小野正嗣(芥川賞作家)が中上文学の”本質“を語る
芥川賞作家である、小野正嗣。彼が強く影響を受けた作家の一人である中上健次について、その創作の本質への考察を、熱く論じます。
ニューヨークでの中上(撮影日不明)
来る2017年1月19日に、第156回芥川賞・直木賞の発表が迫っており、今回は、いったいどの作品・作家に賞が贈られるのか、注目が集まります。
痛みと優しさに満ちた〈母と子〉の物語である『九年前の祈り』で、第152回芥川賞を受賞した作家・小野正嗣はその受賞会見の場で、下記のように語りました。
「小説は土地に根ざしたもので、そこに生きている人間が描かれると思うんです。あらゆる場所が物語の力を秘めている。それを切り取って書くことが、普遍的な力を持つと。世界の優れた文学は、個別の土地や人間を掘り下げて描くことで普遍的になっていると思います。僕が大好きな文学はそういうもので、特別な世界を描きながらも普遍的なものにつながる。大好きな世界です」(朝日新聞より)
土地に根ざした小説家の一人といえば、中上健次。
故郷、紀州新宮という土地に根ざした作品群「紀州熊野サーガ」に代表される、独特の土着的作品世界。
小野氏の場合も、やはり故郷である大分県蒲江町(現佐伯市)が舞台となった作品を多く書き、影響を受けた作家の一人として、中上の名を挙げています。
今回、同じ土地に根ざした作品を綴る作家であり、同じ芥川賞受賞作家として、『宇津保物語』を中心に、中上の創作の原液の本質について、小野氏が熱く論じます。
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「うつほを燃やす」小野正嗣
その死後、『宇津保物語』としてまとめられることになる短篇を雑誌「海」で連載していた1978年、中上健次は故郷新宮市で部落青年文化連続公開講座を開催している。当初12回の予定だったこの連続公開講座は8回で打ち切られる。同様に「海」での連載も6回までは書かれたものの完結はしていない。
この連続公開講座での中上の講演録「開かれた豊かな文化」は、『中上健次と熊野』(太田出版)で読むことができる。中上文学の最良の理解者のひとり、文藝評論家の高澤秀次は、その「解題」のなかで、この「開かれた豊かな文学」は、紀伊半島各地を巡るルポルタージュ『紀州 木の国・根の国物語』とともに、「『岬』、『枯木灘』以降の中上文学を支える二本の足であり、創作の原液だったと言っても過言ではあるまい」(『中上健次と熊野』310頁)と述べている。
「開かれた豊かな文学」の第3回講座は、「うつほからの響き」と題され、そこで中上は、自身の『宇津保物語』について語っている。「ちょうど私は、日本の古典として一番興味のあるこの『宇津保物語』をもとにしまして、文芸雑誌「海」に仲忠を主人公とした小説を書いているんです。その小説の一節を朗読します」(『中上健次と熊野』40頁)と、今回の電子全集第10回配信でわれわれが読むことのできる「北山のうつほ」の冒頭を読み上げている。
中上の小説は平安中期に成立した原典の骨格をほぼ忠実になぞり、それを彼独特の濃厚な文体で肉付けしている。主人公である藤原仲忠は琴の名手である。彼の祖父は清原俊蔭という詩文の天才であり、「波斯国」に渡り、天人から琴の秘技を授かって帰国する。この技を受け継いだ母と二人きりで仲忠は、「北山」にある「ほら穴」で幼少期を過ごす。その後、父に発見されて都に戻った仲忠は琴の名手としてその名を轟かすと同時に、栄達を重ねていき、今度は自分の娘にその技を伝えることになるだろう。母子が暮らした北山は、実際には京都の北山であろうが、中上はこれを熊野の北山と読み替えている。これは、天皇制支配の対極に、差別された者たち、歴史の敗者たちの土地としての「熊野」を位置づけていた中上にとっては必然かつ必要な操作だったのだろう。
この連続講演において中上の創作の「原液」、その秘技が語られているとしたら、興味深いことにその本質は「空虚さ」にこそある。中上はなぜこの『宇津保物語』という古典作品を高く評価していたのか。それは、貴種流離譚と分類しうるこの古い物語が、ほかならぬ「うつほ=ほら穴」から発せられたものだからである。先の講座のなかで、中上は自身の書き方についてこう吐露している。「自分の胸っていうか、自分のなかに空洞みたいな、穴ぼこみたいなのがあって、そこはがらんどうで、ぼおっと燃えている。それが実感なんです。その何か燃えていることが、今ここで喋っていることも、東京でものを書いていることも、いろんなことがその自分の熱病みたいなもんで動いているんじゃないかと考えるんです。その熱病が一体、どこから出てくるか。つまりぽっかりと意味もなしに空いた、空洞みたいなものから出てくるんじゃないか。そういう気がするんです」(『中上健次と熊野』37頁)。そして「このうつほこそが芸術、文学いっさいの根源ではないか」(『中上健次と熊野』37頁)とさえ言う。
そう言えば、原典、そして中上版ともに、重要な役割を果たす琴もまた内側に「うつほ=空洞」を抱えた楽器である。あらゆる弦楽器がそうであるように、弦の振動はそれを支える空洞によって独自の音を発生させる。いや、それを言えば、管楽器であれ打楽器であれ人間の声であれ、音が生まれることを可能にするのはつねに「空洞」である。
中上は自分自身の「書く」営みを、「うつほ」が「燃える」ことになぞらえているが、彼にとって「書く」とは、彼の内部にあるその巨大な「がんらんどう」を言葉によって「満たす」、「充填する」、そして「鳴らす」ことでもあったのだ。
空洞に言葉が次々と放り込まれ、燃え上がる。いや、言葉こそが炎だ。それどころか言葉は炎に焼かれる草木であり、炎に与えられる酸素でもある。燃えさかる炎が鳴り渡り、あらゆる音を吸い込んであたりに沈黙を作り出す。音と沈黙がたがいを奪い合い、この世のものとも思えぬ音楽が流れる。中上の直筆原稿を見るとき、あの集計用紙にぎっしりと詰め込まれた小さな文字を見るとき、その印象はさらに強まる。空白をむさぼるように言葉が書き連ねられる。言の葉が燃え上がり、まばゆくきらめきながら踊っている。視覚的にも音楽を奏でている。
中上の文章ではよく、草や葉が光を浴びて輝き、風になぶられながら、たがいにこすれあって音を奏でる。そのうち音と光は流体と化して混じり合い、大きな奔流となって、人物たちを染め上げ、のみ込み、その内部になだれ込み、すでにそこを満たして熱く流れていた血を輝かせ鳴らす。中上のなかの「うつほ」からあふれ出した言葉は、それがもっとも燃えさかり、光り輝き、鳴り響くとき、人物たちばかりか、それを読む者までをも満たす。われわれは自己と世界との境界が溶け消えてしまうような得も言われぬ悦楽で浸される。
今回の配本に収められた作品は、どれも未完である。しかし、その未完の意味合いは、作家が『岬』、『枯木灘』という初期の傑作を発表してまだ間もない頃に書かれた『宇津保物語』と、その46年という短い生涯の晩年に書かれた『鰐の聖域』、『蘭の崇高』とでは、ずいぶん違うような気がする。『宇津保物語』のころには、中上のなかの「うつほ」は激しい熱を帯びている。次から次へと書きたいことが湧き出し、その空洞を満たし、あふれ出す。『鳳仙花』、『千年の愉楽』、『地の果て 至上の時』といった忘れがたい傑作を織り上げることになる言の葉が、彼の「うつほ」のなかで恐るべき勢いで繁茂し、ひしめき合い、燃え上がり、『宇津保物語』の場所を奪いとり、完成することを許してくれない。『宇津保物語』は、『千年の愉楽』などの傑作が生まれるために場所を与えた・作ったとさえ言いたくなる。連作短篇という形式であることもあり、未完という印象はあまりない。最後の「波斯風の琴」こそ、原典からの引用がやたらと目立つが、そこには、これを早く仕上げてほかの作品が書きたくてたまらないという、抑えがたい強烈な創作意欲が感じられて、むしろほほえましい。「うつほ」が燃えている。
ところが、『鰐の聖域』と『蘭の崇高』では受ける印象がまるで異なる。長編小説ゆえに途絶の感はどうしても強くなる。だがそれ以上に、「うつほ」を満たすことに作家が苦労しているように見えるのだ。いや、それは作家ばかりではない。『鰐の聖域』の主人公の五郎は、どうしてもあれほど女たちをはらませなければならないのか、どうして義父の愛人と性交することにかくも執心し、あんなにも腰を振り続けなければならないのか。それは、彼が「うつほ」に取り憑かれているからだ。「うつほ」がもはや何もせずともひとりでに満たされてはくれないから、自然には燃え上がってくれないからだ。五郎は女性の「うつほ」(子宮、女性器)を満たさなければならない。放っておけば冷めてしまう「うつほ」に性器をこれでもかとこすりつけ、無理矢理にでも熱を回復させなければならないのだ。強いられた無頓着さや快楽の背後から不安の暗く冷たい影が伸びてくる。
また、中上の傑作においては、草や木や風や水といった自然界の要素と交流し、世界そのものと一体化する至福の瞬間が、主人公たちにいともたやすく訪れていた。ところが、『蘭の崇高』の主人公ワタルは、崖に自生する蘭を得るために、岩肌に体を押しつけ、頬ずりし、それを舌で舐めなければならないのである。そこで得られる感覚は、冷たさであり痛みである。挙げ句の果てには、「山の神」の歓心を得るために崖に向かって自瀆すらせねばならない。だが、その行為には純粋な快楽が伴うことはない。あれほど無償で、人物たちの「うつほ」を満たしてくれた自然が、ここではたかだが一株の蘭を与えるために代償を要求してくる。しかし若者の体からほとばしる精液は何も生むことはなく、むなしく飛び散るだけだ。
こうした五郎とワタルの姿を、作家その人と重ねあわせないことはむずかしい。とはいえ、作家のこの苦境は、彼が「うつほ」を燃やすものを見失ったからではないだろう。中上健次を襲った病魔が、彼の内部のあの豊穣な「うつほ」を蝕み、破壊したのだ。ただそれだけなのだ。
病から回復さえしていれば、そう、作家が生きてさえいれば、暗い淵の水に浸されていた体のように芯から冷え切っていた中上健次の「うつほ」は、ゆっくりと熱を回復し、たちまち燃え上がって、『鰐の聖域』、『蘭の崇高』から場所を奪い(そう、だからこれらの作品は未完でもまったく構わない)、それらを燃やし尽くしながら、途方もない新しい傑作を世に送り出し、いまもわれわれを焼き焦がしていたはずである。
小野 正嗣
Masatsugu Ono
©講談社(撮影/森清)
1970年、大分県生まれ。作家。仏語文学研究者。東京大学教養学部および大学院総合文化研究科で学んだ後、パリ第8大学で博士号取得。2001年、『水に埋もれる墓』で朝日新人文学賞、2002年、『にぎやかな湾に背負われた船』で三島由紀夫賞を受賞。2015年、『九年前の祈り』で第152回芥川賞受賞。著書に『森のはずれで』『線路と川と母のまじわるところ』『浦からマグノリアの庭へ』『夜よりも大きい』『獅子渡り鼻』など。現在、立教大学文学部教授。
おわりに
小野氏は、中上の創作の原液、その本質は、「空虚さ」なのではないかと論じます。
中上自身も講演で、空虚さの象徴である「うつほ=ほら穴」こそが芸術、文学いっさいの根源ではないかと語っています。
『宇津保物語』のほか、谷崎文学へのオマージュともいえる『重力の都』等の作品が、中上健次電子全集10 『物語文学への越境』に収録されています。
中上健次電子全集10 『物語文学への越境』
『宇津保物語』は、同名タイトルの日本最古の長編物語の翻案作品。本編は親子四代にわたる琴の伝承譚(たん)。中上が注目したのは、「北山のうつほ」で育った仲忠の異能と、この物語的なトポスとの関係であった。エッセイ「賤者になる」(『風景の向こうへ』所収)で作家は、「うつほ」を「疑似神話空間」であり、「現実の被差別部落と同一の働きをしているのではないか」とさえ言う。波斯国に漂着し、帰国後結ばれた女に秘琴と秘曲の伝授を施す俊蔭の孫・仲忠は、「北山のうつほ」という都周縁の秘境から都に帰還する貴種である。この物語的な流離を、中上は自身の作品世界に引き寄せたのである。
『重力の都』は、六篇からなる連作。「あとがき」で作者は、この作品を『春琴抄』を引き合いに「大谷崎の佳作への、心からの和讃と思っていただきたい。『重力の都』で物語という重力の愉楽をぞんぶんに味わった」と述べている。
『鰐の聖域』は晩年の未完作品の一つ。紀州熊野サーガ(物語群)の一角をなすはずの作品だった。ここでは、サーガの中心人物・竹原秋幸の長姉、次姉の子の世代、孫の世代が登場し、新たな物語の火種を仕込まれるのである。
初出:P+D MAGAZINE(2017/01/18)