【お酒、タバコ、衝動買い……】悪癖を「やめること」を応援してくれる3冊のエッセイ
世の中には、なにかを「新しく始める」ことの背中を押すような言葉が溢れています。しかし、ずっと続けてきてしまった悪い習慣を「やめる」ことも大切なはずです。今回は、なにかを「やめる」ことを応援してくれるエッセイを3冊ご紹介します。
ダイエットやスポーツ、習い事、脱毛──。世の中には、なにかを「新しく始める」ことの背中を押すような言葉が溢れています。実際に、電車広告や憧れの芸能人の言葉に影響を受けて、ジムの契約をしてみたり、料理教室に通い始めてみたり……、といった新しい一歩を踏み出してみたことのある人は多いのではないでしょうか。
新しいチャレンジを始めることは、もちろんとても大切なことです。しかし実際には、「始める」ことと同じくらい、なにかを「やめる」ことも重要なはず。特に、お酒やタバコ、衝動買いや暴飲暴食といった悪癖を、見て見ぬ振りで長年続けてきてしまった──という方はたくさんいらっしゃるはずです。
そこで今回は、なにかを「やめる」ことの背中を押してくれるような選りすぐりのエッセイを、3冊ご紹介します。
【お酒をやめる】『しらふで生きる』(町田康)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4344035321/
『しらふで生きる』は、酒好きとして知られる小説家・町田康が酒をやめ、タイトルのとおり“しらふで生きる”ようになるまでの経験を綴ったエッセイ集です。
町田氏はもともと、自他ともに認める“大酒飲み”であったと言います。
私が酒飲みということは世の中にも知れ渡り、よく知らない人からも、「たいそう召し上がるそうですなあ」と言われた。名うての酒飲み、ということになったのである。(中略)
それをよいことに飲みに飲んで、差されれば必ず受け、差されなくても手酌で飲んで斗酒をなお辞さない生活を三十年にわたって続けた。
しかしそんな町田氏は平成27年の12月某日に、突如、“長い年月、これを愛し、飲み続けた酒をよそう、飲むのをやめようと思ってしまった”のです。彼はその理由を“判然としない”と述べながらも、おそらく“気が狂っていた”からだ、と結論づけます。彼にとっては酒を飲んでいる状態こそが正気であり、酒を断っている状態は狂気なのであって、気が狂った状態で始めた断酒がたまたま長い期間続いてしまって引くに引けなくなった──という状態であるようです。
ことに最初の三か月目くらいまでは、自分は禁酒しているのだ、自分は酒を断った人間だ。自分は酒を飲まないということが強く意識せられ、自分の人生にもはや楽しみはない。ただ索漠とした時間と空間が無意味に広がっているばかりだ、という思いに圧迫されて、アップアップしていた。
しかし、自分でも釈然としないまま断酒を続けていた町田氏は、酒をやめてから1年ほどが経つと周囲に「なんか痩せはったんとちゃう?」と言われたり、睡眠の質が向上し、仕事が捗ったりしていることに気づき始めます。さらには、酒代として使っていた分のお金が貯まり始めたことにも気づくのです。
一日平均、そうさな、三千円くらいは酒類を買っていたのではないだろうか。そうすっと、月で約九万円、年額にすると百八万円。人間の煩悩の数は百八つ。これを二十五年続けると二千七百万円。人間の煩悩の二十五倍万円。ちょっとしたマンションの頭金くらいにはなる金額である。
町田氏は本書の中で、断酒によって得たメリットを淡々と語りつつも、決して断酒を賛美したり、いまもなお飲んでいる人を否定したりするようなことはしません。彼は自分自身が飲酒によって曝してきた醜態や飲みすぎてしまっていた日々を振り返りつつ、文章をこんなふうに締めくくります。
酒を飲まないからといってあまり賢くない人が賢くなる訳ではない。けれども酒を飲むと賢い人が阿呆になる。そして阿呆はもっと阿呆になる。
本書は一貫して町田氏らしいナンセンスなユーモアに溢れていますが、お酒を飲みすぎてしまうことの意味のなさや恐ろしさをしっかりと自覚させてくれる1冊でもあります。“しらふで生きる”ことを検討し始めた酒飲みの方には、ぜひ一度読んでいただきたい名著です。
【タバコをやめる】『もうすぐ絶滅するという煙草について』(芥川龍之介ほか)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/490805987X/
『もうすぐ絶滅するという煙草について』は、愛煙家の作家たちによる、タバコをテーマにしたエッセイのアンソロジーです。本書の中心となっているのは“無人島へ流される時は必ずたばこを持っていく”(開高健)、“なるべく長いこと、煙草を吸いつづけて生きよう”(久世光彦)といったタバコ愛溢れる文章ですが、中には禁煙の試みやメリットについて語ったエッセイも収録されています。
そのうちの1篇が、安部公房によるエッセイ『タバコをやめる方法』。彼は長い間喫煙者でしたが、あるとき、なぜタバコを吸いたくなるのかについて真剣に考えてみたと言います。
一般には薬物中毒の一種だと考えられている。たしかにタバコにはタールやニコチンなどの有害物質がふくまれていて、それを承知で吸うのだから、アルコールや麻薬の中毒と同一視されても仕方がない。ぼく自身ながいあいだ喫煙の悪癖をニコチン中毒だと決めこんでいた。
しかし彼は、タバコにはこれといって強い精神的な禁断症状がないこと、習慣化しても刺激の強い銘柄に変更するケースはあまりないこと──などを挙げ、タバコを吸うという行為は、実は“時間”を吸っているのではないか、という考えに至ります。
これは薬物を吸っているのではなく、時間を吸っているらしいことに気付いたのだ。もしくは時間を変質するこころみと言ってもいいかもしれない。無理に比較すれば、爪を咬む習慣に似ているような気もする。だからたとえば電話を掛けるときなど、ついタバコに手がのびてしまう。自然な対話でない時間の欠損部分を補填するためのパテがわりの煙のような気もするのだ。だとすればこれは完全に心理的なもので、方法が適切でありさえすれば、禁煙は他の薬物依存ほどの苦痛なしに可能なはずである。
彼はそう結論づけ、タバコを吸いたいと思ったときに“もし吸わなかったら、なんらかの生理的不都合が生じるだろうか”と自らに問いかけることで吸わずに我慢する、ということをし続けて禁煙を達成します。
安部公房の禁煙法は、愛煙家の方にとっては「そんなに簡単に禁煙できたら苦労しないよ」と思わずツッコミを入れたくなってしまうものかもしれません。しかし、彼は
喫煙の悪癖は生理的耽溺ではなく、言語領域での心理偽装にすぎないのだ
と語ります。つまり、吸いたいという気持ちは、時間の欠損を埋めるための一種の勘違いであるというのです。
……安部公房のこの持論には疑問を感じる方も少なくないかもしれませんが、一度、騙されたと思って「自分は本当にタバコを吸いたいと思っているのだろうか?」と問い続けることによる禁煙を試みてもよいかもしれません。
【服を買いすぎることをやめる】『40歳までにコレをやめる』(岡田育)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4763137603/
『40歳までにコレをやめる』は、現在39歳の文筆家・岡田育氏が半生を振り返りつつ、「あのとき、やめてよかったな」と感じるさまざまなものについて綴ったエッセイ集です。
何かについて「やめねばならない」と脅しをかけるものではありません。むしろ逆に、私たちは大人になるにつれて「やるべきだ」「せねばならない」といった文句に脅かされすぎだよね、という考え方にもとづいて書いたものです。
という冒頭の言葉どおり、本書では岡田氏が「いつの間にかやらなくなった」ことや「意識してやめた」ことを通じ、社会や周囲からの要請によって「~しなければならない」と思っていたことを手放すまでについての変遷が丁寧に書かれています。
たとえば、『服を買うのをやめる』章では、素敵だと思う人の“引き算”を真似ることでしだいに服を買いすぎなくなった、という体験が綴られています。
社会人になってから、能率的な働き方についての解説書を幾つか読んだ。その中で最も感銘を受けたのは、とある成功者の「『すること』より『しないこと』を決めなさい」という教えだった。(中略)
この言葉を自分流に解釈して、「好きな人からは、引き算を学ぼう」と心に決めた。プラスの真似をやめて、マイナスの真似をするのだ。惰性の習慣を断ち切れば、そのぶん、時間やお金といったコストも削減されるわけだから、余ったその時間やお金を、自分らしく生きるために費やせばよい。
岡田氏はこの考え方にもとづいて、実験的に「100日間だけ新しく服を買うのをやめる」というチャレンジを始めてみます。新しく服を買わないという前提に立ってクローゼットの中身を眺めてみると、工夫に工夫を重ねないとサマにならない服、リラックスしたい日に着ようと思っていたのに結局日の目を見ていない服……、など、どうにも活躍の機会がなさそうな服がたくさんあることに気づいたというのです。
大好きな服がどっさり吊るされたクローゼットの中で、エラーが起きている箇所を見つけたら、そこを「引き算」で消していく。過去の私と未来の私の間でだけ完結する間違い探しゲーム。かたや、いま足りていないのはこんな素材でこんな着丈のトップス、などと必需品の条件も具体的になる。他の服を着るために、ブランドなんかどこのでもいいから、紺色の半袖Tシャツだけは絶対に必要だ、と近所へ買いに走ったのが、だいたい百日後くらいだった。
「する」とは違う「しない」の真似は、丸ごと全部を言われた通りに実践せずとも、すぐに取り入れて効果を実感できるのがよい。
……というように、本書は実践的かつ無理のない“やめる”ためのヒントに溢れています。
服を買うことのほかにも、化粧やハイヒール、お酌、年賀状といった習慣をやめるまでの過程が赤裸々に綴られており、「ずっと続けてきたことをやめたって、別に生きていけるんだな」と、ホッと肩の荷が下りるような1冊となっています。
おわりに
今回は、「やめること」を応援してくれるようなエッセイを3冊ご紹介しました。自分自身を縛ってしまいがちな人、世間体を気にしすぎてしまう人、責任感の強い人などにとっては、なにかを「やめる」ことはおそらくとても勇気のいることです。しかし、先陣を切って「やめる」ことを実践してくれた人たちの体験談を読むことは、一歩を踏み出すための大きな勇気になるはずです。
これまで「新しく始める」ことにばかりエネルギーを注いできたという人も、ここで少しだけ立ち止まって、なにかを「やめる」ことに目を向けてみてはいかがでしょうか。
初出:P+D MAGAZINE(2020/01/26)