椹野道流の英国つれづれ 第18回
そうこうしているうちに、リビングにいたジャックが最高のタイミングでテーブルに移動してきて、私たちは三人で「サンデーディナー」を楽しむことになりました。
大きな牛肉の塊を焼いたのはジーンですが、切るのはジャックの役目である模様。
席を立ち、ジーンがカッティングボードの上に載せたローストビーフの前に立ちます。
いや、ちょっと待って。
私は口をあんぐり開けて固まってしまいました。
ぶいーーーーーーーーーーーん。
ジャックが手にした細長い刃物から、異音が放たれます。
よく見ると、刃の部分が、振動しているではありませんか。
え。
チェーンソーとまではいきませんが、どうもそれは、電動ナイフであるようです。
えええー。
ローストビーフを切るだけに、そんな大仰なアイテムを使っちゃうの?
ただの刃渡りの長い包丁でよくない?
お肉、そこまで巨大ではないんだし、固くもないでしょう。
いや、この国ではよくないのかもしれない。郷に入っては郷に従うアゲインです。
しゅいいいいいいいいいいん!
ジャックが電動ナイフをお肉に当てると、ちょっと音が変わりました。
そして、ウソみたいにスムーズに、牛肉がスライスされていきます。
大袈裟は大袈裟ですが、なかなか便利そう。ちょっと木材を切断してるみたいな感じはするけど、でもまあ、綺麗に切れています。
いや、それにしても、よく焼いたな~!
日本でよく見かけるローストビーフは、外側はこんがり、内側は淡いピンクに焼き上げられているものですが、ジーンのローストビーフは、中までしっかり火が通っていました。断面、まっ茶色です。
そういえば、蒸された野菜たちも、深皿に移すとき、うっかり崩してしまったものがいくつかあるくらい、柔らかくなっていました。
どうやらこのお宅では、食べ物を完膚なきまでに加熱するのだな、ふむふむ。もう少し加熱は控えめでもいい気がするけれど、中が生の状態で出されるよりはずっと安心だわ。
そんないかにも医学生っぽい感想を抱き、私は見事な手際で肉を薄めにスライスしていくジャックを見守りました。
当時のイギリスでは、野菜も肉も魚も、とにかくよく火を通す人が多いし、そうやってしっかり調理されたものを好む人が多いのだ、と教わったのは、それからしばらく後のことです。
とにかく、大きなお皿にお肉が二枚ずつ盛りつけられ、野菜は深皿を取り回して、各自が好きなものを好きなだけ。
ご飯は勿論、パンもないけれど、その代わりに、お肉と一緒にローストされた、美味しそうなジャガイモがたっぷり添えられます。
各々のグラスにただの水道水も満たされました。
準備はオーケー。
いよいよ、人生初のサンデーディナーが始まろうとしていました。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。