連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第6話 寂聴さんのこと
名作誕生の裏には秘話あり。担当編集と作家の間では、作品誕生まで実に様々なドラマがあります。一般読者には知られていない作品の裏側をお伝えする連載の第6回目です。「瀬戸内寂聴」といえば、読者に寄り添った数々の温かい名言や、愛と性を描いた伝記、私小説を多数生んだことで広く知られています。当時のエピソードを振り返ってみましょう。
誰しも、読まなくてはいけないと思っていて、なんとなく読みそびれてしまっている有名な作品があるものだ。私の場合は、トルストイの『戦争と平和』がそれだし、『源氏物語』もそうだった。
『源氏物語』は、女性の作家による日本が誇る最古の長篇小説だし、やっぱり読んでおかないとマズイよなあと、何度か、原作や現代語訳を読み始めてみたが、そのたびに登場人物がメソメソ泣いたりするところに来ると、そこから先に進まなかったのである。
それまで、ずっと雑誌の編集部にいた私は、1992年に、はじめて文芸図書の部署に異動した。その頃から、部内に、瀬戸内寂聴さんの『源氏物語』の現代語全訳の刊行企画が持ち上がっていた。講談社創業90周年を記念した大型企画で全10巻になる。
箱入りのハード・カバーで、定価2524円(税込2650円)もするのだ。10巻を揃えるとかなりの
自分のことは先生とか呼ばずに寂聴さんと呼んでと言われていたので、ここでもそう呼ぶが、寂聴さんは、その時すでに70歳を超していた。全10巻になる企画が完結するのは後期高齢者になっている。大丈夫だろうか?
そんな私を見て、寂聴さんは私が不安に感じていることを察したのだろう、
「あなた、私が歳だからこの企画の途中で死んじゃうと思ってるんでしょう」
と言った。面と向かって、「死ぬ」なんてキツイことを平気で口にするのが寂聴さんらしかった。
私は、もちろん、寂聴さんが途中で死ぬなんて思っていなかったが、完結まで何があるかと、不安に思っていたのは確かなのでギクリとしたが、
「まさかあ」
と慌てて否定した。
寂聴さんは、そんな私を見て、「そう思う人がいるから、なにくそと、ファイトが湧くのよ」と笑った。
結局、創業90周年企画にふさわしいものだということで、企画は会議を通った。
これまで、『源氏物語』の現代語訳は、谷崎潤一郎と円地文子のものが際立っていた。そこに乗り込んでいくのだから、寂聴さんの意気も軒昂たるものがあり、編集部も販売部も大いに意気が上がった。
私は寂聴さんが1973年に剃髪し得度する前に、晴美といっていた時代に目白台のマンションの部屋に伺ったことがあった。
たぶん、エッセイの原稿をいただきに行ったのだと思う。
部屋に通されたときの瀬戸内晴美さんは生気溢れていて、作家としても、女性としても充実していたときだったと思う。色気があった。と言っても、セクシーだと言う意味でなくて、小説家として編集者や読者を惹きつける魅力に溢れていたのだ。
まだ若かった私は、そのころの寂聴さんが、同じ小説家の井上光晴さんと不倫の恋をしていることを知らなかった。
この企画が進行するにつれて、実際の編集作業は担当者がやってくれていたが、私も、サイン会や講演会などの企画のために、寂聴さんにお目にかかる機会が多くなった。
なにより嬉しかったのは、寂聴さんの訳した『源氏物語』は、主語がはっきり分かるように訳されていて、とても読みやすかったので、全巻読み通せたことだ。ひとつ私の宿題がこなせたのだ。
東京での定宿にしていたパレス・ホテルはもちろん、京都の嵯峨にある寂庵にも足を運んだ。
寂聴さんが、玄関の脇に生えている木を指差して、
「これが沙羅の木よ。平家物語で有名でしょ」
と教えてくれたことがある。私ははじめて沙羅の木がどんな木なのかを知った。
岩手県にある天台寺にも行った。天台寺は、中尊寺の貫主であった作家でもある今東光さんが住職として晋山したのち、1887年に寂聴さんが跡を引き継いで住職になっていた寺である。
『源氏物語』の現代語訳が完結したあと、寂聴さんの人気は物凄いものがあって、天台寺の月に一回の講話の時など、旅行代理店が企画したのだろう、大型バスを連ねた善男善女がわんさかと押しかけてきた。
寂聴さんの講話は分かりやすく、ユーモアに溢れ、体験談を織り込んだりして、笑いながら、しかし、最後には心がほどけてくるような気持ちになれた。
天台寺の庭で行われる講話だったが、いつも好天に恵まれていた。寂聴さんは、
「私は念が強いからね、エイッって念じると晴れになるのよ」
と、冒頭に言って、笑わせていた。
サイン会でも、寂聴さんはいつも上機嫌で、周囲には笑いが溢れていた。
写真は『源氏物語』の講演会の後、ロス・アンジェルスの領事館の応接室でくつろぐ寂聴さん
はっきり覚えていないけれど、何かの都合があったのだと思う。私は、寂聴さんと秘書の方と3人で、鉄道を乗り継いて、天台寺に行ったことがある。
列車の待ち合わせで、寂聴さんとベンチに並んで座っていると、寂聴さんに気がついた女性たちが、みんな手を合わせて拝んだ。ついでに、何者か分からないままに、隣に座っている私にも手を合わせる人がいて、それにはとても申し訳ない気がした。
そのとき、寂聴さんが、ふと呟いた。
「命なりけり小夜の中山」
確かにこう聞こえた。
西行のうただ。西行も恋が元で出家したと言われている。
「西行ですね」
「そうね。年たけてまた越ゆべしと思いきや 命なりけり小夜の中山」
そう続けた寂聴さんも、これから静岡の小夜の中山のそばを通って、白河の関を越して、陸奥に行こうとしている。西行は仏教と和歌と旅に生涯をかけた人だが、寂聴さんも文学と恋と仏教に生涯をかけた。
いつも
また、ふたり連れの女性が通りかかって、
「まあ、寂聴さん!」
と驚きながら、歓声を上げた。
入って来る列車に乗るために立ち上がった寂聴さんは、もう、いつもの笑顔に戻っていた。
【執筆者プロフィール】
宮田 昭宏
Akihiro Miyata
国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギアマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。
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初出:P+D MAGAZINE(2023/01/13)