「推してけ! 推してけ!」第64回 ◆『夜がまだ明けない』(井上先斗・著)

「推してけ! 推してけ!」第64回 ◆『夜がまだ明けない』(井上先斗・著)

評者=池上冬樹 
(文芸評論家)

ハードボイルド派であり本格派でもある注目の短篇集


 二十六歳の私立探偵苗場清志郎を主人公にした短篇連作である。ここには五篇収録されている。

 古着屋につとめる若者がヴィンテージもののデニムジャケットとともに消えた背景を探る「ヴィンテージ」、新たに加入した女性ボーカルの行方を追う「消えた歌声」、元カノに頼まれてストーカーの存在をあぶりだす「レモンジュース」、追跡していた男がエレベーターで消失する「溶けるように」、そして姿を消した女子中学生の家族問題にまきこまれる「夜がまだ明けない」。

「ヴィンテージ」と「消えた歌声」を読んだときに青春ハードボイルドという言葉を思い出した。ハードボイルド=老成した大人(観察者)の物語ということに対抗して、大沢在昌が『感傷の街角』でデビューしたときのことを思い出したからである。若さを武器にした青臭い青年の観察と行動で読ませる小説なのかと期待した。大沢在昌はチャンドラー的な感覚をちりばめたが、この作者はもっとポップである。

 ただ、読みながら、ひとつだけひっかかるところがあった。「長谷川孝之です」と自己紹介する場面があるのだが、初対面で名刺もないのに漢字表記であらわす。これはいまのミステリでは普通の書き方だが、リアリズムに依拠しているハードボイルドでは「ハセガワタカユキ」と表記すべきところ。ハードボイルドではないのかなという疑問があったのだが、それは後半にいくにしたがい強くなった。ハードボイルド的であるけれど、本格に軸足をおいている作品のようにも思えてきた。

 とくに「溶けるように」などは消失トリックに関する推理がほとんどを占める。ハードボイルドで本格的なトリックを使った作品、なかでもエレベーター内での人間消失という点で、逢坂剛の傑作『裏切りの日日』などをふと思い出したが、短篇なので、もっとコンパクト。仮説をたてては崩して、また新たな仮説をたてての繰り返しは本格ファンにはたまらないだろう。実は、「消えた歌声」も、私立探偵がインタヴューを繰り返して謎を解き、ずいじ読者に提示するというフェアプレイ精神よりも、名探偵が推理の内容を隠して関係者と対決するという点で、本格寄りでもあった。

 個人的に最も面白く読んだのは「レモンジュース」である。元カノに頼まれてストーカーの存在をつきとめる内容であるが、この元カノが元探偵という設定で、ある仕事で二人が偶然出会った経緯がきいている。ひねくれた関係を示す会話も生き生きとしているし、意外性もあって面白い。主人公の苗場自身の、読者に語られていない父との確執も明らかにして、苗場が抱えている重い過去を提示する。

 その重い過去が語られるのが、巻末の表題作である。はじめて殺人事件を目の当たりにして、ひとり傷つき悩む中学生に寄り添って、苗場が自身の激情をあふれさせる。本格派の探偵というよりも、一九七〇年代にどっと生まれた古典的なハードボイルドに対する新ハードボイルド、すなわち泣き虫探偵派といわれるネオ・ハードボイルド派の弱さ(=人間らしさ)をさらけだしていて実に興味深い。

 果たして作者がめざしているのはハードボイルドなのか、本格なのか。「要するに、トリックだけではなく、ジャンルの融合も大事だと思う」と語っているのは、さきほどふれた逢坂剛だ。「本格だと思ったらハードボイルドだった、ハードボイルドだと思ったら、本格の要素があるというのは、『小説』のおもしろさのひとつですよ。ミステリもまた当然小説なのだから、小説そのもののおもしろさや質の高さも、必要だと思いますね」(日本推理作家協会編著『ミステリーの書き方』所収「どんでん返し──いかに読者を誤導するか」より)。

 松本清張賞を受賞した『イッツ・ダ・ボム』でデビューしたあと『バッドフレンド・ライク・ミー』『ノーウェア・ボーイズ』を発表してきた新人作家の第四作である。過去三作は広義の犯罪小説(クールで洒落たサスペンス)で特定のジャンルを強く打ち出していないものの、「小説そのもののおもしろさや質の高さ」を求めていたことは確か。今後どのようにジャンルを追求していくのか愉しみである。

【 7/29 発売】

夜がまだ明けない

『夜がまだ明けない』
著/井上先斗


池上冬樹(いけがみ・ふゆき)
1955年生まれ。立教大学日本文学科卒。著書に『ヒーローたちの荒野』、編著に『ミステリ・ベスト201 日本篇』など。

採れたて本!【デビュー#43】
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