【後編】私たちが小説を読むのはなぜか~小説の必要性について書かれた小説6選~

活字離れが進む現在。本、とりわけ小説を読まなくても困らない、スポーツや楽器のように一部の愛好者が楽しめばよいのではないか、という考えは確実に増えているようです。しかし、本当にそうなのでしょうか。今回は前編に引き続き、小説が人間にとっていかに大切なものかを教えてくれる小説をさらに3選を紹介します。

【前編はこちらから】

加藤千恵『青と赤の物語』――物語の力で殺人や自殺が防げるかどうかを優しく問う


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 物語が無くなった後の世界はどうなるかを、童話のような優しい語り口で示した一冊です。著者の加藤千恵は、高校生で歌人としてデビュー。歌集『ハッピーアイスクリーム』では、若い女性らしい、ポップでみずみずしい短歌で同世代の支持を集めました。本作でも、決して押しつけがましくなく「物語」の大切さを教えてくれています。

“ある国では、物語が一切禁止されていました。昔はその国にも、たくさんの物語がありました。ところがあるときから、国のえらい人たちが、物語というものが、いかに悪い影響を及ぼすものであるかを話し合うようになりました。えらい人たちは、物語というものがあるから、悪いことをする子どもたちや大人たちが現れるのではないかと考えるようになったのです。”

 悪い影響とはどんなことでしょうか。ホラーやミステリーに影響されて、残虐な殺人を犯すというのでしょうか。この辺りの展開は、前編で紹介した『図書館戦争』にも似ています。
 物語が禁止されて以降、実際の犯罪が減ったわけではなかったのですが、政府は自らの非を認めるわけにはいかず、ずっとデータの改ざんをしていたのです。
 本作の主人公「青」と「赤」は、そんな物語が無くなってだいぶん後に生まれた子供たちで、今は中学生。図書館で偶然出会った2人は、それぞれ、青いシャツと、赤いリボンを身に付けていることから、互いをそう呼びならわしています。物語無きあとの図書館に並べられている本は、実用書一辺倒。「青」はそこでいつも人体に関する本を、「赤」は植物図鑑を眺めて過ごしていました。そんなある日、「青」は図書館の地下に、今は読むことが禁じられている「物語」があることを聞きつけてきます。「青」と「赤」は深夜にそこへ忍び込み、生まれて初めて「物語」を手に取るとこになるのです。

“青は驚きすぎて、声が出なくなるくらいでした。自分のことが書かれている、と思ったからです。自分が感じている、誰にも話したことのない、言葉では表現できないように思っていた気持ちが、そこには書かれていました。青は夢中で続きを読みました。青は、家族のことで悩んでいることがありました。それは大酒のみでDVを繰り返す父のことです。青が人体に関する本ばかり読んでいたのは、実は、いかにして父を殺すかを画策するためでした。青は、世界で一番不幸なのは自分だと考えていました。けれど物語を読んでいるうちに、そうじゃないのかもしれないと思いました。もっとつらくて大変な思いをしている人も、自分と同じような気持ちを抱えている人も、どこかにいるのだろうと思えました。そう思うことは、青の心を楽にしました。”

 

“赤もまた悩みを抱えていました。学校でいじめに遭い、自殺しようと考えていたのです。植物図鑑を見ていたのは、即死できる毒草を調べるためでした。赤は、自分が生まれてくるべきじゃなかったと考えていました。けれど物語を読んでいるうちに、そうじゃないのかもしれないと思いました。自分がいることで、お父さんとお母さんが救われているのかもしれないし、自分が生きている理由も、存在しているのではないかと思えました。そう思うことは、赤の心を楽にしました。”

 物語への感情移入と追体験ということを、初めて知った「青」と「赤」。物語を読むとき、登場人物に自身を重ね合わせることによって、救われるような気持ちになった経験は誰しもあるはずです。また、実用書を読んでも満たされなかった心が、物語によって満たされたというのも注目すべき点でしょう。物語など所詮は作り話だという意見もある一方で、実用書ではたどり着けない心の領域に作用することができるのが物語だということを、著者は教えてくれています。

小川洋子『密やかな結晶』一度読んだ物語の記憶は誰にも消せない。2020年ブッカー賞ノミネート作品――


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 2020年、イギリスの文学賞であるブッカー賞の国際部門にノミネートされた本作も、世界から物語が無くなってしまうことに警鐘を鳴らす一冊です。著者の小川洋子は、『妊娠カレンダー』第104回芥川賞を受賞し、代表作『博士の愛した数式』でも有名な、純文学作家です。
 ヒロインの「わたし」は、ある島に住んでいる若い小説家。その島では何年か前から不思議な現象が起こっています。それは、ある日突然、島民全員が、ある物の価値が分からなくなること。帽子、リボン、香水、鳥、バラの花、彫像……。島民たちは、それらの物にどんな用途があったのかを思い出せなくなり、思い出せなくなったが最後、それらを無用の長物として焼却処分してしまうということを繰り返していました。島ではそれを「消滅」と呼んでおり、いったん「消滅」したものは人間の記憶からも抹消されます。「消滅」する物は一見ランダムに見えますが、あってもなくても生活に困らないものから優先的に「消滅」し、生活必需品ばかりが残されているようにも見えます。そして、島には「記憶狩り」と呼ばれる秘密警察が常時見張っており、「消滅」した物をいつまでも保持していることは厳禁とされています。
 いつか小説が「消滅」してしまったら、自分はどうやって生計を立てていけばよいのかという不安に常にさいなまれている「わたし」。ある日、「わたし」の不安は的中します。

“夕方になって(本の)消滅は一気に早まった。図書館に火がつけられ、みんなの持ち寄った本が公園や空き地で燃やされた。「物語の記憶は、誰にも消せないわ」と、若い女性が悲鳴に近い叫び声をあげた。彼女の声がいつまでも耳の奥に響いていた。「昔、誰かがこんなことを言っていたのを覚えているわ。書物を焼く人間は、やがて人間を焼くことになるのよ」

 
「物語の記憶は、誰にも消せない」という台詞は、この物語の主題ともいうべき一文です。昔読んだ物語の、細かい筋立てや登場人物名は忘れてしまっても、その物語を読む前と読んだ後で、自分自身が少なからず変化するということ。たとえ書物という物体が「消滅」しても、さまざまな物語を読んで心に刻まれた記憶は誰にも奪えないという意味でしょう。しかし、この島で起こる消滅の恐ろしさは、その記憶さえも根こそぎ消し去ってしまうことでした。「わたし」はもはや、過去に読んだ小説の内容を思い出せないどころか、小説の書き方さえ覚束なくなってゆくのです。

“「原稿は燃やしちゃいけない。君は小説を書き続けるんだ」と(編集者の)R氏は言った。
「消滅してしまった本をため込んでおくことが、どんな役に立つの?」と私は言った。
「君は小説を書いて来た人間だよ。それが役に立つか立たないかで区分けできるようなものじゃないってことは、よく分かっているはずだ」”

 物語が「消滅」した後の世界で、私は再び物語を生み出すことが出来るのでしょうか。

門井慶喜『小説あります』――小説がこの世に必要不可欠な理由をプレゼンせよ。


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 本作の主人公は、老松郁太29歳、こよなく小説を愛するN市立文学館嘱託職員です。しかし、文学館は来館者の減少に伴い、ある会社へ売却が決まりそうになっています。その会社とは、何の因果か郁太の弟が社長を務める老松ホールディング。辣腕で知られる社長は、作家の旧宅であった文学館を料亭としてリニューアルオープンさせる魂胆のようです。弟は文学館の存続を訴える兄に、次のように言い放ちます。

“本のなかでも小説はいちばん役に立たないじゃないか。しょせん絵空事じゃないか。お兄ちゃん、私を説き伏せてみろ。人はなぜ小説を読むのか。ぐうの音も出ないほど説得してみろ。小説は、人生の何の役に立つのか。この問いに、もしもお兄ちゃんが明快な答を出すことができたら、お兄ちゃんの好きなように手配する。”

 兄・郁太はその答えを頭を絞って考えます。時間つぶし? 現実逃避のため? 豊かな情操を養うため? と言えば、それなら映画やテレビなど他のメディアでも代替可能ではないかと、弟にすぐさま反論され、答えに窮する郁太。
 やがて郁太は、映画やテレビは他人と共に享受できるメディアだが、小説は、それを読んでいる間は1人でいることを強いられる、ということに気づきます。小説を読むのは人生における「孤独の練習をする」ためだと主張する郁太。しかし、弟は、「人は一人では生きていけないのに、どうして孤独になる練習をするのか」と攻撃の手をゆるめません。けれど、兄はさらに畳みかけるようにこう言うのでした。

“「他人の心はわからない。他人に心はわかってもらえない。この世は結局さびしい場所だが、それにもかかわらず私たちは他人がなければ生きられない。だから心は通わせなければならない。錯覚だろうが、妄想だろうが、徒労だろうが、私たちは他人とわかりあわなければならない。小説もそのために読んでこそ役に立つ。小説を読んだら現実逃避しました、厭人癖えんじんへきがつのってしまいましたなどと言う人があるなら、それは彼らが得た孤独が中途半端だったからだ。真の孤独は、最後にはこの世へちゃんと戻ってくるんだ。私たちが孤独の練習をするのは、ほんとうは人とつきあうためだって。」”

 人は読書によって、真の孤独を知って初めて、他人に優しくできるということでしょうか。文学館が存続するかどうかは、ぜひ本作で確かめてください。

おわりに

 小説は、今すぐ、目に見えるかたちで役立つかどうかは分かりません。けれど、それが世界からなくなると、人間の心は蝕まれていくのではないでしょうか。小説など何の役にも立たないと思っている人にこそ、読んでみてほしい6冊です。

初出:P+D MAGAZINE(2021/05/10)

◎編集者コラム◎ 『私の夫は冷凍庫に眠っている』八月美咲
【著者インタビュー】桜井昌司『俺の上には空がある広い空が』/43年以上に及んだ冤罪体験が創り上げたものとは