〈第16回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」
と、そこへみひろが引き返してくる。
CASE4 禁じられた関係:パートナーは機動隊員(3)
9(承前)
頭を切り替え、慎はみひろに向き直って答えた。
「無論、よりよい職場環境づくりのための聞き取り調査です。三雲さんこそ、なぜここに?」
「戻って来たら車があるのに室長がいないから、心配になって探したんです」
「そうでしたか……堤さん。彼女は僕の部下の三雲みひろ巡査です」
「どうも」
戸惑いながら、後ろで堤が会釈する気配があった。それには応えず、みひろは言った。
「『再考』『時期が悪い』って言ったばかりなのに、聞き取り調査をするんですか。それに『取引』って? 堤さんに、中森さんの事件を調べさせているんでしょう」
とっさに黙り、慎が返す言葉を選んでいると、みひろは感情的になって捲し立てた。
「ていうか、人を帰らせる口実にパンを使うなんて最低。気を遣ってもらったと思って、嬉しかったのに。ルール違反だわ。室長に、パン好きを名乗る資格はないです」
怒りのツボはそこか。呆れるとともに、慎はみひろが手にさっき教えたパン店のレジ袋を二つ提げていることに気づいた。一つは大きく中身もたくさん詰まっていて、もう一つは小さく、中のパンは二、三個でレジ袋の口からペットボトルの飲み物が覗いていた。
俺に差し入れするために、戻って来たのか。そう悟った矢先、背中に堤の視線を感じた。気を取り直し、慎はみひろに告げた。
「後で話しましょう」
続けて堤に「また連絡します」と告げると、堤は怪訝(けげん)そうな顔のまま慎とみひろに会釈して歩きだした。
「二日前の夜、本橋公佳さんが私を訪ねて来ました。室長のことをとても心配しています」
みひろが言った。慎は堤が駐車場を出て行くのを確認し、振り返った。
「そうですか。本橋に心配される覚えはありませんが」「これから説明します。いいですか?」
「どうぞ」
頷き、みひろは話しだした。約二十分後、慎は切り出した。
「ディテールに見解の相違はみられますが、経過と現況は本橋の言った通りです。加えて、先ほどの三雲さんの質問への答えは、イエス。堤に中森の事件を調べさせています」
表情には出さなかったが、安堵していた。本橋の行動は予想外で、みひろに知られたことも厄介だ。しかし本橋の話から察するに、監察係は新海弘務や君島由香里との接触については把握していない。
やはりそうかと言うように息をつき、みひろは改めて慎を見た。
「始めから中森さんの事件を調べさせるつもりで、堤さんを調査対象にしたんですね。それはまずいっていうか、ひどくないですか?」
「大きな問題を明らかにするために、関係者の小さな問題を利用する。警察では昔から用いられている手法です。堤は規則違反を犯しており、本人も」
「規則じゃなく、気持ちの問題です」
再びみひろは感情的に主張する。ため息をつき、慎は返した。
「似たようなやり取りが、前にもありましたね。僕と三雲さんは、調査対象者への考え方の根本が相容(あいい)れないようです。言い合うだけムダだと思いますよ」
「そうでしょうか。確かに私はエリートでも元監察官でもないし、室長の考えはわかりません。だけどこの二カ月、毎日一緒に働いてきたんです。根本は相容れなくても、室長の仕事は納得できたし、すごいと思えた。でも、今回は違います。納得できないし、放っておけない」
「つまり、僕のやろうとしていることは認許できない。阻止するという意味ですか?」 圧力も匂わせ、慎は冷ややかに問うた。一瞬口を閉ざしたみひろだが、きっ、と慎を見上げ、答えた。
「はい。だってこれは、私の問題でもありますから。持井さんは、職場環境改善推進室を『躊躇なく潰す』って言ったんですよ?」
「部署にかかわらず、給料がもらえて有給が取れればそれでいい、というような発言をしたと、豆田係長から聞きましたが」
慎が突っ込むと、みひろはこちらに顔を突き出し、むきになって応えた。
「確かに言いました。だからって、こんな形で潰されるのは納得がいきません」
わかった風なことを言ってはいるが、勢いと意地だけだな。余裕を覚え、慎は薄く微笑んで「そうですか」と返してメガネのブリッジを押し上げた。するとみひろは片手を上げ、立てた人差し指で慎の顔を指した。
「その笑顔。もう、だまされませんよ」
人が変わったような、冷静で確信に満ちた口調と眼差し。虚を突かれ慎が身を引くと、みひろはくるりと身を翻して歩き去った。