【期間限定連載小説 第1回】百夜・百鬼夜行帖 第一章の壱 冬の蝶(前編) 作・平谷美樹 画・99.COM<九十九神曼荼羅シリーズ>

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「九十九神曼荼羅シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇時代小説が、この「百夜・百鬼夜行帖」です。
百鬼夜行帖最初のお話。上野新黒門町の薬種屋、倉田屋の庭に深夜、真冬だというのに蝶が舞うという。百夜が倉田屋の手代、左吉から祈祷を依頼されたのは、そんな面妖な事件。第一章の壱「冬の蝶」前編。

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文政年間の江戸。<おばけ長屋>に住む盲目の美少女祈祷師・百夜のもとに、薬種問屋・倉田屋の手代・佐吉が持ち込んだ事件は、「冬なのに倉田屋の裏庭に蝶が飛ぶ」という面妖な話。百夜は、祝詞や真言だけではどうにもならないような強い怨霊を、亡魂の力を借りて祓う御孁使かむいつかいでもある。その天賦の力で数々の怪現象や難事件を解決していく百夜。江戸の町に起きた怪異を綴る事件簿「百鬼夜行帖」の第一番に記録された”怪”の正体とは。

 

第一章の壱 冬の蝶(前編)1

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 文政期のある年の冬である。
 昼すぎから舞い始めた雪は、八ツ(午後三時)頃に一旦止んだ。
 身なりのいい若い男が湯島一丁目(現 外神田)の裏店、通称〈おばけ長屋〉の、木戸を潜った。
 うっすらと雪の積もったドブ板を踏んで奥に進み、一番奥の戸口に立った。
 腰障子には、
逆髪さかがみ刹鬼せっき亡魂ぼうこんさわり 憑物祓つきものはらい せ物探し よろず相談申し受け候 ゴミソの鐵次てつじ
 と、書かれている。
 ゴミソの鐵次は、腕のいい修法師ずほうし祈祷師きとうし)だと評判の男だった。
「ごめんくださいまし」
 男は中に声をかけた。
 返事はない。
「ごめんくださいまし」
 と、戸を叩きながら言う。
 やはり返事はなかった。
 男は困った顔をして、戸に手をかけて細く開けた。薄暗い室内に人気はない。
 男が肩を落とし、溜息をついた時、声をかけられた。
「鐵次に用事か」
 ぶっきらぼうな口調だったが、その声は年若い女のものだった。
 男は驚いて声の方を向いた。
 少女が立っていた。
 きりっとした太い眉で目鼻立ちがはっきりとした十五歳ほどの娘である。まぶたを閉じたままの目を男に向けている。
「へい──。どちらへお出かけかお分かりでしょうか?」
「どこかの大店おおだなの手代か」
「左様で」
 男は少し不機嫌な口調で返した。少女の口振りが偉そうだったからである。
「上野新黒門町で薬種屋を営みます倉田屋の手代、左吉と申す者でございます」
「わたしは鐵次の裏に住む百夜ももよという者だ。鐵次は所用あって出かけておる」
 まるで侍のような言葉遣いに左吉は戸惑った。
「用件ならばわたしが聞こう」
 百夜は言った。
「あなたが、で、ございますか?」
 左吉は不審げに訊く。
「鐵次を訪ねてきたのならば、きよばらいが目当てであろう。わたしも修法師だ」

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「あなた様が、で、ございますか」
「修法師と聞いて“様”がついたか」百夜は唇をゆがめて笑う。
「津軽の宇曾利山うそりやまで修行した。腕は鐵次よりもいい」
「左様でございますか──」
「疑うておるな。まぁよい。鐵次は数日留守にすると言って出かけた。急ぎの用ならば、わたしが聞くように言われておる」
「へぇ。それではお願い申します」
「よし。ついて参れ」
 言って百夜は長屋の裏手に回った。
 ずっと目を閉じていたので、目が悪いのかと思っていたが、百夜はすたすたと歩いて行く。左吉は小首を傾げながら後に続いた。
 百夜の部屋は、鐵次の部屋と土壁で隔てられたすぐ裏だった。
 百夜は戸を開けて三和土たたきに下駄を脱いだ。
 質素な部屋だった。
 四畳半余りの板敷きに畳はない。むしろが二重に敷かれているだけである。
 左吉は百夜に続いて筵の上に上がった。
 壁際に柳行李やなぎごうりが一つ。同じくらいの大きさの風呂敷包みが一つ。中央に部屋にそぐわない欅造りの長火鉢があって、鉄瓶が湯気を上げていた。
 左吉は違和感を感じた。
 臭いである。
 長屋に特有の、燈台に使う安い魚油の臭いがしないのである。
 もう一度部屋の中を見回すと、行灯あんどん瓦灯がとうもない。娘の部屋なら必ずあるべき鏡もない。
 なるほどと、左吉は百夜の顔を見る。
 やはり、目が見えないのだ。盲目ならば灯火も鏡も不要だ。
得心とくしんしたか」
 百夜が訊く。
「は──。何を、でございます?」
「わたしの目が見えないことをだ」
「はぁ──。その──」左吉は狼狽うろたえ、話題を変えた。
「モモヨ様とは、美しい名前でございますね」
「モモヨは“桃”に“代”ではない。百の夜と書く」
「左様でございますか」左吉は引きつった笑いを浮かべる。
「修法師様には相応しいお名前で──」
「それで、何があった?」
「蝶々なんで」
「蝶? 蝶がどうした」
「倉田屋の裏庭に飛んでいたのでございます」
「冬に蝶など飛ぶものか」
「最初に聞いたときには手前もそう申したのでございます──」
 左吉は子細を語った。
 三日前の夜のことである。
 倉田屋の主人徳兵衛は、古い帳簿を調べようと蔵へ向かった。倉田屋の蔵は三つ。裏庭に並んでいる。
 裏庭を通りかかると、なにやら白いモノがフワフワと飛んでいる。
 不審に思って闇の中で目を凝らすと、どうも蝶のようである。
 冬なのに珍しいこともあるものだ──。
 そう思っただけで、徳兵衛は蔵へ向かって調べ物をした。蔵から出てきたときにはもう蝶の姿はなく、徳兵衛は母屋へ戻ってそのことは忘れてしまった。
 翌日。同じように蔵へ調べ物に行くと、またフワフワと飛ぶ白いモノを目撃した。
 昨夜のことを思い出し、徳兵衛は蝶の側に近寄った。しかし、蝶は嫌がるように逃げる。
 ついに植え込みの陰に消えてしまった。
「そして、へぇ。昨夜ゆんべのことでございます。今度は正体を確かめるために主人と手前、丁稚二人が、暮れ六ツから裏庭の稲荷の側に陣取って、寒さに震えながら蝶々が現れるのを待ちました。そして、夜五ツ(午後八時)頃、蝶々が現れたんでございます」
「どのように現れた?」
「裏庭の真ん中の宙に、まさに忽然こつぜんと」
「確かに蝶だったのか?」
「へぇ。側によってよく見ようとすると、フワフワと逃げてゆく。なにしろ夜のことでございます。手燭てしょくの明かりも届かず、はっきりとは──」
「明かりがなければ物が見えぬとは、目開きとは不便なものだな」
 百夜は皮肉っぽく言った。
「それでも、あれは蝶々でございますよ」と、言いながら左吉は両の掌を広げ、親指を交差させて羽ばたくように動かした。
「こんな風に動いておりましたから」
「しかし、冬の蝶とは面妖だ」
「そうなのでございます。何か悪い報せではないかと主人も気を揉みまして、誰かに御祈祷をお願いせねばと」
「それで、鐵次を訪ねてきたというわけだ」
「いかがでございましょう。悪い報せなのでございましょうか?」
「話だけでは分からぬな」百夜は長火鉢の炭に灰をかけ、壁際の風呂敷包みを背負った。
「案内いたせ」
 と、立ち上がり、三和土に降りて下駄を履いた。
「へい」
 左吉は慌てて百夜の後に続いた。

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