【第161回芥川賞受賞】鬼才・今村夏子のおすすめ小説3選
『むらさきのスカートの女』で第161回芥川賞を受賞した小説家・今村夏子。その独特の小説世界は、多くの現代文学ファンを惹きつけてやみません。今回は、『むらさきのスカートの女』を含む今村夏子のおすすめ作品をご紹介します。
短編小説『むらさきのスカートの女』で第161回芥川賞を受賞した小説家・今村夏子。寡作として知られながらも、新作を発表するたびに現代文学ファンの間で大きな話題を呼ぶ彼女の作品には、一度知ると癖になるような不思議な魅力があります。
今回はそんな今村夏子の作品の中でも特におすすめの小説を、3作品ご紹介します。
第161回芥川賞受賞作!『むらさきのスカートの女』
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『むらさきのスカートの女』は、第161回芥川賞を受賞した今村夏子の最新作です。語り手である「わたし」が近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれている女性のことを気にかけ、同じ職場で働くことで友達になろうとする──というストーリーの本作は、今村夏子の持ち味である不穏さや先の読めない展開を存分に味わえる1作となっています。
「むらさきのスカートの女」は職を転々としている中年女性で、どの仕事も長続きせず、休みの日には公園のベンチに座ってパンを食べることを習慣としています。「わたし」は「むらさきのスカートの女」のことを気にかけるあまり、彼女が座るベンチにマーカーで印をつけたアルバイト情報誌を置いたり、商店街で試供品を配る店員のふりをして彼女にいい香りのシャンプーを手渡したりするなど、ありとあらゆる手段を使って「むらさきのスカートの女」が自分の職場の面接に来るように誘導します。
晴れて「わたし」と同じ職場となった「むらさきのスカートの女」は、「わたし」の予想に反し、職場の中で人気者となっていきます。それでも彼女と友達になる夢を諦められない「わたし」は、隙を見ては彼女に近づこうとするのですが、なかなかうまくいきません。
「むらさきのスカートの女」はやがて職場の所長と不倫をするようになり、それに気づいた「わたし」は、商店街の人々が「むらさきのスカートの女」を祝福するという妄想を膨らませます。
商店街はバージンロードさながらだ。誰かが堪え切れずに『おめでとう!』と叫ぶ。それまで看板の陰に隠れていた子供たちがピョンピョン飛び出てきて、ピューピューと指笛を吹き鳴らす。(中略)いつのまにスタンバイしていたのか、テレビカメラが二人の顔をアップで捉え、インタビュアーが『今のお気持ちを!』とマイクを向ける。むらさきのスカートの女がカメラ目線になったその瞬間、画面の端にほんのわずかな隙間ができて、一瞬何かが映り込む。何だあれは。
『アッ』
『黄色いカーディガンの女だ!』
お気づきの通り、この「黄色いカーディガンの女」とは「わたし」自身です。読者は「わたし」の視点で語られる「むらさきのスカートの女」の詳しすぎる描写を通じ、世間からどこかずれ、狂気じみているのは「むらさきのスカートの女」ではなく、むしろ「わたし」のほうなのだと次第に分かっていきます。
物語において、語り手の異常性を少しずつ開示していく本作のような手法は決して珍しいものではありませんが、『むらさきのスカートの女』は読者がそのしかけに気づいてもなお楽しめるような緻密さとユーモアに満ちています。張り巡らされた小さな伏線が気になってページをめくる手が止まらなくなるような、一気読み間違いなしの傑作です。
(合わせて読みたい:
・第161回芥川賞受賞作! 狂気の源泉がわからない怖さ/今村夏子『むらさきのスカートの女』
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風変わりな少女・あみ子の目から見る世界──デビュー作『こちらあみ子』
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『こちらあみ子』は、2010年に『あたらしい娘』として発表(のちに改題)され、第26回太宰治賞、第24回三島由紀夫賞をW受賞した今村夏子のデビュー作です。
本作の主人公は、あみ子というちょっと風変わりな高校生の少女。あみ子は両親と離れて祖母の家で生活しており、“前歯が3本欠けている”ことが物語の冒頭で明かされます。そんなあみ子が父と母、兄と共に暮らしていた小学生時代を回想するというのが本作のストーリーです。
あみ子は天真爛漫で明るい少女ですが、給食のカレーをインド人を真似て手で食べてしまう、チョコレートのついたクッキーのチョコレート部分だけを舐めとって人にあげようとしてしまう……、といった奇行が目立ち、小学校ではいじめられています。しかし、あみ子自身は自分が浮いていることを意にも介さず、同じクラスの「のり君」に片思いをしています。
ある日、あみ子の母親が女の子を流産してしまい、あみ子の一家は悲しみに包まれます。しかし、状況を理解できていないあみ子は生まれる予定だった子どもを弟だと勘違いし、母親を励まそうと、習字の上手なのり君に「弟のおはか」の文字を書いてほしいとお願いするのです。
「これに、弟のおはかって書いて」
「ばかじゃろう」
「弟死んどったけえね。おはか作りたいんよ」
「ばかじゃ。あっち行けや」
押し問答の末にのり君が書いてくれた「弟のおはか」という木札が庭先に植わっているのを見て、あみ子の母親は声を上げて泣き出してしまいます。この出来事を機にあみ子の家族たちの心はばらばらに離れていきますが、あみ子はひとり、一家に何が起こっているのかをいまいち理解できないまま育っていきます。
人の気持ちをまるで分かろうとしないあみ子の言動や行動の数々に、はじめは苛立ちや恐ろしさを感じる読者も多いかもしれません。しかし、「のり君」や家族に対するあみ子のコミュニケーションの身勝手さは、言い換えればとてつもなくピュアで一途な愛情とも捉えられます。
作中に、あみ子がおもちゃのトランシーバーを使って「こちらあみ子、こちらあみ子、応答せよ」と架空の相手に対して呼びかけるシーンがあります。本作を読み終える頃には、そんなあみ子の呼びかけに対し、不思議と言葉を返したくなるような気持ちになるはずです。
新興宗教に心酔する両親のもとに生まれた娘の物語──『星の子』
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『星の子』は、新興宗教に心酔する夫婦と、その夫婦の娘である「ちひろ」の生活を静かなタッチで描いた作品です。本作は、第157回芥川賞候補にもノミネートされました。
物語は、虚弱児として生まれ原因不明の湿疹が治らないちひろを心配し、彼女の両親がさまざまな民間療法に手を出す中で不思議な“水”に出会うところから始まります。ちひろの父親が同僚の落合さんから薦められた「金星のめぐみ」という名の水を彼女の身体に塗ると、不思議とちひろの湿疹は綺麗に治ってしまいました。この出来事をきっかけに、ちひろの両親は落合さんが所属する謎の宗教団体に心酔していきます。
父は落合さんのいうとおりに洗面器の水にタオルを浸し、軽くしぼったものを折り畳んで頭の上にのせた。
「ア……、ア、なるほど……」
「どうですか」
「なるほど。こういうことですか」
「巡っていくのがわかるでしょう」
「わかります」
やがてちひろの両親たちは落合さんに誘導されるまま怪しい聖水を浸したタオルを頭の上に乗せて生活するようになりますが、その状況を特に疑問に思わないちひろとは反対に、ちひろの姉のまさみは不満を募らせていきます。高校生になったまさみは「聖水」の中身を水道水と入れ替えるという手を使って両親たちの目を覚まそうとしますが、それでも彼らの信仰心は揺らがず、まさみは家を出てしまいます。
カルト宗教を信じて疑わないちひろの両親や団体の幹部たちの振る舞いは恐ろしいものでありながら、ちひろ自身が事の重大さに気づかず明るく暮らしていることもあり、カラッとしたユーモアも同時に感じられます。先の読めない展開とそこはかとない不気味さを堪能した先には、ぞくりとするようなラストシーンが待っています。物語を読み終えたあとに残る興奮と後味の悪さを、ぜひ実際に体感してみてください。
(合わせて読みたい:『影裏』(えいり)はここがスゴい!【芥川賞】)
おわりに
今村夏子の作品の魅力は、難解な言葉や凝った比喩を決して使わないにも関わらず、緻密でたしかな筆致で物語を展開させる巧みさにあります。主人公は皆共通してとても“狭い世界”の住人でありながら、その視界を通して読者が見ることになる光景は新鮮な驚きに満ち、同時にどこか不穏でもあるのです。
今村夏子は王道の純文学の書き手でありながら、なによりも物語の純粋な面白さで読者を惹きつけてやまない稀有な作家です。寡作ではありますが着実に素晴らしい作品を発表し続けている今村夏子から、今後も目が離せません。
初出:P+D MAGAZINE(2019/08/19)