『百年泥』、『おらおらでひとりいぐも』(芥川賞受賞作)はここがスゴイ!
石井遊佳『百年泥』、若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』の受賞が決定した第158回芥川賞。その受賞候補となった5作品を、あらすじとともに徹底レビューします!
2018年1月16日に発表された第158回芥川賞。石井遊佳さんの『百年泥』、若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』の2作が見事受賞を果たしました!
『百年泥』は日本語講師である主人公が百年に一度ともいわれる洪水に遭い、泥の中から自分や生徒たちの過去にまつわる有象無象を発見するストーリー、『おらおらでひとりいぐも』はおひとり様となった主人公、桃子さんが日々を過ごすなか、脳内に響くあらゆる声と対話する……というストーリーの作品となっています。
受賞発表以前、P+D MAGAZINE編集部では、受賞作品を予想する恒例企画「勝手に座談会」を今回も開催。シナリオライターの五百蔵容さんをお招きして、『百年泥』を含む芥川賞候補作5作の徹底レビューを行いました。
果たして、受賞予想は当たっていたのか……? 白熱した座談会の模様をお楽しみください!
参加メンバー
(写真左から)
田中:P+D MAGAZINE編集部。
SFが好きで、特に好きな作家は伊藤計劃、佐藤友哉。
五百蔵 容:シナリオライター。
3度の飯より物語の構造分析が好き。Perfumeはもっと好き。
トヨキ:P+D MAGAZINE編集部。
昨年読んでよかった本は『往復書簡 初恋と不倫』(坂元裕二)。
目次
1.木村紅美『雪子さんの足音』:時代に流されながらもたくましく生きる人々
3.前田司郎『愛が挟み撃ち』:馬鹿馬鹿しいけれど「まあいっか」と思えてしまう
4.宮内悠介『ディレイ・エフェクト』:現代日本を真正面から描いた本格SF
5.若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』:変わり続ける主人公の生き方は愛おしい
木村紅美『雪子さんの足音』:時代に流されながらもたくましく生きる人々
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【あらすじ】
8月の終わり、薫は出張先のホテルの朝刊で、大学時代に下宿していた“月光荘”の大家、雪子が熱中症で亡くなったことを知る。20年ぶりにアパートを訪れようとする薫は、その道中で雪子をめぐる当時の日々を回想するのだった。
トヨキ:では、最初は木村紅美さんの『雪子さんの足音』から行きましょう。
田中:私はこれ、終始不穏な雰囲気でちょっと怖かったです。最初は月光荘の住人たちを気遣ってくれる面倒見のいい大家さんに見えた雪子さんが、薫の生活を把握し始めたり勝手に部屋に入ったりし始めて、だんだん怖くなってきて……。
五百蔵:前回の芥川賞の候補作にもなった今村夏子さんの作風にも近い雰囲気を感じますよね。
トヨキ:今村さんの『星の子』は前回3人とも絶賛して、残念ながら受賞には至らなかったわけですが、『雪子さんの足音』もそんな不穏さ、不気味さはあれど、よくできた作品だと感じました。でも、個人的にはこれが芥川賞候補作に選ばれるのはちょっと意外というか。あまり特出したものがないように感じたのですが、皆さんはどう読まれました?
五百蔵:今回、候補作の多くが「家族」とか「高齢化社会」といった軸を選んでいますよね。個人の視点に立ちながらも、そのひとりの人物の視点の中で日本の近代史をまるごと掴めないか、ということにトライしている作品が候補作に選ばれたと僕は捉えています。
個人の視点の中で近代史的なものを描こうとすると、雪子さんのような老人はキャラクターとして必然的に選ばれますよね。戦争や復興といった日本の栄枯盛衰をすべて経験している、まさに日本の近代史を生きてきた人たちですから。
田中:なるほど。じゃあ、私が怖いと感じた雪子さんも、ある部分では日本の近代史を反映しているキャラクターだと言えるんでしょうか。
五百蔵:そう思いますね。雪子さんというキャラクターのひとつの特徴として、サブカルチャー的というか、少女趣味の強い人だというのが挙げられると思います。アート風のものに関心が強く、小説を書いている薫に対して「パトロンになりたいの」と臆面もなく言ってしまうのもそうだし、月光荘の住人・小野田さんと薫を「キューピット」としてくっつけたがるのもそうだし。
戦時中の「爆弾が自分の上に降ってくるかもしれない」という経験を持つ人が、その一方で、いつまでも少女趣味を持ったまま死んでゆくというのには二面性を感じますよね。雪子さんの性格には、日本の近代史のある種の歪みみたいなものも映し出されているんじゃないかなと。
田中:そういう意味では、主人公の薫のキャラクターも近代史的というか、リアリティのある“偽善者”ですね。雪子さんに干渉されたくないあまり、息をするかのように嘘をつく(笑)。
トヨキ:でも私、薫には共感できますね。鬱陶しいから一度は雪子さんのことを突き放すんだけど、あとからちょっと「言いすぎたな」って手紙書いてみたりとか。こういう人いっぱいいるよね、と思います。
五百蔵:うん、共感はできる人物ですよね。すぐにイラついたり自分の行動を後悔するけど、なんだかんだメンタルも強いのですぐ立ち直る。偽善を重ねているんだけど悪いやつではないし、メインカルチャーを馬鹿にして洋楽しか聴かないみたいな……当時の下北沢にはこういう大学生がいっぱいいたよなと(笑)。彼も非常に近代史的というか、90年代以降の若者って感じですよね。
トヨキ:作中もうひとりのキーパーソン、小野田さんについてはどうでしょう。彼女は自分に女性としての魅力がないと自覚していて、自分をあからさまには突き放してこない薫に想いを寄せていますが。
田中:最後、20年ぶりに月光荘を訪れた薫が、いまの月光荘の住人から小野田さんの近況を聞くシーンがありますよね。あそこで、ああ、彼女も雪子さんに引きずられるようにして年をとったんだなと感じました。でもそれが悪い印象ではなく、地に足をつけて、なんだかんだでたくましく生きてきたんだなと。
トヨキ:たしかに、最後は小野田さん元気でよかったな、とちょっとホッとしました。小野田さん、大黒摩季とかDEENを聴いているメインカルチャーの人だというのもありますけど、薫に「浅い」と内心馬鹿にされているような感じがしてかわいそうで……。
五百蔵:“浅さ”で言えば、薫も変わらないですよね。というか、雪子さんも薫も、サブカルチャーの表層的な部分をすくって享受しているだけで、なぜそれを選んだか、なぜそれが好きかという部分には無自覚な人物として描かれている。
トヨキ:主体的ではないというか、メインカルチャーにせよサブカルチャーにせよ、みんな時代に流されてその層の中にいるだけなのかなと感じました。
五百蔵:そうですね。でもこの小説は、そんな登場人物たちの“浅さ”を決して批判していない。これは意図的で、そうしないと描けないものがあると作者は思ったんでしょうね。リアリティを感じさせる、厚みのある小説だと思います。
石井遊佳『百年泥』:新しい『百年の孤独』への憧れ
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【あらすじ】
交際相手に貸した金から多重債務者になった“私”は、借金を申し込んだ元夫からインド・チェンナイでの日本語教師の職を紹介される。インドに渡った“私”が赴任して3ヶ月半が過ぎる頃、百年に一度の洪水が発生。水が引いた後の出勤途中、“私”は泥の中から自分や生徒たちの過去につながる有象無象を発見するのだった。
トヨキ:次は『百年泥』ですね。正直に言うと、私はこれ、よく分からなかったです。
田中:私もちょっと「長いな」と……。
五百蔵:前回の候補作で言えば『真ん中の子どもたち』、その前で言えば『ジニのパズル』のように、荒削りだけれど試みが面白くて選ばれている作品かなと感じました。作者は、マジック・リアリズム的手法を用いた作品が好きなんですよね、おそらく。
田中:そうですね。掲載誌のインタビューでも「ガルシア・マルケスに影響を受けた」と発言されています。
五百蔵:作者は主人公と同じく、実際にインドで日本語講師をしている方とのことですから、もしかしたら自分がインドで経験したことそのものを「マジック・リアリズムの世界だ」と感じたんじゃないでしょうか。
トヨキ:たしかに街や人の描写には、作者本人が経験したこと、見聞きしたことなんだろうなと感じさせるリアリティがありますよね。文体もどこかエッセイというかブログ調で。
五百蔵:この作品を分かりにくいと感じる原因は、たぶんそこにありますよね。つまり、「作者がインドで感じたこと、見聞きしたこと」とマジック・リアリズムという「技法」の間を埋めるものがない。
トヨキ:なるほど……腑に落ちました。作中でインドの一部の人たちが「翼」を使って飛んでいる、という描写があったと思うんですが、どうしても「翼」というモチーフである必然性はあるのだろうかと思ってしまって。
五百蔵:有翼者の登場が非日常的な思い出話へと切り替わるスイッチなのは分かるんですが、それがスイッチとしてしか機能していない印象はありますよね。泥の中から出てくる物にしても同じで、ウイスキーの瓶といった具体的な物品は、主人公の記憶のスイッチを入れる物としてしか機能していない。
登場人物たちの過去と現在とのつながりの描き方も、少し薄く感じます。主人公も、かつては無口な女の子だったのに、いまではインドで日本語教師としてわりとたくましくコミュニケーションをとっている。彼女がどうしてそうなったのか、最後まで読んでもなかなか見えてこなくて。
田中:最後にデーヴァラージという日本語学校の生徒が自分の過去を語り始めるシーンがありますが、私はいっそ彼を主人公にしたほうが一貫性があったのではないか、と感じました。
トヨキ:たしかに、それはありかもしれないですね。
五百蔵:あと、感じたのは、作者の石井さんもそうだし、ガルシア・マルケスに衝撃を受けた作家はみんなそうですが、自分なりの『百年の孤独』をいつか書いてやろうという野心があると思うんですよ。
『百年の孤独』って、あるひとつの村の3世代の家族の話に過ぎないのに、ラテンアメリカの近代史がまるごと入っているような傑作ですよね。マジック・リアリズムの手法を用いてさまざまな世代のさまざまな視点をひとつの物語の中に押し込んでしまうという。
日本でも東日本大震災を経て、若い世代がそういった物語を書こうとしている野心を感じます。現時点ではまだ達成されていないと思いますが、日本でもそのうち新しい『百年の孤独』が出てくるんじゃないですかね。この作品にはそんな期待を感じました。
(次ページに続く)
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