野次馬の中から七菜を見守っていた意外な人物とは……⁉︎ 【連載お仕事小説・第22回】ブラックどんまい! わたし仕事に本気です

燃えるお仕事スピリットが詰まった好評連載、第22回。主人公の七菜(なな)は、いつも仕事に全力投球! 次なる困難は、インフルエンザ。ロケチームのインフルエンザの流行により、エキストラ(通行人役)の数が足りず、野次馬の中から人を集めることに。そんな中、七菜が声をかけた男性は帽子を目深にかぶっているが、聞き覚えのある声をしていて……。

 

【前回までのあらすじ】

全員にチームとしての仲間意識が芽生えてきた矢先、キャストの間でドラマ現場の大敵、インフルエンザが流行寸前の危機! 頼子の代わりを務めようとした七菜は体調を整える「温かい飲み物」を作ったのだが……。

 

【今回のあらすじ】

インフルエンザの流行により、人手が足りない撮影現場。スタッフがエキストラに回るも通行人役の数が足りず、野次馬の中から人を集めることに。そんな中、たまたま声をかけた男性は帽子を目深にかぶって挙動不審な態度をとるが、とても聞きなれた声をしていて……。

 

【登場人物】

時崎七菜(ときざき なな):テレビドラマ制作会社「アッシュ」のAP(アシスタントプロデューサー)、31歳。広島県出身。24歳で上京してから無我夢中で走り続け、多忙な日々を送っている。

板倉頼子(いたくら よりこ):七菜の勤める制作会社の上司。チーフプロデューサー。包容力があり、腕によりをかけたロケ飯が業界でも名物。

小岩井あすか(こいわい あすか):撮影が進行中のテレビドラマの主演女優。

橘一輝(たちばな いっき):撮影が進行中のテレビドラマの主演俳優。

佐野李生(さの りお):七菜の後輩のAP。26歳で勤務3年目。

平大基(たいら だいき):七菜の後輩のAP。今年4月入社予定の22歳の新人。

野川愛理(のがわ あいり):メイクチーフ。撮影スタッフで一番七菜と親しい。

佐々木拓(ささき たく):七菜の恋人。大手食品メーカーの総務部に勤めている。

上条朱音(かみじょう あかね):ドラマ『半熟たまご』の原作者。数々のベストセラーを持つ小説界の重鎮。教育評論家としても名高い。

岩見耕平(いわみ こうへい):チーフプロデューサー。七菜の上司。

 

【本編はこちらから!】

 
 撮影は、まず公民館前の道路で行われることになった。
 人混みにまぎれ、歩道の角から歩いてくるあすか。そのあすかを、ちょうど反対側からやってきた一輝が見つけ、声をかける。一輝に気づき、逃げ出そうとするあすか。人混みを掻き分けながら一輝が追いかけて行き、腕を掴んで振り向かせる。それが最終話のシーン7だ。
 七菜は公民館の玄関脇に長机を置き、いつものように飲みものやキャンディをセットして休憩所を作った。コーヒーのポットの隣に、ホットはちみつレモンも並べる。
 七菜が休憩所を設置しているあいだ、矢口の指示のもと助監督がエキストラの配置を行っていた。インフルで欠席の多い今日は、必要な数の半分も集まっていない。それでもなんとか工夫してエキストラを必要な位置に置く。
「それじゃあたちばなさん、小岩井さん、立ち位置に入ってください」
 矢口が言い、ふたりが公民館の玄関を真ん中に、歩道の右手と左手に分かれて立った。
「シーン7、テスト」
「シーン7、テスト行きます」
 カチンコが切られ、エキストラが動き出す。七菜は休憩所の前で撮影を見守った。
 右手、建物の影から歩いてくるあすか。同時に左手から一輝が歩きだす。人混みにまぎれ、お互いのすがたが見えないまま距離が縮まってゆく──はずなのだが、あまりにエキストラが 少なすぎ、歩きだした時点で相手のすがたがもろ見えになってしまっている。それでもふたりは気づかぬふりをしつつ近づいてゆく。
 不自然だ。七菜は両手で頬を挟んだ。不自然極まりないよ、これじゃあ。
「環子先生!」
 一輝の声にさっと表情を変えるあすか。きびすを返して走りだす。
「待って! 話をしよう!」
 追いかける一輝。だが人混みに阻まれ、あすかに追いつくことができない──はずなのだが、これまたエキストラがまばらすぎて、やすやすとあすかに追いついてしまった。
 うあああああ。七菜は天を仰いだ。やっぱり数が足りなかったか。
「カット。うーん……ちょっとエキストラの位置、変えてみようか」腰に手をあてて矢口が思案する。「もっとこう、密集するように立ってもらって」
 助監督が羊飼いのようにエキストラを呼び集めた。
「変だよ、監督。あそこだけひとが多いのは」
 ファインダーを目にあてたまま田村が声を上げる。矢口がモニターを覗き込んだ。その後ろから七菜も確認する。確かに変だ。周囲はがら空きなのに、一か所だけひとがわんさと集まっている。
「もっとアップで撮ってみようか」
「いや。そうすると橘さんと小岩井さんが同じフレームに入らない」
「んー。数を増やすしかないか。手の空いてるスタッフさん、悪いけど入ってください」
 とはいえ本番中、手の空いているスタッフは少ない。李生と大基、それに三名ほどがエキストラに回ったが、それでも足りないのは目に見えて明らかだ。
「監督、野次馬のなかから何人か引っ張ってきましょうか」
 七菜は矢口の耳もとでささやく。通常、身元の定かではない人間をエキストラに入れることはない。だがいまは非常時だ。
「そうするしかないね。あと五人ほど調達してきてくれるかな」
 矢口の許可を得、七菜は李生と大基を呼び寄せた。
「なるたけ害のなさそうなひとを野次馬から選んで交渉してきて。子連れの主婦とか、おじいちゃんおばあちゃんがいいかも」
 頷いた李生と大基が駆けてゆく。七菜も、警備員の後ろで撮影を見ている人の群れに近づいてゆく。
 若い男の子はだめだ。万が一、あすかのファンだと困る。女子高生の四人連れ。ちょうどいいけど、制服だからNG。あとで学校に文句を言われたらまずい。
 群衆を見回す。と、人垣からやや離れて立つ中肉中背の男性が目に入った。ジーンズにスニーカーというラフないでたちで、毛糸の帽子を目深にかぶり、クリーム色のマフラーで鼻と口を覆っている。あのひと、いいかも。ひとを掻きわけて男性の横に立ち、声をかけた。
「すみません。エキストラが足りなくて三十分ほど撮影に参加していただけないでしょうか」
 驚いたように男性が一歩、身を引いた。
「なるたけお顔が映らないよう配慮しますので。どうかお願いします」
 軽く頭を下げると、男性がさらにぐっと帽子を深くかぶり直し、両手を振る。
「い、いやあのぼく、いえわたしは」
 不自然なまでに押し殺した声。でも、聞き慣れたこの声は──
たくちゃん!?」
 男性が、びくりと全身を震わせた。
「拓ちゃん、拓ちゃんだよね」
 七菜は夢中でマフラーの端を掴んだ。ややあって、諦めたように男性が帽子を上げる。困ったような恥ずかしいような、それでいて少し嬉しいような──複雑な表情を浮かべた拓の顔があらわれた。
「どうしてここに……」
「いや……そのぉ……」
 拓の目が泳ぐ。
「こっち、集まりました。急いでください時崎さん」
 背後から李生の切羽詰まった声が届く。
 このさい理由はあとでいい。拓なら身元の心配もない。
「お願い、入って。このままじゃ撮影ができないの」
 七菜はさらにきつくマフラーを掴んだ。拓が「うっ」と苦しげな声を発する。
「で、でも」
「頼むから、ね」
 マフラーを両手で掴み、ちから任せに引っ張る。拓がげほげほと咳き込んだ。
「わ、わかった。わかったから手を離して。苦しいよ」
「ありがとう拓ちゃん!」
 言うや七菜は、拓を野次馬のなかから引きずり出した。
「ご協力者、見つかりました!」
「よかった。ようし撮影再開!」
 矢口の声が響く。現場に活気が戻ってくる。
 拓たち新しく加わったエキストラのおかげで、なんとか人混みらしい風景ができた。矢口と田村のオーダーを聞き、助監督がエキストラに細かい指示を与えて回る。七菜もエキストラに回ったスタッフの仕事を補うため、コードをさばいたりレフ板を調整したりといつも以上に走り回った。仕事をしつつ、拓のようすを見守る。助監督の指示にいちいち頷き、時に「復習」するすがたが生真面目な拓らしくて、つい七菜はほほ笑んでしまう。
 何度かテストを繰り返し、ようやく本番の撮影が始まった。独特の緊張感が現場を包み込む。まるでここだけ透明なカプセルに閉じ込められたような、現実と非現実のあわいのような空間。
 諸星の横でレフ板を掲げながら、七菜は息を詰めて役者とエキストラの動きを目で追う。全体を見なくてはと思うものの、気づけばつい拓のすがたばかり追ってしまう。
 拓ちゃんが無事にやり遂げますように。どうかいい画が撮れますように。いっしんに念じる。
「カット! シーン7OK」
 いつもより入念にテストを繰り返したおかげか、一発で本番が決まった。現場にいる全員の緊張がいっせいに緩む。カプセルが消え、現実が戻ってくる。
「監督、このあとは本物のエキストラだけでだいじょうぶですか」
 本物の、ということばが我ながら可笑おかしかった。
「うん。もう帰ってもらっていいよ」
 やり取りを聞いていた李生と大基が、それぞれスカウトしてきたエキストラのもとへ走ってゆく。七菜も、歩道の端にたたずむ拓の横へと向かった。
「ありがとうございました」
「いえべつに、大したことはしていませんから」
 七菜と目を合わせずに拓がこたえる。
「でもなんで拓ちゃんがここに」
 ずっと気になっていたことを聞く。
「今日はたまたま休みで……観たい映画もなかったし……」
 もなもなと拓がつぶやく。
「だけどよくわかったね、ここで撮影してるって」
「前に、メインのロケ場所はここだって言ってたから……もしかしたらと思って」
 どうにも歯切れが悪い。相変わらず目を合わせてくれない。
 けれど七菜は嬉しかった。わざわざこうして現場に足を運んでくれたことが純粋に嬉しかった。喜びに背中を押され、七菜は口を開く。
「拓ちゃん、あの、今日は早めに撮影が終わると思うの。だから家で待っててくれないかな」
「いや。それはやめておく」
 きっぱりと拓がこたえる。七菜の気持ちが急速に萎んでゆく。
 やっぱりまだ許してはくれないのか。もとのような関係には戻れないのか──
「そっか。ごめん勝手なこと言って。じゃあ」
「待って、違うんだ七菜ちゃん」
 踵を返そうとした七菜をあわてたように拓が止める。七菜はふたたび拓と向き合った。くちびるを舌で湿らせてから、拓がゆっくりと話しだした。
「七菜ちゃんがいかにいま大変なときか、現場を体験して、ほんの少しだけれどぼくにも理解できた。いまは仕事に集中するべきだよ。ふたつのことを同時に進めようとしたら、きっと同じことの繰り返しになってしまう。だから……」
 いったんことばを切って、ようやく七菜と視線を合わせた。
「……この仕事が無事に終わったら、そのときゆっくり話そう。ぼくはそれまで……待っているから」
 拓の濁りのないまなざしが、春の光のように七菜のこころをじんわりと温める。熱が、ちからとなって全身に広がってゆく。
「……わかった」
「じゃあぼくはこれで」
「あ、待って」
 背を向けた拓を引き留める。休憩所に走ってゆき、紙コップにホットはちみつレモンを注いで、拓のもとへ戻る。
「よかったら飲んでみて。あたしが作ったの」
「え、七菜ちゃんが?」
「美味しくないと思うけど……少しはあったまるかなって」
 拓が、紙コップに口をつける。上下に揺れる喉ぼとけを七菜は真剣な面持ちで見つめる。
「どう……かな?」
 一拍の間をおいて拓がこたえる。
「美味しかったよ。すごく」
「え、でもほかのひとは」
「ほかのひとはともかく、ぼくは……美味しかった」
「ありがとう……」
 七菜が頭を下げると、照れたようにそっぽを向き、空になったコップを差し出した。受け取ろうと伸ばした手が、拓の指さきに触れる。七菜の全身を電流のような衝撃がつらぬく。
 この指。数えきれないくらい幾度も絡め合い、つなぎ合ってきたこの指。白くて滑らかな温かい指──
 ゆっくりと歩き去っていく拓の背中を見つめながら、七菜は触れ合った指さきを、もう片方の手のひらでそうっと包んだ。

 

【次回予告】

ドラマの撮影は残り二話となり、頼子の代わりにチーフプロデューサーを務める七菜はテレビ局側との最終調整も増え、いままで以上に忙しい日々を送っていた。そんな中、七菜のスマホにメイクチーフの愛理から今すぐツイッターを見てほしいとの連絡があり……。

〈次回は6月19日頃に更新予定です。〉

プロフィール

中澤日菜子(なかざわ・ひなこ)

1969年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。2013年『お父さんと伊藤さん』で小説家デビュー。同作品は2016年に映画化。他の著書に、ドラマ化された『PTAグランパ!』、『星球』『お願いおむらいす』などがある。

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初出:P+D MAGAZINE(2020/06/12)

◎編集者コラム◎ 『浄瑠璃長屋春秋記 紅梅』藤原緋沙子
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