【特集】太宰治の世界

妻よ、女よ、グッドバイ!

幸せな男の家庭生活が乱れるとしたら
それは、突如現われた女のせいではない
男の奥にそれまで潜んでいた花火が
心の中で打ち上がるからである。
もう一度なら、
やり直せるかもしれない……。
誰も知らない闇に、そう叫びながら、
きれいな花火は開くのだ。

東京に戻って、幸せな生活を順調に送っていた修治いや、大流行作家、太宰治。
何も文句はない。マラソンでいえば堂々とトップでゴールインできたはずの毎日でございました。
こんな余裕の日々のなかに、あるひとりの女性と再会します。太田静子。太宰文学のファンのひとりで、典型的な文学少女。
この彼女と修治、いや太宰先生が最初に会ったのは、昭和十六年の九月のことでした。

炉辺の幸福。どうして私には、それができないのだろう。とてもいたたまれない気がするのである。炉辺が、こわくてならぬのである。
(父)

太田静子の来訪をいつの間にか待つようになっていた修治。そのことに少しずつ気がついて、心のなかで喜ぶ静子。表面上は作家とファンという関係でありながら、一歩一歩、その思い出の足跡がくっきりとしてきます。
あまりにも、平和で幸福な日々。これで自分はいいのだろうか。好きな人ができても、妻を愛さなければいけないのだろうか。そんなことはないはずだ。それこそ、偽善だ。
彼はそう考えたのです。いまの世の中の常識では、妻以外に愛してはいけない。だから失格者だ。でも、これが本当の人間らしい生き方ではないのかと。
子供がいて、幸せ一杯の家庭人になろうとすれば、充分なれる修治。しかし、それで満足できないもうひとりの自分がいます。
「幸せ」という名の現実の山なみと、「憧れ」という名の真実の大河。その間の花畑に、太田静子が住んでいたということになりましょうか。
ですから、最初のうちは、修治は山から河の流れを見ているだけでした。
そのうち、山の麓までおりてみてはまた山に帰ります。そのうち、花畑で数日を過ごしたあと、山に帰る。
静子の日記と彼の生家の没落をテーマにした『斜陽』の執筆にとりかかったのは、ふたりが出会ってから六年目のことでございました。
そして、山の麓の花畑、静子は妊娠します。一方、幸せというピークでは妻の美知子が次女里子を産みます。

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連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:高野秀行(ノンフィクション作家)
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