【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール
池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の26回目。連合艦隊司令長官から海軍大臣として入閣、様々な業績を残した「岡田啓介」について解説します。
第26回
第31代内閣総理大臣
岡田啓介
1868年(明治1)1月21日~1952年(昭和27)10月17日
岡田啓介 写真/国立国会図書館ホームページ
Data 岡田啓介
生没年 1868年(明治1)1月21日~1952年(昭和27)10月17日
総理任期 1934年(昭和9)7月8日~36年(昭和11)3月9日
通算日数 611日
出生地 福井県福井市
出身校 海軍大学校
歴任大臣 海軍大臣など
ニックネーム
墓 所 東京都府中市の多磨霊園
岡田啓介はどんな政治家か
1.挙国一致内閣 の継続
岡田啓介は、新制度の
軍部と政党、官僚の協力によって非常時を乗り切ることが期待された点では、斎藤前内閣と同じでしたが、政党との関係は前内閣からさらに弱まり、岡田は議会運営に苦労します。
2. 二・二六事件時の総理
二・二六事件に先立ち、
二・二六事件はその流れで起こりますが、岡田総理だけでなく、大勢の政府要人、重要施設を襲った点で過去の個別テロの規模を大きく上回る、まさにクーデターでした。岡田総理は官邸にいましたが、決起部隊が人違いをしたため、奇跡的に
3.重臣として終戦工作
退陣後の岡田は、やがて重臣に加わりました。太平洋戦争がはじまると、戦争を終わらせるため、同じ重臣の
岡田は長男の
岡田啓介の名言
わたしの組閣の使命はそんな単純なものではない、
岡田啓介という人間がもみくちゃになるまで、
がんばってやるんだ。
――1936年(昭和11)、衆議院総選挙の実施に際して。『岡田啓介回顧録』より
終戦ということは、
戦争をはじめた内閣には
――
岡田啓介の人間力
♦時機をうかがう――岡田啓介
『岡田啓介回顧録』の末尾で岡田は、「無理をしてはいかん、というのがわたしの信条だった。自分がこうやろうと思ったことでも、無理押しはしない。やれる機運が出来てくるにつれて、自分の考えをやっていく」と語っている。斎藤と似かよった考え方だ。
陸軍の暴走をなだめつつ、岡田は
(「池上彰と学ぶ日本の総理25」より)
初出:P+D MAGAZINE(2018/01/12)