椹野道流の英国つれづれ 第17回
「行きと同じに決まってるだろ。俺の車だよ」
えええ? 私、運転できませんよ?
いや、一応、日本では運転しているし、国際免許証も取得してはきたけれど、イギリスで運転したことはまだないし、ジャックの車はマニュアル車だし!
クラッチなんて、今さら踏める気がしませんって。
私が慌ててそう言うと、ジョージはクスクスと笑ってこう言いました。
「ジャック、お嬢さんは、あなたの飲酒運転を心配してるんですよ。そういや、前に来たジャパニーズガールも同じことを言ってましたね」
それ、Kのことでは?
そうだよねえ、心配するよね!
日本では、飲酒運転、ダメ、絶対! なのよ。
しかし、真顔の私を見て、ジャックは噴き出しました。
「バカ言うなよ、ビール1パイントくらい、飲酒のうちに入るもんかね」
入るって! 大ビン1本より多いんだもん。入る入る!
「この国じゃ、その程度は飲酒運転にはカウントされないんだ。なあ、ジョージ」
「そうなんですよ、お嬢さん。大丈夫、知ってるでしょ。ジャックの家は、瞬きするくらいの距離しかないんだから」
二人にそう言われて、私は「う、うーん……うん?」と微妙な返事をし、曖昧に頷きました。
二対一だし、郷に入っては郷に従う、です。
確かに凄く距離は短いわけだし……いやでも、うーんうーん。
悩みながらも気弱な私、結局、ジャックの運転する自動車で帰宅することになりました。
「いえ、やっぱり飲酒運転はよくないので、私は歩いて帰ります!」って、毅然とした態度を取れない状況じゃないんですよ。
でもね。
やっぱり親切なジャックに嫌な思いをさせたくないじゃないですか。
それに、行きは下り坂でも、帰りはけっこうな上り坂なのです。歩くの、つらーい。そんな正直な思いもありました。
実際、ジャックの運転にはまったく危なげなどなく。行きとまったく変わらないスムーズな運転で、彼の愛車は家の前にある駐車スペースにピタリと納まります。
「な、大丈夫だろ。何しろ俺は、戦時中はパイロットだったんだからな! 運転技術には自信がある」
ジャックはそう言って胸を張りました。
「パイロット……戦車の?」
「違う。戦闘機だよ」
「ええー!」
今はずんぐりむっくり、脚を引きずって鈍い動作のジャックが、颯爽と飛行服に身を包み、戦闘機の操縦席に乗り込むさまを上手く想像できず、私は眼をパチパチさせるばかり。
「今度、写真を見せてやるよ。かっこよすぎてビックリするぞう」
確かに、彼の年齢は、私の父方の祖父より少し若いくらいでしょう。
第二次大戦のときに、若い兵士として戦地に赴いていても何の不思議もありません。
そうか。世が世なら……戦時中の私の祖父母にとっては、目の前をのしのしと歩くこの人は、敵国の兵隊さんだったのか。
まあ、私が物心ついた頃には、海外旅行を大いに楽しんでいた祖父母なので、そんな暗い思いを持ち続けてはいなかったでしょうが。
それにしたって、お互いの関係性なんて、そのときどきでコロッと変わってしまうのだな。
なんだか今さらながらに不思議に思いながら、私は「写真、見たいです」と返事をして、コテージに向かう階段をひょいヒョイと下りていきました。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。