおせんは、父の知己だった地本問屋の南場屋喜一郎や長屋の住人に助けられながら貸本屋として生計を立てていくことになる。
本が高価なもので、庶民が気軽に購入して読むことができなかった時代、そこで活躍したのが貸本屋だった。書物や錦絵を詰め込んだ高荷を背負って歩く貸本屋が、江戸界隈だけでも800軒以上あったことを考えると、庶民の娯楽として定着していたことがうかがえる。
本書は、貸本屋として馴染みの客に本を届けるおせんが、様々な読本をめぐり身にふりかかる事件の数々に立ち向かう物語である。なんと言っても最大の魅力は主人公のおせんである。天涯孤独という言葉から連想される逆境に耐え忍ぶしめった人物像とは違い、したたかに生き抜く強さと怖いもの知らずの危うさを兼ね備えた人物像は、新たなヒロインとして多くの読者を魅了するだろう。
そして何より、随所にちりばめられている本に対する考え方に共感を覚えた。
善人も悪人も、同じ本を見て笑い悲しむ。ときに憤り、あきらめ、それでも次の丁をめくらずにはいられない。そして一度読まれた本は忘れさられて、みな現に戻っていく。本なんて、そんなもんだ。だから、せんは貸本屋として、本を守らなければならない。
その想いに至るおせんの本との関係に、様々な地域で一冊でも多くの本をお客さまに届けるのだと奮闘する本屋の皆さんの顔が浮かんだ。
久田氏は、解説の締めにこう記している。
「明けない夜はない、けれど暮れない朝もない。目先の明るさを見せるだけじゃない、現実の厳しさと、また夜が来る悲しみの世をそれでも自分の力で渡っていく逞しさが何よりの魅力なのだと思う」と。
文庫化された『貸本屋おせん』が、多くの読者に届きますように。
さらに、続編となる『往来絵巻 貸本屋おせん』(文藝春秋)も発売された。ワクワクしながら本屋で購入したが、本原稿の締切と重なりまだ読めていないのです。早く読みたい。
話をがらりと変えよう。
元ぎふメディアコスモス 総合プロデューサーの吉成信夫さんの新刊『賑わいを創出する図書館 開館9ヶ月半で来館者100万人を達成した「みんなの森 ぎふメディアコスモス」の冒険』(KADOKAWA)が6月23日に発売される。
吉成さんは、「書店と図書館の連携」で為すべきことは何なのかを教えてくださった方である。〈みんなの森 ぎふメディアコスモス〉を訪問した際、館内を案内いただき、隅々まで張り巡らされた施策の意味と狙いを丁寧に教えていただいた。「本×人×コミュニティ」の可能性を強く感じることができた時間だった。
翌日、旅程を変更し、再度メディアコスモスを訪れた。吉成さんの言葉を思い出しつつ、終日利用者やスタッフの動きを眺めていた。こんな経験ははじめてだった。
「図書館=静かな空間」という常識を覆した、岐阜市の公共施設〈みんなの森 ぎふメディアコスモス〉が、本に触れるだけでなく、勉強や暇つぶしなどの目的で来場し、コミュニティの場として、市民と本、市民と市民、そして市民と知の交差点になっていることが伝わってくる時間だった。
強く印象に残っている吉成さんの言葉がある。
それは、「子どもの声は未来の声」という言葉だった。
この言葉とメディアコスモスの取り組みは、後の我々「NPO法人読書の時間」の活動に大きなヒントを与えてくれた。
中でも、「心の叫びを聞け! YA交流掲示板」や「大人は入れません(ヤングアダルトのグローブ)エリアの創設」などを見た時に、ヤングアダルト世代(中高生)とどのように対峙してきたのか、そしてそこに振り切ることができた吉成さんの想いに心を撃ち抜かれた。
中高生に本を読んでもらうため、ではなく、彼ら彼女らの居場所づくりからはじめた中高生との交流の日々は、今後のヤングアダルト世代と読書の距離を縮めるヒントになるのではないかと思っている。
たった9か月で来館者100万人を突破した〝賑わいの設計〟の舞台裏には、徹底した現場主義と公共空間への愛があり、それを受け止めたスタッフたちの想いがあった。書店業界は多くの課題を抱えていることは度々本連載で書いてきたが、図書館業界にも多くの課題がある。そのひとつは、職員の非正規雇用についての問題である。
吉成氏は、あとがきにこんな言葉を添えている。
(前略)メディアコスモスで、私が一緒に働いた図書館職員司書の多くは非正規職員だ。この物語は、実は、民間人図書館長の私と、多くの非正規職員司書たちが起こした創造的ぶつかりあい、化学反応のようなものがはじめにあって、徐々にゆっくりと正規職員を巻き込んでいったプロセスとともに時を重ねて行ったものだと今も思う。
今、書店のない自治体の存在が注目され、図書館の役割の再評価も進んでいる。こういった中、図書館がどういう存在になっていくべきなのかを考えるためにもぜひ読んでいただきたい一冊である。
田口幹人(たぐち・みきと)
1973年岩手県生まれ。盛岡市の「第一書店」勤務を経て、実家の「まりや書店」を継ぐ。同店を閉じた後、盛岡市の「さわや書店」に入社、同社フェザン店統括店長に。地域の中にいかに本を根づかせるかをテーマに活動し話題となる。2019年に退社、合同会社 未来読書研究所の代表に。楽天ブックスネットワークの提供する少部数卸売サービス「Foyer」を手掛ける。著書に『まちの本屋』(ポプラ社)など。