【いつの時代もヤバい奴だらけ?】『雨月物語』を現代のゴシップ記事風に読み解いてみた。

江戸時代後期、上田秋成によって著された『雨月物語』。9つの物語で構成されたこの古典物語集の中では、生き霊や獣の化身などが登場人物たちにさまざまな災いをもたらします。しかし、実はそこに描かれていたのは……? ゴシップ記事風に読み解いていきます。

雨月物語とは?

江戸時代後期、上田秋成によって著された『雨月物語』。短篇小説ほどの長さの9つの物語で構成されたこの古典物語集の中では、生き霊や獣の化身などが登場人物たちに奇々怪々な災いをもたらします。しかし、実はそこに描かれていたのは今で言うところの、女たらし、ストーカー、共依存の話だった……? 今回はそんな『雨月物語』を現代に置き換え、ゴシップ記事風にまとめて紹介します。

書影雨月物語

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ランチの席でも飲み会でも、普段いろいろな人たちのゴシップを耳にしますよね。
話をする方は少しでも話を盛り上げようと尾ひれをつけて話すし、聞いている方はそれを眉唾ものとして聞きながら、「そういうことがあってもおかしくないよなぁ」と、どこか間に受けていたりもします。それが自分たちの身近な人に関するゴシップで、人柄についてもよく知っていると、「あの人ならやりかねないよね(笑)」と、ついつい話が盛り上がってしまいますが、ふと、「自分がその状況ならどうするんだろう、もしかしたら同じことをやってしまうかもしれない」と、心の隅でゾッとしてしまうようなことも……。

日本屈指の奇々怪々さを誇る物語集『雨月物語』にも、似たようなことが言えるかもしれません。妬み深い人間はやたら妬み深く、依存体質の人間はむやみに依存体質で、それらの登場人物たちは一見すると度が過ぎているようにも見えますが、そのようなところも、最初から最後まで必ずしも作りものだとは思えないところに、なんとも言えず身につまされるものがあります。今も昔も、人間の持つおぞましい一面は変わりないのかもしれません。今回はそんな『雨月物語』で、とくに印象深い3つの物語の中から抜粋して、普段私たちがよく耳にするゴシップ記事の形式で、その魅力に迫っていきたます。

1・ 女たらしで非情な男、正太郎/「吉備津の釜きびつのかま

現在の岡山県岡山市に、正太郎というひどく女癖の悪い男がいました。正太郎は磯良いそらという娘と結婚をしますが、すぐにそでという愛人を外につくり、磯良のところには寄りつかなくなります。正太郎の父親はそれを怒り、家の一室に正太郎を軟禁しました。その間、磯良は熱心に正太郎の身の回りの世話をして夫に仕えます。ところが、あろうことか正太郎は磯良の優しい心につけ入り、磯良を騙してお金を奪おうとするのです。

ある日のこと、父がいないすきをみて、正太郎は、磯良をそばへよぶと、甘い言葉で、「そなたの真心こもった心づくしを見て、いまでは自分が悪かったとつくづく後悔している。このうえは、あの女と手を切り、うまれ故郷へ送りかえして、それで父上の怒りをなだめやわらげるとしよう。彼女は播磨の印南野の出身であるが、親もなくて不幸ないやしい境遇にいるので、ついふびんに思って情をかけてしまったのだ。(中略)彼女を都へつれていって、ちゃんとした人の許に仕えさせたいと思うのだ。それにしても、私がこうして軟禁されて訪ねてもやれないので、さぞ万事につけて不自由で、困っていることだろう。都へゆく旅費と衣類といっても、誰も工面してやる者もないありさまだ。そなたがこれを工面して、彼女に恵んでやってはくれないか」

それを聞き、磯良は自分の衣服や身の回りの物を売り払い、自分の母親には嘘偽りを言ってお金を出してもらい、集めた金銭をすべて正太郎に手渡します。すると、正太郎はすぐさまそのお金を持ち出して、愛人の袖と二人で隣の兵庫県に駆け落ちするのです。

しかし、袖はその土地に着くが早いか病にかかってしまい、物の怪に憑かれたようなうめき声をあげ始めたかと思うと、発病してから七日後に亡くなってしまいます。悲しみに明け暮れる正太郎は、「もしかすると、これは故郷に置いてきた磯良の呪いかもしれない」と、疑いもしましたが……。

正太郎はその土地に袖のお墓を立て、毎日夕刻に墓参りに通うようになりました。ある日のこと、その墓地に一人の下女がいるのを見かけます。話を聞いてみると、ここには自分の仕えている家の主人のお墓がある、とその下女は言い、また、かつては隣の県にまで美人だと評判だったその家の女主人は、夫を亡くした悲しみからずっと体調を崩したままでいる、と言うのです。正太郎は多少の浮気心もありつつ、大切な人を亡くした者同士で悲しみを語り合いたいと思い、その下女の仕えている家へお見舞いに行くことにしました。ところが、その家で正太郎を待っていたのは……。

すると、女主人は、屏風をすこし引きあけて、「久しぶりでおめにかかるものですね。これまでのひどい仕打ちにたいする報いが、どんなものであるか、思いしらせてあげましょう」というので、正太郎はびっくりして、よくみると、これこそ故郷に捨ててきた妻の磯良であった。その顔色はひどく青ざめて、どろんとした眼つきは物凄く、こちらをゆびさす手が青く痩せ細っているのがおそろしく、正太郎は、思わず「ああッ!」と叫ぶと、そのまま倒れて、気をうしなった。

これは磯良の生き霊か、それとも憎しみが募るばかりに化け物へと姿を変えた磯良自身なのか……。物語はこの後もまだ続きます。

女性が放っておけなくなるような男の方がモテる?

二股や不倫というのはもはやゴシップの定番ですよね。正太郎の場合、結婚してすぐに愛人をつくり、しかもその愛人と駆け落ちするための費用を妻に出させるなんて……、どこかのゲス不倫と似ているような……。

それにしても、軟禁されている最中に正太郎が磯良に言う甘い言葉は、女たらしが使う甘い言葉のお手本のようにも思えます。まず相手のことを褒めてから反省している素振りを見せ、そして自身の優しさも見せつつ、自分には頼れる相手が他にはいないというふうに甘えて、最後には自分のふところに入れてしまう。女性が思わず放っておいてはいられなくなるようなところが、女たらしが女たらしたるゆえんなのでしょうか。

墓地で出会った下女に連れられ、正太郎は磯良と思いもよらぬ場所で再会します。物語の中ではそれは磯良の怨念のなせることとして描かれていますが、現代でならこれは偶然という範囲でいかにも起こりそうなことです。たとえば、恋人と浮気相手が大学の元同級生だったり、昔いたバイト先の同僚だったり、あるいは二股をしている最中に、片方の恋人が親友に会わせたいと言って用意してくれたディナーの席で、もう片方の恋人が待っていたり……。話を聞いている分には、その男性がひどく間抜けなようにも見えますが、なぜかそういう男性の方がモテたりするんですよね。

2・美女にはトゲがある/「蛇性の婬」じゃせいのいん

現在の和歌山県新宮市に、豊雄という裕福な家の次男坊がいました。豊雄は育ちの良いお坊ちゃんにありがちな、気が優しく、とてもお人好しの青年でした。ある日のこと、豊雄が外出中に突然の雨に降られ、知り合いの漁師の家で雨宿りをしていると、そこに侍女を連れた一人の美女が、「自分たちにも雨宿りをさせてほしい」と訪ねてきます。

やがて、家の外で、美しい声がして、「この軒下をちょっとお貸し下さい」といいながら、軒下に入ってくる人があるので、豊雄は、だれだろうと思ってそちらを見ると、年のころはまだ二十歳にならない、容貌といい髪のかたちといい、大そうあでやかな女性が、遠山ずりの色美しい着物を着て、召使らしい十四五歳のきれいな少女に包みをもたせ、ぐっしょりと濡れて、いかにも困った様子をしていたが、豊雄と視線が合うと、さっと顔をあからめて恥ずかしそうな様子をした。それがいかにも上品で美しいのに、豊雄も思わず心がゆらめいた。

それが豊雄と、美女の真女児まなご、そして侍女のまろやの出会いでした。後日、豊雄は真女児の家を訪ねました。すると、真女児は自分が未亡人であることを打ち明け、豊雄に求婚をします。お人好しの豊雄は真女児の境遇に胸を痛め、それを承諾し、真女児の宝物である太刀を貰い受け、自分の家に帰りました。翌日、豊雄の兄はその太刀が熊野速玉神社の宝物であることに気づき、訳を聞こうとして豊雄とともに真女児の家へ向かいます。しかし、昨日まではあった真女児の家が今はボロボロの廃墟と化していて、しかも奥には盗み出された宝物の数々が隠されていたのです……。

盗品の所持という罪で故郷を追放された豊雄は、現在の奈良県の桜井市に身を寄せ、そこでふたたび真女児とまろやと出くわします。涙を流しながら弁解をする真女児の姿を見て、豊雄は真女児のことを許してしまい、二人は正式に結婚をすることにしました。ところが、しばらく経ったある日のこと、旅先で真女児とまろやは化け物であることを見破られてしまいます。すると、二人は脇目も振らずに近くの滝の中へ飛び込み、豊雄の前から姿を消してしまうのです。

豊雄は今まで本当に騙されていたことに気づき、傷心して故郷の和歌山に戻ります。訳を聞いた豊雄の両親は、「独身でいるから悪い女がつくのだ」と考え、家柄の良い富子という娘と豊雄を結婚させます。ところが、結婚して二日目の夜に、寝室で突然富子が真女児の声色で喋り出し、豊雄を脅し始めたのです。

「旦那様、そんな不思議そうなお顔をなさいますな。二人の契りは海よりもふかく、山よりも高く、永久にかわるまいとかたく約束したことを、あなたが、はやくもお忘れになったとて、前世からこうなるときまった因縁があるのですから、こうしてまたお逢いするのですのに、あかの他人をいうことをまにうけて、無理に私を遠ざけようとなさるならば、お恨みして、きっとその仕返しをいたしますよ。紀州路の山々がたとえどんなに高くても、あなたの血を峰から谷へそそぎおとしてみせましょう。せっかくのお命をむだになくしてしまうようなことをなさいますな」というのを聞くと、豊雄はおそろしさのためにふるえおののくばかりで、いまにもとり殺されはしまいかと、気を失うばかりだった。すると今度は、屏風のうしろから、「御主人様にはどうしてそんなおむずかりなさるのですか。こんなおめでたいご縁結びではございませんか」といいながら出てきたのは、まろやであった。」

豊雄はそのまま気絶してしまい、翌朝目がさめると、そっと寝室を抜け出し、何とか真女児たちから逃れようとするのですが……。

優しい人は損をしがち?

豊雄と真女児の恋愛(?)は真女児の一目惚れから始まりますが、一目惚れをする女性が必ずしも純真無垢だとは限りません。真女児の場合は、豊雄にストーカーのようについてまわり、しまいには豊雄の優しい心を裏切り続けます。今で言うところの、一見清楚そうに見える可愛らしい女性が、計算高いメンヘラだった、というのに近いのかもしれません。物語の最後に、真女児は蛇の化身だということが判明するのですが、現代でも蛇の化身だと思わなければ説明がつかないくらい、妬み深い人間というのはいるものです。

真女児のせいで故郷を追放されたにも関わらず、豊雄は真女児の涙を見ると、真女児の行いのすべてを許してしまいます。そのような豊雄の優しさに、真女児は惚れ込み、つけ入っているのでしょうが……。

優しい人は相手によっては損をしがちです。今でも、相手の浮気を何度でも許してしまう人はいますよね。友人たちの間では、「え! あのふたりまだ付き合ってるの?」と話題に上がり、「ふたりがそれで良いなら良いけど。まあ、楽しそうで何より」と嘲笑の的にもなりますが、付きあっている当人たちはいつも必死で、毎日が修羅場だったりします。しかし、それは共依存の可能性も……。「蛇性の婬」も、豊雄と真女児の共依存の物語として読むと、また違ったおぞましさが見えてきますね。

3・住職と美少年、同性愛の果てに……。/「青頭巾」

改庵妙慶(かいあんぜんじ)という僧侶が旅の最中に、現在の栃木県の小さな村を訪れた時のことです。そこで村人たちから、村の近くの山に住んでいる寺の住職の話を聞きます。その住職は、自分の身の回りの世話をさせていた美少年の稚児を可愛がり、しだいに本来の住職の仕事まで怠るようになり、その稚児が病気にかかり亡くなったショックで、悲しみのあまり鬼と化してしまったというのです。村人はその時の住職の様子をこう説明します。

「(前略)あまりにお嘆きになられたので、その遺骸を荼毘にふし、土に葬ることもなさらずに、死体の顔に御自分の顔をくっつけ、死体の手に御自分の手を組んで、幾日かおすごしになられましたが、ついに気が狂って、その子が生きていたときとおなじようなたわむれをされながら、その肉が腐乱するのをおしんで、肉を食い骨をしゃぶって、とうとうすっかり食いつくしてしまったのです。」

その鬼と化した住職が山を下りてきて、村人を追いかけ回したり墓地のお墓を掘り起こしたりして、今では自分たちに悪さを働いていると村人は言います。改庵妙慶は村人の話を聞き、その住職を何とか正気に戻さなければならないと決心しました。

その夜、改庵妙慶が山に登り、すっかり荒れ果ててしまったその寺の中で座禅を組んでいると、どこからともなく鬼と化した住職が現れました。ところが、その住職には座禅を組んでいる改庵妙慶の姿が目に入らないらしく、泣き叫んだり、暴れ回ったりしているうちに、疲れ果ててその場で眠り込んでしまいました。

翌朝、改庵妙慶は、人間の姿に戻っている住職を起こし、もう村人たちに迷惑をかけず、もとの立派な僧侶に戻るように説得をします。住職は自分の行いを恥じ、正気に戻る意志があることを改庵妙慶に伝えました。そこで改庵妙慶は、「この問いの答えが分かれば、あなたも正気に戻ることができるでしょう」と言い、その問いを残し、自分のかぶっていた青頭巾を住職の頭にかぶせ、寺を去りました。

それからおよそ一年が経ち、改庵妙慶がふたたびその村を訪れると、村人たちはあの日以来もう鬼が山を下りてくることはなくなったと喜んでいました。改庵妙慶が山に登ると、寺のすぐそばの草むらの中で、坐禅を組みながら改庵妙慶の残した問いをぶつぶつと呟いている、すっかりやつれた住職の姿がありました。

僧師は、この男をじっとごらんになっていたが、やがて僧杖をとりなおすと「作麼生(そもさん)、なんの所為(しよい)ぞ」と一喝して、その男の頭を撃ちすえられた。すると、氷が朝日にてらされてたちまち消え失せてしまうように、この男の姿はたちまち消えうせ、あとにはただ、青頭巾と骨だけが、草葉の上にのこされただけであった。

依存しようと思って依存を始める人はいない

住職と亡くなった稚児とは同性愛の関係にあったのですが、人間は大切な存在がいなくなってしまうと性格がガラッと変わってしまうという話は、現代でもよく聞きますよね。鬼と化した住職と稚児の話は、可愛がっていたペットが亡くなったきっかけで痴呆症が進行してしまったという現代的な話と、どこか通じているようにも思えます。

それを「一つのものに依存しすぎた結果」として、冷静に見つめることは容易ですが、依存しようと思って依存を始める人はいません。改庵妙慶から出された問題の答えをずっと考え続けている住職の姿にも、やはりゾッとさせられるものがあります。一つのことに捕らわれると、それ以外のことには手をつけられなくなる人柄が、ここでも垣間見えてくるようです。

ヤバい、だけど他人事とは思えない『雨月物語』

今回は全部で九篇ある中の三篇の一部をそれぞれ紹介しましたが、『雨月物語』の中には他にも、一度交わした約束を果たす為に生き霊となって戻ってくる熱い男の話や、湖の鯉のように自由になりたいと思ううち本当に鯉になってしまい、しまいには釣り糸に引っかかってしまう僧侶の話など、どこか教訓めいた魅力的な話がたくさんあります。

生き霊や獣の化身の繰り広げる奇々怪々な出来事に、日常でゴシップ記事を耳にするような感覚で目を向けていくと、普通に古典を読むのとはまた違った面白みを味わう事ができます。あるいは読み終えてから、私たちの日常でも、生き霊や獣の化身の仕業としか思えないような出来事や人の心の揺れ動きが結構あるのだと、気づいてしまうようなことも……。

『雨月物語』だけではなく、日本の古典物語集の中には『春雨物語』や『宇治拾遺物語』など、現代の私たちの身にどこかつまされるような物語集がたくさんあります。あなたもぜひ魅力的な古典物語の世界を楽しんでみてはいかがでしょうか。

(訳文引用は、角川ソフィア文庫『改訂 雨月物語 現代語訳付き』によります)

初出:P+D MAGAZINE(2019/01/30)

本の妖精 夫久山徳三郎 Book.55
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