遠藤周作の『沈黙』が映画化されるまで
2016年にマーティン・スコセッシ監督によるハリウッド映画化が決定した遠藤周作の『沈黙』。キリスト教文学として海外でも高い評価を得ているその魅力に迫ります。
戦前の日本において主流だった私小説、短編小説への回帰を狙った「第三の新人」の1人としても知られる遠藤周作。晩年は『ユーモア小説集』を執筆するなどウィットに溢れる一面も見せ、またTVコマーシャルにも出演していたことで広く名前を知られています。
その一方で遠藤は、日本人にとってのキリスト教の意味を問い続けた作家であり、キリスト教をテーマにした作品を多く残しています。現在、作品が翻訳されている国は20ヶ国以上にも及び、刊行された作品は100冊を超えるとも言われています。
マーティン・スコセッシによるハリウッド映画化
そんな遠藤周作の代表作の1つ、『沈黙』は「タクシードライバー」などを手がけたハリウッド映画界の巨匠、マーティン・スコセッシ監督による実写映画化がかねてより噂されていました。製作は難航を極めましたが、2016年11月、リーアム・ニーソン、アンドリュー・ガーフィールドらの豪華主演陣に加え、浅野忠信や窪塚洋介という日本人俳優も起用した注目のキャストでアメリカで公開されることも大きな話題となっています。
今から約25年前に『沈黙』を読んだというスコセッシは、当時は神父の道を目指していたといいますが、その時から映画化を夢見ていたそうです。資金不足やキャストの変更といった度重なる困難に遭遇しながらも、今回の映画化によってようやく悲願を達成することとなりました。約25年もの時間を経てまで実現しようとするほど、スコセッシはこの『沈黙』という作品に強い魅力を感じていたのです。
今回は遠藤周作とキリスト教の関係を軸に、その著作のなかでも特に評価が高い『沈黙』が日本のみならず海外でも高い人気を誇る理由を探ります。
遠藤周作が描き続けたキリスト教
遠藤周作は、生まれながらにしてクリスチャンであったわけではありません。両親の離婚から神戸に戻って来た幼少時に、伯母の影響でカトリックの教会へ通うようになります。そして中学生の時に洗礼を受けさせられたのです。
遠藤はこの時のことを「後々、自分にどういうものを背負わせることになったかもほとんど考えなかった」と、キリスト教を「合わない洋服」に例えたエッセイの中で述べています。
だがその後十年たって、私は初めて自分が伯母や母から着せられたこの洋服を意識した。洋服は私の体に一向に合っていなかった。ある部分はダブダブであり、ある部分はチンチクリンだった。そしてそれを知ってから、私はこの洋服を脱ごうと幾度も思った
「合わない洋服」より
この文章からも読み取れる通り、「日本人でありながらキリスト教徒である矛盾」に気付いた遠藤はこの合わない洋服を脱ごうとします。しかしその後、キリスト教は自分を少年時代から青年時代にかけて支えた一つの柱であるとも考えるようになり、「私はこの洋服を自分に合わせる和服にしよう」と決心するのでした。
ただ「教えをそのまま受け入れる=洋服を着せられる」のではなく、「日本人としてキリスト教を見つめ直す=和服に仕立て直す」……その姿勢は聖書学研究に従事していた田川建三など多くのキリスト教信者、聖職者たちから批判を受けました。それでも遠藤は、キリスト教をモチーフとした作品を通じて、他人から着せられたダブダブの洋服を、自分の体に合うように生涯努力することを選びます。
「神の沈黙」という永遠の主題に挑んだ『沈黙』
そして『沈黙』(1966)は、江戸時代初期のキリシタン弾圧に遭ったポルトガル人司祭、ロドリゴが背教の淵に立たされる姿を描いた歴史小説です。キリスト教弾圧にまつわる日本史の一場面をもとに、神の存在や西洋と日本の思想的な違いを追求したこの作品は、発表当時のカトリック教会で大きなセンセーションを巻き起こしました。鹿児島県と長崎県では禁書扱いになるほど、当時としては衝撃的だったのです。
出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4101123152
イエスズ会において最高の地位にいた教父、フェレイラが布教のために訪れた日本で過酷な拷問を受け、棄教したという知らせが届いたローマ。弟子である若き宣教師、ロドリゴは真相を探ろうと日本へ赴くも、気弱な日本人、キチジローの密告によって奉行所に囚われてしまいます。
やがてロドリゴは師と再会を果たすものの、彼が夜な夜な牢で耳にするいびきのような声が拷問を受ける信者のうめき声であったこと、ロドリゴ自身が棄教しない限り彼らが許されないことを告げられ、苦悩します。自分の信仰を守るのか、神を裏切って罪の無い人々を助けるのか……ジレンマを突きつけられるロドリゴは、ある決断に至ります。
キリストの教えを誇りに思っていたロドリゴでしたが、「神は自分が苦しむ姿を見ながら、何故沈黙を続けるのか」と呼びかけても応えない神を疑い始めます。
神は本当にいるのか。もし神がいなければ、幾つも幾つも海を横切り、この小さな不毛の島に一粒の種を持ち運んできた自分の半生は滑稽だった。
『沈黙』より
日本におけるキリスト教の歴史において、最期まで立派にキリストの教えを守り抜いた人々は語り継がれる一方で、教えを捨てた人々は蔑ろにされていました。そのような棄教者たちの「沈黙」のなかに浮かび上がる死への恐怖や、誰かを助けたいと願う苦悩は、日本史のなかでキリスト教徒が経験したであろう様々な受難の場面にまつわる空想をかきたて、遠藤を執筆に走らせたのです。
海外からの評価
『沈黙』が海外で高い評価を受けるようになった理由として、グレアム・グリーンの存在を忘れてはなりません。「第三の男」を代表作に持つイギリスの小説家、グレアム・グリーンは、英訳された『沈黙』を読み、その年度のベスト3の1つに挙げています。第一次世界大戦後にイギリス国教会からカトリックへと改宗した経緯を持ち合わせていたグリーンは、『沈黙』をいち早く認め、遠藤に対して作品を絶賛する手紙を送るだけでなく、「20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家である」とまで断言しています。
遠藤自身も『沈黙』の執筆にあたり、グレアム・グリーンの作品『権力と栄光』から大きな影響を受けたと語っています。そして1985年には小説の舞台となったロンドンを旅行中、なんと偶然にも彼とホテルで出会い、語り合う機会を得た、というエピソードもあります。
そんなグレアム・グリーンから熱烈な支持を受けた『沈黙』はノーベル文学賞候補とまで目されましたが、テーマや結論が審査員に好まれなかったためか受賞を逃したとも言われています。
出典:http://www.amazon.co.jp/dp/0800871863
日本で暮らした経験を持ち、日本を題材にした小説も書いているイギリス人作家、デイヴィット・ミッチェルもまた、『沈黙』について「20世紀最高の日本小説に加わる作品だ。私がこの小説を好きな理由は、非常に全キリスト教的な見方をしている所にある」と高い評価をしています。
海外からの評価が高いことは、『沈黙』が2009年の英ガーディアン紙が選ぶ「死ぬまでに読むべき必読小説1000冊リスト」に選出され、海外の読書好きが投票形式で決定する「日本文学ランキング100」では37位(2016年4月現在)にランクインしていることも証明しています。
『沈黙』が言語や時代を超えて評価される理由
信仰における負の部分にあえてフォーカスを当てたこの作品は、何故、言語も時間も関係なく高く評価され続けているのでしょうか。それは、言語や時代を問わずキリスト教を信じる人たちの心に響いたからに他なりません。
聖職者たちはこの冒涜の行為を烈しく責めるだろうが、自分は彼等を裏切ってもあの人を決して裏切ってはいない。〔…〕私はこの国で今でも最後の切支丹司祭なのだ。そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。
『沈黙』より
『沈黙』のなかで、キリストは絶対的な存在ではなく、無力な存在として描かれています。神は沈黙していたのではなく、無力さ故に沈黙せざるを得なかったのです。遠藤の描くキリストは無力ではありますが、悩める人物たちと苦しみを分かち合っていました。その表現について批判は生まれましたが、救われる読者がいたのも事実です。
ロドリゴを売り渡すも、許しを乞う卑しい存在として描かれるキチジローは、洗礼を受けさせた母親を裏切った自分自身をモデルにしていると遠藤は述べています。このことからも分かるように、『沈黙』は洗礼を受けながらも信仰について疑問を持ち、自らとキリスト教の関係について考え続けた遠藤周作でなければ創作できなかった作品とも言えるでしょう。
マーティン・スコセッシ監督による映画化をきっかけに、改めて評価されるであろう『沈黙』。発表されてから50年間もの月日が経ったこの物語が、どのように映像化されて新たな価値を持つのかに注目です。
【P+D BOOKSより発刊中の作品】
P+D BOOKSでは遠藤周作による作品をペーパーバック&デジタルで続々発刊中!
詳細は各リンク先のページからご覧ください。
遠藤周作『銃と十字架』
遠藤周作『宿敵』(上巻)
遠藤周作『宿敵』(下巻)
初出:P+D MAGAZINE(2017/01/17)