椹野道流の英国つれづれ 第15回
「どこ行くんですか?」
安全ベルトを締めながら訊ねた私に、ジャックはニヤッとして言いました。
「答える前に着いちまうよ」
「ええー?」
「ほら着いた」
道路脇に車を停めて、ジャックは得意げに顎をしゃくります。
確かにまだ、安全ベルトの金具を受け口にセットする前でした。到着、早すぎ!
そして……。
窓の外にあるのは……パブ! パブだー! 絵に描いたような田舎のパブだ!
かやぶき屋根でこそありませんが、時代を感じる一軒家で、煉瓦ではなく、こぶし大の丸い石が漆喰にぎっしり埋め込まれた壁が、たまらなく魅力的です。
店の前の看板には、牡鹿の顔が描かれています。店名は、まさに〝THE STAG’S HEAD〟、つまり「牡鹿の頭」です。昔は、狩りをする人たちが立ち寄るパブだったのでしょうか。
「サンデーディナー前には、ここで一杯やるのが習慣なんだ。うちにいる留学生を連れてくるのも習慣。クリスも、予定がないときは一緒に来るよ」
「へえ……っていうか、じゃあ、ディナーはジーンがひとりで作るんですか?」
驚く私に、ジャックはさも当然という様子で頷きました。
「ジーンにとって、台所は城だからな。あんまり他人にあれこれ触られたくないんだろうよ」
「あー、そう、なんだ」
道理で! お手伝いしましょうか、と申し出たときの、ジーンのそっけないまでの断り方は、そういうことだったのか!
強引に手伝おうとしなくてよかった~。
誰だって、見知らぬ人間に自分の大事な陣地を踏み荒らされたくないですもんね。
つい、「偉そうにデーンと座っていては厚かましい」と思ってしまいがちですし、お手伝いを申し出て一度は断られても、それは相手の遠慮と考えて、もう一度くらいは「やはりお手伝いを」と言ってみるのが、いかにもジャパニーズしぐさ。
でもここでは……少なくともリーブ家では、申し出を断られたら、真に受けていいようです。「手伝います?」「必要ないわ」「了解でーす」くらいの軽いノリでいいのだと知って、だいぶ気が楽になりました。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。