【清少納言はキラキラ女子?】『枕草子』をInstagram風に超訳してみた。
平安時代に清少納言によって書かれた『枕草子』。綴られているのは、キラキラ女子の日常だった……? 恋に仕事に全力投球! 平安のキラキラ女子こと清少納言の姿に迫ります。
普段は仕事をバリバリこなしているかと思えば、ナイトプールやリムジン女子会の煌びやかな様子をInstagramに投稿する“キラキラ女子”。流行に敏感なキラキラ女子たちは、自分たちが「いい」と感じたものをSNSで積極的に発信します。
そんなキラキラ女子は、今からおよそ1,000年前にも存在していました。それは、随筆『枕草子』の作者として知られる清少納言。彼女は自らの宮仕え生活の中で気づいたこと、感じたことを生き生きと『枕草子』に綴りました。「これって素敵!」、「あれは正直ちょっとないよね」と感覚的に紹介する様子は、SNSを活用するキラキラ女子に近いものがあります。
今回はそんな1,000年前のキラキラ女子こと、清少納言の日常を現代のInstagram風に超訳。今も昔も変わらない、キラキラ女子の姿を見てみましょう。
キラキラインスタグラマー、清少納言の日々。
枕草子の内容は、主に自然や人々の美しい面について述べた「随想的章段」、宮仕えをしていた日々を描いた「回想的章段」、そしてあらゆる物事の特色を集めた「類想(類聚)的章段」の三種類にわけられます。この「類想(類聚)的章段」とは、「○○なもの」というテーマにあてはまる物事や状況を紹介するスタイルのもの。清少納言はそこにウィットを効かせた言葉遊びをしたり、共感を呼ぶ物事を挙げています。
清少納言のセンスが光る、“ステキ”なものの数々。
では、実際に「あてなるもの」(上品で美しいもの)の章段を見てみましょう。
あてなるもの、うす色に白がさねの汗袗。かりのこ。削った氷にあまずら入れて、あたらしき金鋺に入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしきちごの、いちごなど食ひたる。
第四十二段「あてなるもの」より
【超訳】
上品で美しいものといえば、薄紫の下着に合わせる汗取りの衣。カルガモの卵。削った氷に甘茶をかけて、ぴかぴかの金のお椀に入れたもの。水晶の数珠。藤の花。梅の花にふりかかった雪。すっごくかわいい小さい子どもが、いちごを食べる様子。
#目指せ上品女子
#cute
#love
#like4like
#宮廷女子と繋がりたい
ただ無作為に「美しいもの」を挙げているように思えるかもしれませんが、雪や氷からは冷たく澄んだイメージ、幼い子どもの肌の美しさといちごの鮮やかな対比など、実は読者の五感を刺激するものをピックアップしています。清少納言は自分のアンテナにビビッときたものについて、思わず相手が「いいね!」を送りたくなるような構成作りに長けていたことが伝わってきますね。
女子必見。清少納言の思う、「情けないもの、興ざめなもの、嘆かわしいもの」とは。
InstagramをはじめとするSNSにおいて、「いいね!」を誘う話題の多くは、「わかる〜!」と共感を誘うもの。続いて、「あさましきもの」(情けないもの、興ざめなもの、嘆かわしいもの)の章段を見てみましょう。
刺櫛すりてみがくほどに、物に突き障へて折りたるここち。車のうちかへりたる。さるおほのかなる物は、所狭くやあらむと思ひしに、ただ夢の心地して、あさましうあへなし。
人のために恥づかしうあしきことを、つつみもなく言ひゐたる。かならず来なむと思ふ人を、夜一夜起き明し待ちて、暁がたに、いささかうち忘れて寝入りにけるに、烏のいと近く、かかと鳴くに、うち見上げたれば、昼になりにける、いみじうあさまし。
見すまじき人に、ほかへ持て行く文見せたる。無下に知らず見ぬことを、人のさし向ひて、あらがはすべくもあらず言ひたる。物うちこぼしたるここち、いとあさまし。
第九十七段「あさましきもの」より
【超訳】
櫛を磨いていたら、うっかりものに引っ掛けて折ってしまったとき。牛車がひっくり返ってしまったとき。(あんなに大きいものだからひっくり返ったりしないわ、と思っていた)
聞いているこちらが恥ずかしくなる悪口を、遠慮なく言われたとき。必ず来てくれると思ったあの人を一晩中起きて待っていたのに、結局明け方になってついつい寝てしまったらカラスの鳴き声で目を覚ました。気づいたら昼になってしまったなんて、すごく情けない。
見せてはならない人に、うっかり手紙を見せてしまったとき。こちらが全然知らないことを、私が言ったように責められてしまったとき。ものをひっくり返してこぼしたとき。どれもこれも、すごくしょげてしまう。
#life
#me
#nofilter
「あさましきもの」は大まかに言うと、取り返しがつかないほどの失敗や、予想外の出来事に目を疑ったり、しょんぼりしてしまう感覚を指す言葉です。櫛を折ってしまったことに落ち込む描写は、お気に入りのアクセサリーを壊してしまったということ。そう考えると、多くの人が「わかる!」と共感するはずです。
また、想いを寄せる人がやってくるかもしれない可能性を最後まで信じ続けるも、結局約束が果たされなかったエピソードは、女性は「切ない」「でも信じちゃうよね」と静かに頷いてしまうでしょう。
そんな共感を呼ぶ表現もまた、清少納言があらゆるInstagramユーザーから「いいね!」を誘う「キラキラ女子」のようであるからこそなのかもしれません。
「こんな男は嫌だ」?キラキラ女子がもの申す!
キラキラ女子に共通しているのは、恋愛面において充実した生活を送っている点。そうでなくとも、彼女たちは「付き合えるのなら誰でもいい」のではなく、毅然とした態度で、情けない男性を寄せ付けない強さがあります。
清少納言はというと、「暁に帰らむ人は」という章段で、あじけない男性とはどういった存在なのか、こう述べています。
暁に帰らむ人は、装束などいみじううるはしう、烏帽子の緒・元結かためずともありなむとこそ、覚ゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣・狩衣などゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ。
人はなほ、暁の有様こそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに、起き難げなるを、強ひてそそのかし、「明け過ぎぬ。あな見苦し」など言はれて、うち嘆く気色も、げに飽かず物憂くもあらむかし、と見ゆ。指貫なども、居ながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、何わざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。格子押し上げ、妻戸ある所は、やがてもろともに率て行きて、昼のほどのおぼつかならむことなども、言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて、名残もをかしかりなむ。
思ひいで所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰こそこそとかはは結ひ、直衣、袍、狩衣も、袖かいまくりて、よろづさし入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、つい居て、烏帽子の緒、きと強げに結ひ入れて、かいすふる音して、扇・畳紙など、昨夜枕上に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、「いづら、いづら」と叩きわたし、見出でて、扇ふたふたと使ひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそ言ふらめ。
第六十段「暁に帰らむ人は」より
【超訳】
朝早く女のところから帰る男が、きちんと身なりを整えて、烏帽子の紐をぎゅっとしめていくのはちょっとね。服を無造作に着ていたとしても、誰も笑いっこないんだもの。
むしろ、去り際の姿こそ心に残るのにね。渋々起きてきた男に「ほら、もうすっかり朝になってしまったわ。まあ、なんてお寝坊さんなのかしら」と女に急き立てられて、それでもどこか名残惜しげに女の耳元に昨晩の睦言を繰り返していたかと思えば、さっといつの間にか帰る支度をしているのがいい。
格子をあげて、ふたりで出口まで行ったときに男が「また会えるまでがもどかしいよ」なんて口にしながらも出て行ってしまう姿を見ると、ついつい名残惜しくなってしまう。
逆に、さっぱりと起きてきて、慌ただしく「あれはどこだ」とがさがさ暗いなか物音を立てて、「じゃあ帰るから」と去っていく男のあじけなさったらないわ……。
#love
#fit
#HAPPINESS
#alone
#HowToLove
一晩の思い出について、余韻を残してくれるような男性かそうでないか……本当にスマートな男性のあるべき姿について、清少納言は恋にも全力なキラキラ女子の視点から語りました。
たしかに、どたばた慌ただしく身支度をし、あっさりと帰ってしまう男性よりも、必要最低限の身支度を整えたら名残惜しい姿を見せてくれる男性のほうが、「また会いたい」と女性の心を掴みやすくなるでしょう。女性は思わず納得してしまう反面、男性は「なるほど」とアドバイスとして心に留めておきたくなる章段なのではないでしょうか。
いつの時代においても、女性を夢中にする男性の特徴はそれほど大きく変わっていないことがうかがえますね。
キラキラ女子VSクリエイター女子。相容れなかった清少納言と紫式部の関係。
平安のキラキラ女子こと清少納言と同じく、宮廷で皇后に仕えていた紫式部。ふたりは「ライバルだった」、「仲が悪かった」とされることも多いですが、実際は「年齢が離れていた」、「宮廷にやってきた時期がずれていた」という理由から「日常的に直接顔を合わせていた」とは言い切れない見方もあります。(※諸説あります)
では、なぜ仲違いをしていたような捉え方をされていたのかといえば、お互いのキャラクターが異なる点が原因なのでしょう。
江戸時代の学者、本居宣長は『源氏物語』について、「しみじみと心に湧き上がってくる感動」を表す「あはれ」という言葉を用いて「あはれの文学」と称しました。一方で『枕草子』に見られる「をかし」は、瞬間を切り取った感動を指すこともあるため、双方の感動は大きく異なるタイプのものといえます。
現代風に言い換えるのならば、「あはれ」は創作物において崇高で近寄りがたく、神格化したキャラクターや展開に抱く「尊い……」といった感動に近く、「をかし」はInstagramで大量に流れてくる投稿にボタンひとつで賛同できる「いいね!」のようなもの。紫式部は「こんな素敵な男性がいたらいいのに」と夢物語を書くクリエイターである一方、清少納言は目に入るあらゆる素敵なものを「こんなことがあったの!」と全世界に報告するインスタ女子です。
紫式部はそんな清少納言が気に入らなかったのか、『紫式部日記』にて激しい批判を行っています。
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。
【超訳】
清少納言って、ドヤ顔をしているわりにはたいしたことのない人でした。あれほどインテリぶってるくせに、漢字を書けば間違いばかり。その程度の学力、まだまだ足りない点だらけ。
当時、漢字を書くことは相当の身分の男性でしか身につけられないスキルでした。「でも、私はそれができるのよ」とドヤ顔で書き散らしていた清少納言に対し、「間違いだらけでよく言うわ」と紫式部は冷たく批判していました。
誇りかにきらきらしく、心地よげに見ゆる人あり。
【超訳】
プライドが高く、キラキラしている人はとっても気分が良いでしょうね。
紫式部はどちらかといえば控えめな女性。『紫式部日記』には、乗り気でないまま宮仕えをすることになってしまった苦悩や、宮廷で同僚に無視されたショックから引きこもりになってしまった出来事が綴られています。繊細で落ち込みやすい性格の紫式部からしてみれば、我が強い清少納言は少し鼻持ちならない存在だったことは想像に難くありません。
キラキラ女子とクリエイター女子、平安時代を代表する女流作家ふたりの性格を踏まえて作品を読んでみれば、印象が変わりますね。
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今も昔も変わらない、キラキラ女子の姿。
自分が良いと思ったものを積極的に発信し、恋も仕事も全力投球。そんな元祖キラキラ女子といっても過言でもない清少納言の鮮やかな日々が、『枕草子』には描かれています。
あなたもぜひ、宮廷を舞台にした、きらびやかで素敵な毎日を『枕草子』で味わってみてはいかがでしょうか。
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初出:P+D MAGAZINE(2018/10/04)