連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第8話 北方謙三さんと直木賞
名作誕生の裏には秘話あり。担当編集と作家の間には、作品誕生まで実に様々なドラマがあります。一般読者には知られていない作品の裏側をお伝えする連載の第8回目です。「北方謙三」といえば、その硬派な人物像やハードボイルドな作風もさることながら、長きに渡り直木賞の選考委員を務めてきたことでも知られています。ある年の選考過程に起きた、知られざるエピソードを振り返ってみましょう。
北方謙三さんと直木賞
北方謙三さんが、2000年上期から23年の長きにわたって務めてきた直木賞の選考委員を、75歳になったのを機に辞任した。北方さんは最後になる直木賞選評に、「懸命に精読したという、ささやかな自負がある」と書いているが、まことにその通りで、誠実で真摯な選評は実作者の小説の読み方のひとつの例として、いつも刺激を受けてきたものだ。
写真を撮られるときに、凄んだ顔を作って、硬派な感じを演出しているが、小説について、北方さんは、少年のようなナイーブさを、いまでも持ち続けている人だ。1983年に、『眠りなき夜』で吉川英治文学新人賞を受賞したころ、私がはじめて会ったときに感じたままだ。
北方さんは、選考委員を辞めるにあたって、朝日新聞デジタル版で、「東野圭吾さんの直木賞『大問題だった』 北方謙三さんが明かす舞台裏。」と題したインタビューを受けている。
じっさい、東野さんは『秘密』が直木賞候補になって以来、ほとんど毎年のように、そのミステリー作品が候補になっていて、候補6回目となった『容疑者Xの献身』もミステリーなのだが、この作品でようやく受賞している。確かに大問題には違いない。
北方さんの回顧によると、当時ミステリー作品が受賞するには、渡辺淳一さんという壁があった。渡辺さんの主張は、「人が1人死ぬというのは大変なことで、トリックのために死ぬというのは許せない」ということに尽きるようだ。もちろん、一理ある。
北方さんは、インタビューの中では触れていないが、選考委員になって2年目の2002年下半期、横山秀夫さんが、『半落ち』で128回の候補になって受賞がかなわないということがあった。
このことに北方さんが果たした役は大きいものがあったのだが、実は、この件に私も端役ながら、ある役を演じているので、この機会に少し振り返ってみたい。
と言うのは、『半落ち』は、小説現代の2001年3月号から2002年4月号に連載され、同年9月に単行本として出版されたが、私は、この出版の責任者であったからだ。
2002年の年末、『半落ち』は「このミステリーがすごい」と週刊文春「ミステリーベスト10」の一位を独占した。当時は、このふたつのどちらかにでも取り上げられると、その本の売上が伸びたものだ。『半落ち』はその両方の一位を独占したのだから、凄い勢いで、ベスト・セラーになっていった。
物語は、現役の警部が妻を殺害したと自首してきたところからはじまる。これだけでも大変なことだが、殺害から自首まで2日間経っているのに、自首してきた警部は、この2日間に何があったのか、頑として、口を割ろうとしない。「半落ち」である。
この小説は6つの章に分かれていて、警視、検察官、地方支局の記者、弁護士、裁判官、そして刑務官の立場から語られる構成になっている。それぞれの人生を歩んできた者たちが、それぞれの立場から事件に関わっていくのだ。
2日間の謎が最後の最後まで明かされずに物語を引っ張っていくことから、この作品はミステリー小説だと言えるかもしれないが、主人公の警部はじめ、章のタイトルになっている6人とその周辺の人たちの人生が的確に描かれている。ミステリーのベスト・テンのトップに選ばれてはいるが、ミステリーのためのミステリーではなく、例えば山本周五郎が言う「いい小説」、それも一級品である。
直木賞の候補になったとき、私は受賞を疑わなかった。大いに自信があったのだ。
ところが、私の期待に反して、受賞を逸した。直木賞は該当者なしだった。私は驚きもし、がっかりもした。
ところが、選考の過程で、北方さんが、骨髄移植センターに確認した結果、受刑者は骨髄移植のドナーとなることができないという返事があったと報告され、その報告が落選になったひとつの大きな原因となったと伝わってきた。
受刑者は骨髄移植のドナーとなることができないのかという疑問は、いわゆるネタバレになるのだが、その当時、たくさんの新聞記事が出たり、さまざまなブログでも明らかにされたりしたことであり、また、そのことをあらかじめ知ったとしても、小説の価値を下げることにはならないと思い、あえて、そう書く。
選考会の直後の記者会見で、林真理子さんが、ミステリーとしてでき過ぎではないかということと、北方さんから、選考会の途中で、受刑者はドナーとして提供できないという指摘があったということと、渡辺淳一さんから、そういう欠陥があるのに誰もわからなかったのか、今のミステリー業界はちょっとよくないんじゃないかという発言があった──というようなことを発言した。そこから、選考は急展開したとも伝わった。
林さんの発言に端を発して、いろいろなメディアで、北方さんが、基本的な事実関係に誤りがあると指摘したということが取り沙汰されることになった。
私にとって重い意味があるのは、このことで、この作品が基本的なことに欠陥があるという説が流れるようになってきたことである。欠陥品をそのまま流布した──。
ことの事実関係を確認するために責任者としての私も、骨髄移植のために、受刑者と移植を受けたい人との条件が適合し、ほかに適合する人がなかった場合、受刑者はドナーになり得るのかと問い合わせてみた。
私の問い合わせに答えてくれた男性の職員の人の答は、「ほかに適合者がいないときは、命を助けることを優先して、そういうことは可能である」というものだった。
私は、講談社のホームページに、文芸局長の意見として、『半落ち』は調査の結果、妥当な設定であり、いささかも欠陥がある作品でないという反論を掲載した。
この間、北方さんは、私と会って話をする機会を、何度か、作ってくれた。私は私で、この小説に対する意見を率直に北方さんに伝えた。北方さんも真摯にそれを受け止めてくれた。それでも、最終的に、少なくとも私にとって、あまり気持ちの良い結論にならなかったと思う。
私は、この原稿を書くために、『半落ち』を読み返しながら、改めて心を揺さぶられた。やはり、傑作であるという感想は変わらなかった。
そうそう、北方さんは直木賞を受賞せずに、選考委員になった稀な作家である。
【執筆者プロフィール】
宮田 昭宏
Akihiro Miyata
国際基督教大学卒業後、1968年、講談社入社。小説誌「小説現代」編集部に配属。池波正太郎、山口瞳、野坂昭如、長部日出雄、田中小実昌などを担当。1974年に純文学誌「群像」編集部に異動。林京子『ギアマン・ビードロ』、吉行淳之介『夕暮れまで』、開高健『黄昏の力』、三浦哲郎『おろおろ草子』などに関わる。1979年「群像」新人賞に応募した村上春樹に出会う。1983年、文庫PR誌「イン☆ポケット」を創刊。安部譲二の処女小説「塀の中のプレイボール」を掲載。1985年、編集長として「小説現代」に戻り、常盤新平『遠いアメリカ』、阿部牧郎『それぞれの終楽章』の直木賞受賞に関わる。2016年から配信開始した『山口瞳 電子全集』では監修者を務める。