芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第53回】夫婦の愛を描いた珠玉の私小説
芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第53回目は、津村節子『玩具』について。破局寸前の夫婦関係の機微を丹念に描いた、珠玉の私小説を解説します。
【今回の作品】
津村節子『玩具』 破局寸前の夫婦関係の機微を丹念に描く
破局寸前の夫婦関係の機微を丹念に描いた、津村節子『玩具』について
ぼくの妻はごくふつうの家庭の主婦です。本はよく読むけれどもミステリーが多く、純文学は読まないようです。もしも自分の奥さんが文学好きで、自分でも小説を書くような人だったら、ずいぶんやりにくい人生になったのではないかという気がします。でも、世の中には、夫婦揃って小説家というカップルが、けっこういるのですね。吉村昭と津村節子も、そういう夫婦です。
吉村昭は『戦艦武蔵』『高熱隧道』『ふぉん・しいほるとの娘』『破獄』などの実録小説、歴史小説の大家です。しかし若い頃は純文学を志していました。吉村昭は学習院、津村節子は学習院女子で、学内のサークルで知り合いやがて結婚しました。吉村は芥川賞に4回ノミネートされ、そのうちの1回はほぼ受賞ということで記者会見の席に呼ばれながら、受賞に到らなかったという、不遇の時代を過ごします。すると少女小説を書いて家計を支えていた妻の津村節子が、この作品で芥川賞を先に受賞してしまうという、喜んでいいのか悲しむべきなのか、複雑な状況になってしまいました。
しかしやがて吉村昭は偉大な作家になりました。津村節子は妻として吉村の活動を支えました。吉村が亡くなったあと、津村節子は、異様なまでの執念で、吉村の想い出を書き続けています。まれにみる夫婦愛を、この2人には感じます。そのことを前提として、この芥川賞受賞作を読んでみたいと思います。
庶民の心理と日常を描いた私小説
タイトルの玩具というのは、子どものオモチャではありません。愛玩する小動物のことです。吉村はまだ不遇の時代です。若い頃、結核のために片肺をとる手術をした吉村は、無理のきかない体を駆使して、勤めに出ています。同人誌に発表する作品は、文壇からはまったく認められず、そのいらだちを癒すためか、小鳥、金魚、コマネズミなどを愛玩します。最初の子どもを妊娠している妻は、体調が万全でないこともあり、すぐに死を迎える小動物を飼うことが苦痛です。しかし家庭内では暴君の夫は、不機嫌な妻の気持を察することもなく、勝手気ままに生きています。
そういう夫婦のすれちがいを描いた私小説です。この作品で芥川賞を受賞するわけですから、津村自身も不遇の日々を過ごしています。吉村が大家となり、夫婦揃って作家として活躍した、その後の状況を知っているわれわれから見れば、のちに成功した人の不遇時代を描いた作品と見ることもできますが、作品を書いている時の津村には、夫の未来も自分の未来も見えていないのですから、絶望的な日々のようすを、リアルタイムで私小説にした作品ということになります。
私小説というと、酒に溺れて貧乏のどん底に落ちた無頼派の文学と、志賀直哉のような悠々自適の大家の達観した境地を描いた志賀流の私小説が、二大潮流となっているのですが、この津村節子の作品はどちらでもありません。ごくささやかな庶民の日常性を描きながらも、夢を捨てきれずにいる若い夫婦の微妙な心理が、見事に描き出されています。それでいて、どこか異様な、スリリングなものがこの作品からは感じられます。
ここに出てくる夫の姿が、やはりふつうではないのですね。若い頃に肺を摘出し、肋骨も何本か切除したのですが、吉村昭はその自分の骨を大切に保存しているのですね。そして骨というものに異様なこだわりをもっていて、活け作りのサシミを取り出したあとの骨だけになった鯛を泳がせる割烹料理屋があると聞くと、三重県までわざわざその鯛を見に行くといったエピソードが書かれています。あとで大作家にならなければ、ただのヘンな人といった感じでしょうが、そういう執念のようなものがあるからこそ、のちに膨大な資料を集め、全国に取材して実録小説を書く作家としてのスタイルが確立されたのでしょう。
夫婦の心理のズレと根底にある愛
このヘンな夫を、嫌悪するのではなく、その将来性を微塵も疑わない妻の信念もまた、見事というしかありませんし、わがままな暴君として君臨する夫を、優しく見守っている妻としての態度もすごいと思います。それでいて、この作品の方が芥川賞をとってしまう。まだ夫がすごい作家になったわけではないのに、黙々と夫に尽くすこの妻の姿に、選考委員も胸を打たれたのではないかと思います。そう思って選評も調べてみたのですが、どうもそれほど高く評価されているわけではないようです。小粒な作品だけど、今回は他にいい作品がないので……、といった消極的な選評が多いようです。
まあ、それも仕方のないことでしょうが、ここに出てくる夫が、芥川賞を4回も落ちた吉村昭だということは、選考委員も知っていたはずです。知っていて、この程度の評価なのかなと、痛憤を感じます。いま読み返してみれば、この作品はまぎれもない、私小説の名作だと断言できます。とても複雑な夫婦の心理のズレを、その根底にある深い愛によって支えながら、粘り強く対象化して、文学作品として描ききった津村節子の力量に驚かずにはいられません。
それにしても、ここに出てくる夫は、気位が高く、わがままで、自分は特別だと思っている、やりきれないほど傲慢な人物です。のちの吉村昭の業績を知っていれば、こういうことも許されるのだろうと納得できるのですが、当時の選考委員には、芥川賞を4回も落ちるダメな作家だという印象があったのかもしれません。結局、吉村昭は芥川賞を受賞することはなかったのですが、当時の選考委員をぶっとばすようなベストセラー作家になったのですから、運命というのは不思議なものだと思わずにはいられません。
初出:P+D MAGAZINE(2018/10/11)