【生誕130周年】アガサ・クリスティーのおすすめ作品

2020年は、ミステリの女王、アガサ・クリスティーの生誕130周年にあたる年です。これまでクリスティー作品をあまり読んだことがないという方に向けて、『オリエント急行殺人事件』、『そして誰もいなくなった』といった代表作の読みどころをご紹介します。

ミステリの女王、アガサ・クリスティー。名探偵ポアロやミス・マープルを始めとする魅力的なキャラクターを生み出し、その大胆不敵なトリックと奇抜なストーリーで、時代を超えて推理小説ファンを魅了し続けている作家です。

2020年は、そんなアガサ・クリスティーの生誕130周年にあたる年。今回は、これからクリスティー作品を読みたいという方に向けて、おすすめ作品を紹介します。

このトリックはずるい? ──ミステリ界を震撼させた『アクロイド殺し』


https://www.amazon.co.jp/dp/4151300031/

『アクロイド殺し』は、1926年にアガサ・クリスティーが発表した長編小説です。
クリスティーは1920年、長編小説『スタイルズ荘の怪事件』でデビューし推理作家としてのキャリアを歩み始めましたが、このデビュー作から登場していたキャラクターがかの有名な私立探偵、エルキュール・ポアロと助手のヘイスティングズです。

ポアロの探偵としての活躍を、語り手であるヘイスティングズが自身の手記を通して伝える──というスタイルが2作目の『ゴルフ場殺人事件』まで続きましたが、ポアロシリーズの3作目にあたる本作では、ポアロの隣人であるジェイムズ・シェパード医師が語り手を務めるという形式をとっています。

事件の発端は、ポアロやシェパード医師が住むキングズ・アボット村のフェラーズ夫人が亡くなったこと。夫人の検死を担当したシェパード医師は、死因は睡眠薬の過剰摂取であると判断します。しかしシェパード医師は、フェラーズ夫人が再婚間近と噂されていた村の大富豪、ロジャー・アクロイドから、「夫人は過去に夫を毒殺しており、そのことで何者かから恐喝を受け続けていた」と打ち明けられます。誰に恐喝を受けていたのかを告発するフェラーズ夫人の手紙がロジャーのもとに届いたその晩、ロジャーは何者かに刺殺されてしまいます

(※以下、『アクロイド殺し』の重大なネタバレが含まれます)

 
実は、事件の犯人は、語り手であるシェパード医師自身でした。本作の中で、シェパード医師は読者に対し嘘はついていないものの、ロジャーの刺殺にまつわるシーンをわざと曖昧に描写することで自身が犯人であると悟られないようにしています。「信頼できない語り手」を主軸に置きつつ叙述トリックを用いるというこの手法は、『アクロイド殺し』が発表された1920年代には非常に斬新なものでした。本作をめぐり、語り手自身が犯人であるというトリックがフェアかどうかという論争が巻き起こったものの、エラリー・クイーンや江戸川乱歩などは、このトリックを支持しています。

本作は、推理作家としてのクリスティーの知名度を押し上げたばかりでなく、現在もミステリファンから歴史的名著として名前を挙げられることの多い作品です。

意外すぎる、けれど感動的な結末──不朽の名作『オリエント急行殺人事件』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041064511/

『オリエント急行殺人事件』は、クリスティーが1934年に発表した長編小説です。エルキュール・ポアロシリーズの8作目にあたる本作は、クリスティーの代表作として広く知られており、現在においても世界各国でテレビドラマ化、映画化され続けています。

事件の舞台は、エルサレムで事件をひとつ解決し、仕事を終えたばかりのポアロがイスタンブールからロンドンに帰るために乗った寝台列車、オリエント急行。真冬だというのに、なぜかその日の寝台車は満員でした。ポアロが昼食をとっている最中、「金をはずむから私の護衛をしてほしい」と金持ちのアメリカ人・ラチェットが依頼を持ちかけてきますが、ポアロはその男の雰囲気に嫌なものを感じ、護衛を断ります。
雪がしんしんと降り続いたその晩が明けると、列車の中でラチェットが死んでいるのが発見され、車内は騒然とします。なんとラチェットは、体中をナイフで12か所も刺されていたのでした──。

さっそく、事件の真相を解き明かそうと奮闘するポアロ。雪で列車が立ち往生していたため、犯人はまだ必ず列車の中にいるはずという前提のもと聞き込みを始めますが、乗客のアリバイは皆完璧で、崩せそうにありません。捜査を進めるうちに、ラチェットは富豪・アームストロング家の娘であるデイジーの誘拐殺害犯であったことが判明し、事件は思わぬ方向に動いていきます。

12か所もの刺し傷と完璧なアリバイを持つ乗客、しだいに明かされていく被害者の過去──と、『オリエント急行殺人事件』は魅力的な謎に満ちた傑作です。トリックの大胆さ、奇抜さが評価されることの多い本作ですが、ポアロという名探偵の偏屈さと天才性、そしてラストシーンで見せる弱い立場の人々へのやさしさが遺憾なく発揮されている点もすばらしく、結末を知っていても何度も読み返したくなってしまう一作です。

合わせて読みたい:【映画公開記念!】『オリエント急行殺人事件』を読み解くための、4つのカギ

「史上最高のミステリ小説」と呼ばれる名作、『そして誰もいなくなった』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4151310800/

『そして誰もいなくなった』は、クリスティーが1939年に発表した長編小説です。本作は、世界中のミステリ小説の中で最も売れた本として知られており、これまでに世界中で1億冊以上が出版されている、文字通りの不朽の名作です。外界から遮断され誰も出入りできない状況で事件が起きる、いわゆる「クローズド・サークル」ものの代表的作品であるとともに、子守唄になぞらえて人が殺されていくという「見立て殺人」の要素も持っており、ミステリの面白さがすべて詰まっている──と評されることも少なくありません。

物語の舞台は、イギリスのとある孤島。ある日、年齢や性別、職業もばらばらな8名が、この島の主を名乗るオーエン夫妻に招待され、島にやってきます。しかし、島にオーエン夫妻の姿はなく、代わりに、すこし前に彼らに雇われたばかりだというロジャース夫妻が8人を出迎えます。

彼らが宿泊する館の各部屋には大きな額縁がかかっており、そこには古い子守唄のフレーズが書かれていました。

十人のインディアンの少年が食事に出かけた
一人が咽喉をつまらせて、九人になった
九人のインディアンの少年がおそくまで起きていた
一人が寝すごして、八人になった
八人のインディアンの少年がデヴァンを旅していた
一人がそこに残って、七人になった……

招待客たちは不穏な雰囲気を感じつつも、晩餐を始めます。すると突如、蓄音機から謎の声が響き始め、ロジャース夫妻を含む10人全員が、殺人の嫌疑を受けている──と告げるのです。事態の異様さに気づいた何名かは心当たりのあることについて口を開き始めますが、中には断固として協力しようとしない人物もいました。そのひとりであるマーストンは非日常の事態を面白がり、「犯罪に乾杯」と言ってウイスキーを一気に飲み干しますが、直後に窒息し、苦しみながら死んでしまいます。なんと、ウイスキーの中には青酸カリが含まれていたのでした。

マーストンの死を皮切りに、島に閉じ込められた10人は、子守唄のフレーズをなぞるように1名ずつ順番に殺されていきます。この恐るべき殺人の糸を陰で引いているのは誰なのか、なぜ子守唄の通りに殺さなくてはいけないのか、10人は皆、本当に罪人なのか──。第1の殺人から最後まで一瞬たりとも目が離せない展開が続く、ミステリの教科書のような作品です。

やさしい老婦人の恐るべき洞察力が光る、『火曜クラブ』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4151300546/

クリスティー作品の名探偵といえばもちろんエルキュール・ポアロ、という方も多いかもしれませんが、彼女は他にも魅力ある名探偵を生み出しています。そのひとりが、ロンドンから離れた田舎町、セント・メアリ・ミード村に住む独身の老婦人、ミス・マープルです。

ミス・マープルは一見、庭いじりや編み物を愛する、おしゃべり好きなどこにでもいるおばあさん。しかし、ひとたびセント・メアリ・ミード村でなんらかの事件が起こると、彼女は名探偵としての手腕を余すところなく発揮します。

ある日、ミス・マープルの甥であるレイモンドが、“火曜クラブ”と名づけた会合を彼女の家で開きたい、と提案します。レイモンドは作家で、“火曜クラブ”とは、集まったメンバーそれぞれだけが知っている怪事件の真相について全員で語り合い、推理するクラブなのだと話します。

会合にはスコットランド・ヤードの元警視総監や弁護士、画家などさまざまな職業の人たちが集まりますが、はじめは皆、ミス・マープルのことをただの話好きのおばあさんだと気にも留めません。しかし、元警察総監が語り始めた不可解な事件の真相に自力でたどり着くことができたのは、メンバーの中でただひとり、ミス・マープルだけでした。
ミス・マープルは、事件とはなんの関係もなさそうに思える噂話や自分の古い知人の話、その昔セント・メアリ・ミード村で起きたできごとなどを事件の断片に重ね合わせ、人間観察力と洞察力を活かしてさらりと真相を暴いてしまうのです。彼らはしだいに、ミス・マープルの推理の虜になっていきます。

短編小説集『火曜クラブ』では、ミス・マープルが初登場する表題作をはじめ、セント・メアリ・ミード村を舞台にマープルが推理を繰り広げる13の短編が収録されています。セント・メアリ・ミード村で起こる事件の数々は、トリックの大胆さや謎の切れ味で比べると、他のクリスティー作品よりもささやかなものが多いです。しかし、人間の深層心理やさりげない会話が事件の鍵を握るミス・マープルシリーズには、ポアロシリーズや名作長編とはまた違った唯一無二の魅力があります。

おわりに

クリスティーは85年の生涯の中で、長編小説だけでも60作品以上、中・短編も含めると220作以上のミステリ小説を世に出しました。そのどれもが「ミステリの女王」という呼び名にふさわしい名作ですが、今回ご紹介したクリスティーの4作品はどれも、とにかく、まずはこれだけ読んでおけば間違いない! という歴史的傑作です。

ポアロやミス・マープルをはじめとする名探偵たちの登場作品から読むか、『そして誰もいなくなった』のようなミステリの金字塔から読むか、それ以外の短編集から読むか──。クリスティー作品はどんな読み方をしても、思いもよらない大胆なトリックと息をつかせない展開で読者を驚かせてくれます。まだクリスティー作品に触れたことがないという方は、ぜひ今回ご紹介した4作品を入り口に、ミステリの女王が見せる極上の謎を味わってみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2020/07/04)

放心状態の七菜。ある落書きを目にし、放送中止の実感に襲われる……! 【連載お仕事小説・第25回】ブラックどんまい! わたし仕事に本気です
石井洋二郎『危機に立つ東大――入試制度改革をめぐる葛藤と迷走』/九月入学や英語民間試験の問題はなぜ起こったのか