滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第4話 運転手付きの車②
わからなくなる人たちに振り回され、
馬車ウマのように働く自分に嫌気が差してきて⁉︎
こういう具合に遭遇する、というか、遭遇しそこなう機会が増えていくうちに、ハーヴェイは、知れば知るにつれ、よくわからなくなる人であることがわかった。知れば知るほどわからなくなる、という人も珍しいけれど、とにかく、彼はそういう人なのだ、むかし、若かったからハーヴェイがよく見えなかったわけではないのだった。
そもそも、ハーヴェイの本名さえ知らない。最初に会ったときの名前がハーヴェイで、それからころころ変えている。綾音さんだってそうだ、本名は地味でオーソドックスな名前で、ジャネットだって、ひょっとしたら本名は違うのかもしれない。ジャネットは、綾音さんによると、壮絶な過去を引きずっているということだ。本名さえわからない、不思議な謎に包まれた3人組だった。
あるとき、ワシントン近郊の何とかガーデンは美しいからウェブサイトを見るように、とハーヴェイから電話があった。が、見なかった。名前さえ定かでない庭園をそれらしき綴(つづ)りで検索して探し当てて見るなんて面倒なことが、わたしにできるわけがない。だから、翌日、ハーヴェイから電話がかかってきて「見たか」と尋ねられたときに、「まだ見ていない」と答えるしかなかった。ハーヴェイは、カンカンになって何やら意味不明のことをわめいて、電話を切った。
アディロンダックスにいるジャネットの親戚はとてもいい人だから電話をかけろ、と言われたときも、会ったこともない人に用もないのにかけられるはずがないから、かけなかった。すると、またハーヴェイは、「かけろと言ったのにかけてない」と言って、怒って電話を切った。ハーヴェイの思考回路がつかめないのは昔のままだったけれど、年を経て、彼はますます短気で強引になったようだった。
いきなり「キューバへ行かないか。日本にはいろいろパイプがあるだろうし、君も困っている子供たちのために何かしたいと思うだろう」と電話がかかってきて、一方通行で切られたときには、何だかよくわからないうちにコトを進められて後で問題になっても困るので、ハーヴェイは聞く耳を持たないから、綾音さんに電話をかけて、断るように頼んだ。すると、綾音さんは、
「ハーヴェイの言うことは、ことば通りに取るんじゃなくて、いろいろとことばの裏にある意味を探さなきゃだめなのよ」
と開口一番、言った。
「彼は、大きな構想の中で、人の考えない、すごいことをやってのけようとしているのよ。それを表に出さずに、裏のネットワークを使ってやろうとしてるのよね。あなたも彼の人脈を利用してみよう、ぐらいの心意気で行ってみた方がいいわよ。ハーヴェイは、あなたのためになることを考えているに違いないんだから、ぜひキューバへ行くべきよ」とこんこんと説得されるはめになった。
綾音さんの言うことは相変わらずよくわからなかったけれど、確かに、ハーヴェイは、綾音さんの言うように、いつも人に囲まれていた。電話の向こうから、いつもにぎやかな人の話し声が聞こえてきた。その取り巻きには、必ずジャネットが、綾音さんがアメリカにいるときは、必ず綾音さんも、いた。
ハーヴェイから電話がかかってくるときは、大概パソコンに向かって仕事をしているものだから──それもそうだ、ほとんどの時間をパソコンの前で過ごしているのだから──にぎやかな声が電話の向こうで聞こえると、世の中のすべての人が楽しんでいる盛大なパーティから、たったひとり、外されたみたいな気になった。そのうえ、ジャネットに「お願いだから、もっと人生をフルに生きて」と言われると、なぜまたわたしはいつも馬車ウマのように働いているのだろう、これだけ働いているんだからハーヴェイの言う通り、ほんとに運転手付きの車に乗っていてもいいんじゃないか、と思い始めたりもするのだった。
そんな、いつも人に囲まれているハーヴェイと、1度だけ1対1の差しで会ったことがある。社用でワシントンに向かった相棒の車に便乗して行った、2年前の夏のことだ。ハーヴェイは、メリーランドだかヴァージニアだか、とにかくワシントン近郊に住んでいるらしいから、事前に連絡しておいたのだけれど、3日目、ナショナル・ギャラリーを出て、さあ今から帰ろうかという矢先になって電話がかかってきて、「大事な話があるから、今から会おう」と言われた。いつものことながら、せっかちな話だった。
「相棒と待ち合わせの時間があるから」と断ったのだけれど、ハーヴェイは、「間に合うように送るから、滝の見えるカフェで待っていてくれ」と言い渡して電話を切ったので、仕方なくコンコースにあるカフェで待っていると、やがてハーヴェイが現れ、椅子に座るや、
「どうだい、1万ドルもうける気はないかい?」
と切り出した。
ハーヴェイ独特の、思わせぶりな言い方だった。目の奥が光っていた。
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