ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第154回

私はどうやら
「体質的にサクセスに
向いていない」ようだ。
それをなだめすかすのが身内の役目なのではないかと思ったが、どれだけ酔っぱらっていても、隣に自分より泥酔してゲロを吐いている奴がきた途端、酔いが醒めて何故かいつもよりクレバーになるという現象もある。
私が持っている「期待と不安」を「純粋な不安」で粉砕してくれたとも言える。
それに浮かれた気分のまま放送を迎え、芳しくない状態になった方が落差で死ぬ恐れがある。
それよりも、事前に家庭内で通夜ムードを作り出しておき、本葬に突入した方がダメージが少なく、予後もいいような気がしてきた。
しかし、これを私が憎くて言っているわけでないところが逆に怖い。
おそらく夫は、嘘や適当なことを言うのは不誠実であり、特に私に対してはそう思っているのだろう。
それが「うん、それは彼君が悪いね」など、適当に優しいことを言って欲しい女と相性最悪になってしまうのはお互い不幸としか言いようがない。
そんなわけで、私は1週間ほど下痢が止まらず、本日2回目の病院に行ってきた。
下痢以外の症状が全くないため、薬で経過観察となったが、もしこれが本当にドラマ放送前のプレッシャーによるものだとしたら、私は「体質的にサクセスに向いていない」ということになる。
今までサクセスできないことを嘆いてきたが、もしサクセスにつぐサクセスだったら今ごろこの世にはいなかっただろう。サクセスしてなくて本当に良かった。
このような不安を吐露すると「ドラマはドラマであり、原作者がその出来や評判に責任を感じる必要はない」と言われる。
確かにその通りである、原作者はそこまで制作に関わらないし、少なくとも私は関わっていない。
仮にドラマの失敗原因が原作にあるとしても、雄山の怒りは「この原作をドラマにしようと言い出したやつは誰だ!」とドラマ制作側に向かうはずであり、どう転んでも原作者に責はないはずだ。 先ほどから「どう傷を浅くするか」の話しかできない、やはり私はサクセスに向いていないのかもしれない。

(つづく)
次回更新予定日 2025-7-9