【期間限定連載小説 第37回】平谷美樹『百夜・百鬼夜行帖』第四章の壱 狐火鬼火(前編)

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「九十九神曼荼羅シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇時代小説が、この「百夜・百鬼夜行帖」です。
南町奉行所同心、三島が持ち込んだ怪事件。四谷近辺に三日続けてボヤがでた。赤く揺らめく炎、しかし近寄ってみると火はなく、燃えた形跡もない。すわ鬼火か、狐火か。第四章の壱「狐火鬼火」前編。

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四谷の連続鬼火事件は、品川・稲荷山の異変に発展。神々の領域に踏み込む盲目の御霊使百夜。女修験者・桔梗も登場する新章の幕開け。九十九神曼荼羅シリーズ内時代劇シリーズ「百夜・百鬼夜行帖」第四章の壱は「狐火鬼火」。

 
 
 
 

第四章の壱 狐火鬼火(前編)1

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「おっと!」
 左吉は腰障子を開けた途端、大きな声を上げた。
 目の前に、年寄りの顔があったからである。
「たまげた!」
 老人も同時に声を上げた。野暮ったい木綿の着物をまとった六十前後の男だった。後ろに下男らしい男が付き添っていた。
 湯島一丁目の〈おばけ長屋〉、百夜の家である。
「わたしに用か?」
 百夜はに降りて草履を履き、仕込み杖を手に取りながら戸口の老人に訊いた。
「へぇ……。ここは、イタコの百夜さまのお宅でございましょうか?」
「お宅と言うにはいささか汚いが、いかにも百夜の住まいだ」
「あなた様が百夜さまで?」
「左様。清め払いの依頼であれば、申し訳ないが少し待ってもらわねばならぬ。今から仕事で出かけるところだ」
「左様でございましたか」
 と、老人は困った顔をした。
「すまねぇな。爺さん」と、左吉は老人の横を擦り抜けて外へ出ながら言った。
「急ぎの用事なんだよ」
「紙にそなたの名と在所を書いてもらえば、後から伺おう」
「分かりました。致し方ありません。書き付けを置いておきますので、お気をつけてお出かけ下さいませ」
 老人は頭を下げた。
「すまぬ。そうしてくれ」
 百夜は言って左吉を追った。
 老人は懐から紙と矢立を出すと、
〈品川 木畠こばた村 庄屋 治兵衛〉
 と、書き記し、長火鉢の側に置いた。

     ※          ※

「それで、三島はどんな様子だったのだ?」
 百夜は昌平橋へ向かう坂道を歩きながら訊いた。
 三島とは、三島吉十郎──。南町奉行所の同心。〈あかしのろうそく〉の事件のおりに、百夜が手柄を譲ってやった男であった。
「なんとか百夜さんに取り次いで欲しいと、ウチの旦那に平身低頭でござんしたよ」
 ウチの旦那とは、上野新黒門町の薬種屋、倉田屋の主人徳兵衛。左吉は倉田屋の手代である。
「旦那が、それは左吉の役目だって言うと、あっしにまでヘコヘコと頭を下げやがって。みっともねぇったらありゃあしねぇ」
「〈あかしの蝋燭〉の件がよほど堪えたのであろうよ」
 百夜と左吉は、晩夏の涼しい風に吹かれながら昌平橋を渡って神田川沿いに西へ向かった。お堀を回り込むようにして四谷に歩く。
 三島が持ち込んだ事件はこうである。
 三日前の夜。
 四谷坂町の小間物問屋、甲州屋の丁稚が、せっちんに起きた。用を足して手水ちょうずばちの水で手を洗っていると、中庭を挟んだ母屋の障子に赤い光が揺らめいていた。
 丁稚は「火事だ!」と叫んだ。
 声に驚いた者たちが中庭に出ると、確かに障子の向こうに火の揺らめきが見えた。
 慌てて座敷の障子を開けると、ぱっと火が消えた。
 不審に思って中に入ってみたが、火の燃えた形跡はない。焦げ臭いにおいも煙も漂ってはいなかった。
 二日前の夜。
 四谷塩町一丁目の長屋で「火事だ!」という声が上がった。夜遊びから帰った男が、長屋の腰障子に赤い光を見て叫んだのだ。ぼてふりの飴売りを生業としている男の部屋だった。
 火事だの声に飛び出してきた当の飴売りと女房は、自分の家の前に水の入った手桶を持って集まった店子たちの姿を見て驚いた。
 室内には火の気はなかった。

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 昨夜は四谷伝馬町二丁目の呉服問屋で同様のことがあった。
 三件の奇妙な小火ぼや騒ぎは、とりあえず番所に届けられ、月番であった南町奉行所に知らされた。最初に騒ぎのあった甲州屋が「何者かが火付けをしているのではないか」と不安がったので、同心三島吉十郎が調べることになった。
 ところが、騒ぎのあった座敷や長屋の部屋に、物の燃えた形跡はない。だが、店の人々や長屋の住人たちは確かに火を見たと言う。
 目撃した人々の中から「鬼火ではないか?」という囁きが出て、三島は恐くなった。
 それで、〈あかしの蝋燭〉の件で世話になった百夜を思い出し、関係のある倉田屋へ相談を持ちかけたのであった。

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