評論家・西部 邁の最期の著作『保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱』

保守派の評論家である西部邁氏が、保守の真髄を語る一冊。2018年1月に多摩川で自死を遂げ、最期の書となりました。著者が亡くなる直前の2017年12月に書かれた書評を紹介します。

【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
大塚英志【まんが原作者】

保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱
保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱 書影
西部 邁 著
講談社現代新書
840円+税

戦時下を議論からスルーすることで見えなくなる矛盾

「保守」の人々がずっとぼくには奇妙なのは、この国の現在が近代によって損なわれたとする被害者感覚だ。例外は江藤淳で、「近代」が女性たちに一度開いた可能性を奪ったことへの奇妙な怒りがあったが、その江藤でさえ、戦後を占領軍によって損なわれた言語空間として描いた。「保守」の人々は、「近代」をそのつど、「戦後」や「民主主義」や「憲法」や「左翼」に象徴させ、「近代」によってかつてこの国にあった美徳が破壊された、だからそれを回復せねばならない、と呪詛する。
だが、戦時下の「新体制」に関する当時の資料を調べていくと、同様の近代への被害者意識が繰り返し語られていることに気付く。当時は「近代」は「アメリカニズム」(その意味では今は「中国」が嫌悪すべき近代の象徴なのだろう)と名指しされたが、そもそも「近代」を嫌悪し「復古」を掲げながら、この国の近代史の中では最も破壊的「改革」を行おうとしたのが新体制運動だった。若い世代が「保守」による旧体制打破と「改革」に賛同する光景は今と全く同じだ。
そして西部もまた「近代」をヘイトすることから免れていないと僕には思える。そういう「感情化」が、結局は「保守」が、近代批判を徹底出来ない理由だと彼が気付いていないとは思えない。西部は本書で現政権への名指しは避けつつ、「戦後からの脱却」を唱った保守政治家が「戦後の完成」を今やもたらしたと記すが、そうではなくて、「今」は戦時下の「改革」の「完成」に他ならないと書くべきだった。「近代」を嫌悪しながら近代化を推進する。その「保守」の矛盾を清算出来ないまま粛々と見えない革命が進行し、今や完成されつつある。戦時下を議論からスルーすることで、それが見えなくなる。本書は西部の最後の書として企画され、幸いにも後書きで気が変わったとのこと。だとすれば、「保守」の側からの徹底した戦時下の清算こそが聞きたい。そこで手を弛めるから、今時の「保守」がつけ上がるのだ。自死など考えず、ずるずると、論じ続けるべきだ。

この書評は2017年12月末に書かれました

(週刊ポスト 2018年2.9号より)

初出:P+D MAGAZINE(2018/07/17)

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