【映画『翔んで埼玉』大ヒット記念!】埼玉県人による埼玉に詳しくなれる小説3選

映画『翔んで埼玉』が大ヒットを記録しています。映画や原作をご覧になった方の中には、「もっと埼玉の地名やローカルネタに詳しければ、よりこの作品を楽しめるのに!」と思われた方も少なくないのでは? そこで今回は、埼玉が舞台の名作小説を3作品ご紹介します!

出身地や居住地によって激しい差別が公然と行われている架空世界の日本を舞台に、東京都民に虐げられる埼玉県民の姿を自虐的に描いた映画、『翔んで埼玉』が大ヒットを記録しています。

原作は、『パタリロ!』などで知られる魔夜峰央が1982年から1983年にかけて発表した同名のギャグ漫画。テレビ番組での紹介やネットでの拡散などをきっかけに2015年に復刊された同作は、映画化に伴い、発表から30年以上の時を経て大きな話題を集めています。

映画や原作をご覧になった方の中には、「もっと埼玉の地名やローカルネタに詳しければ、よりこの作品を楽しめるのに!」と思われた方も少なくないのではないでしょうか。あるいは、「(いままではまったく興味がなかったけれど、)埼玉のこと、ちょっと気になるかも……。」と思われている方もいるかもしれません。

そこで今回は埼玉県人のライターが、“埼玉”を舞台とした文学作品を3つご紹介します。「この小説の舞台、埼玉だったの!?」という驚きとともに、作品の解説をお楽しみください。

埼玉の山からUFOを観測する、三島の超異色作『美しい星』

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4101050139/

三島由紀夫が1962年に発表した小説『美しい星』は、火星人の父・大杉重一郎、木星人の母・伊余子、水星人の息子・一雄、金星人の娘・暁子という宇宙人の一家を主人公とする物語です。
大杉一家は、

冷戦と世界不安、まやかしの平和主義、すばらしい速度で愚昧と偸安への坂道を辷り落ちてゆく人々、にせものの経済的繁栄、狂おしい享楽慾、世界政治の指導者たちの女のような虚栄心

から人類を救うことこそが自分たちの使命だと信じています。重一郎は「宇宙友朋会」なる会を作って世界平和達成のための講演会を各地で開いたり、暁子はソ連に核実験をやめてほしいという嘆願書を書いたりと、一家はそれぞれに人類滅亡の危機を乗り切ろうと奮闘します。

実はこの『美しい星』において、大杉一家が住んでいるのは埼玉県飯能市という設定。物語の冒頭にも、空飛ぶ円盤を目撃するため、一家が飯能市の外れにある羅漢山(現・天覧山)に出かける様子が描かれています。

なぜ、この物語の舞台が飯能市だったのか? ──その答えは、三島由紀夫自身が入会していた「日本空飛ぶ円盤研究会」の会合やUFO観測活動も、実際に飯能市で行われていたから。
三島はもともと超常現象やオカルトに強い関心があったとさまざまな文章の中で語っており、1955年に発足した同研究会にも、発足当初に加入しています。三島は活動の中で羅漢山からUFO観測を試みたこともあるようですが、残念ながらなにも現れなかったそう。

UFOを見られなかった三島は、UFOとは“芸術上の観念”だと思い至り、それをきっかけに『美しい星』を書いたと随筆の中で語っています。

北村小松氏と二人で、自宅の屋上で、夏の夜中、円盤観測を試みたことも一再にとどまらない。しかし、どんなに努力しても、円盤は現はれない。(中略)そこで私は、翻然悟るところがあり「空飛ぶ円盤」とは、一個の芸術上の観念にちがひないと信じるやうになつたのである。さう信じたときは、この主題は小説化されるべきものとして、私の目前にあつた。小説の中で円盤を出現させるほかはなく、しかもそれは小説の末尾に、人間の絶望の果ての果てにあらはれなければならなかつた。
『「空飛ぶ円盤」の観測に失敗して――私の本「美しい星」』より

天覧山は標高197mほどのとても低い山ですが、現在でも、オカルト愛好家たちの間ではUFOの観測スポットとして密かに人気だといいます。

合わせて読みたい:『美しい星』が実写映画化!原作小説の魅力と時代背景を徹底解説。

苦悩する埼玉の教師を主人公とした『田舎教師』

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4101079021/

自然主義の代表的な作家で、好きだった女性の蒲団を嗅ぐという衝撃的なラストで有名な小説『蒲団』の作者でもある田山花袋。彼自身は群馬県の出身ですが、妻・里さが埼玉出身であったことから、たびたび里さの実家を訪ね、多くの物語の舞台にもしていました。

田山花袋が1909年に発表した『田舎教師』は、こんな文章から始まります。

四里の道は長かった。その間に青縞の市のたつ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き、豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた。赤い蹴出しを出した田舎の姐さんがおりおり通った。

清三の前には、新しい生活がひろげられていた。どんな生活でも新しい生活には意味があり希望があるように思われる。五年間の中学校生活、行田から熊谷まで三里の路を朝早く小倉服着て通ったことももう過去になった。

主人公は、埼玉の行田に住む文学青年・清三。彼は文士になるという大きな夢を持ちながら、その夢がすぐには叶わないことも自覚しており、羽生にある小学校に赴任します。清三は貧しい明治期の青年らしく、稼ぐために働かなければならないという現実と、文士として名を立てたいという大志の間で苦悩し続けます。

清三の心情が揺れ動くさまは非常にリアルで、いま読んでも決して古さを感じさせません。特に、現実に満足している同僚の“田舎教師”たちに「まごまごしていると自分もこうなってしまう」と感じるシーンなどは、思わず共感してしまう読者も少なくないはず。

この『田舎教師』には、小林秀三というモデルが存在します。小林秀三は田山花袋の妻・里さの実家である建福寺(羽生市)に下宿していて、田山は小林の死後、彼が遺した日記に綴られていた文学青年の苦悩に創作意欲を掻き立てられ、『田舎教師』を書いたと回想集『東京の三十年』にも記しています。

青年のリアルな苦悩が感じられるのはもちろん、この作品のもうひとつの魅力は、明治期の埼玉(行田~羽生近辺)の様子が非常に詳細に描かれていることです。

翌日、午後一時ごろ、白縞の袴を着つけて、借りて来た足駄を下げた清三と、なかばはげた、新紬の古ぼけた縞の羽織を着た父親とは、行田の町はずれをつれ立って歩いて行った。(中略)町と村との境をかぎった川には、葦ややながもう青々と芽を出していたが、家鴨が五六羽ギャアギャア鳴いて、番傘と蛇の目傘とがその岸に並べて干されてあった。町に買い物に来た近所の百姓は腰をかけてしきりに饂飩を食っていた。

文学青年の独白とともに、趣ある埼玉の風景描写も楽しむことができる傑作です。

埼玉が誇る伝説の攻防戦の舞台、『のぼうの城』

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2012年の映画化で話題を集めた和田竜による歴史小説『のぼうの城』も、埼玉県行田市に存在した「忍城」を舞台としています。

『のぼうの城』は、豊臣秀吉が天下統一を目前に控えていた戦国時代の物語。秀吉は、石田三成に「忍城を討ち、武功を立てよ」と命じます。2万の大軍で城を討とうと攻める三成勢に対し、忍城勢はわずか2000人ほど。しかし、そんな不利な状況の中、忍城を束ねる成田長親はその圧倒的な群衆からの人気によって兵の士気を高め、三成勢に圧勝するのです。

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この壮大な攻防戦の舞台となった忍城は、関東7名城のひとつ。忍城は湿地帯を利用し、周囲に点在する沼地を活かして建てられており、三成軍からの水攻めに耐え抜いたという功績から「浮き城」「亀城」などとも呼ばれています(余談ですが、埼玉県民である筆者の叔父はこの功績に対し、「忍城の逸話は埼玉が誇れる唯一のエピソード」と話していました)。

ちなみに、「うまい、うますぎる」というキャッチフレーズのご当地CMで有名な埼玉県民のソウルフード「十万石まんじゅう」は、忍城に藩庁を置く忍藩の石高が10万石であったことを由来として戦後に発売された、埼玉県行田市の銘菓です。
この銘菓のパッケージのイラストを手がけているのは、世界的な版画家・棟方志功。棟方はパッケージイラストの依頼を受けた際、初めて十万石まんじゅうを口にし、「うまい、行田名物にしておくにはうますぎる」と言った(※)のだそうです。

(※……株式会社十万石ふくさや「【うまい、うますぎる】誕生秘話」より)

おわりに

筆者自身も埼玉県民ですが、東京都民や神奈川県民に比べ、埼玉県民には郷土愛が薄い、とよく言われます。しかし、『翔んで埼玉』のような痛烈な自虐ネタに声を上げて笑うことができるのは、「とはいえ埼玉、(家賃も安いし)悪いところじゃないんだよな」という愛があるからだとも思えるのです。
映画や原作をきっかけに少しでも埼玉のことが気になった方は、ぜひ、今回ご紹介した“埼玉小説”にも手を伸ばしてみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2019/04/05)

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