椹野道流の英国つれづれ 第29回
「あの……ずっと、ここでお仕事してるんですよね? 私の前の住人のことも知ってますか?」
おじさんは、キョトンとして「おう」と答えました。
「10年以上前だから、詳しくは覚えてねえけど、野郎だったぞ。大学生」
「あの……その人も、幽霊を見た、とか言ってませんでした?」
またしてもおそるおそる訊ねると……ええい、またか! おじさん、リーブ夫妻に負けず劣らずの大笑い!
何なの、この国の人は、幽霊大好きピーポーばかりなの!?
「言ってたよ、すげえビビってた。そのうち慣れたって笑ってたけどな」
あ、私と同じだ。前の住人も、やっぱり最初は怖くて、だんだん平気になったんだ。
でも……ってことは、同じ幽霊が、ずーっとお部屋にやってきているってこと? 帰った気配がないのは何故?
そんな疑問を、拙い英語を駆使してどうにか伝えた私に、おじさんは自分の工場、つまり1階部分と、それから工場のど真ん中に「ブッ刺さって」いる金属の棒を指さし、片目をつぶりました。
「こりゃ、お嬢ちゃんの前の住人と推理したことなんだけどな」
「推理!」
おじさん、突然、探偵みたいに口ひげの先をシュッと整える仕草をしてみせました。
「ここは昔、消防署だったわけだろ。だから、出動用のバーが、今も残ってる。お嬢ちゃんの居間の天井もぶち抜いてるだろ、こいつは」
おじさんは、片手で太い棒を軽く叩いてみせます。私は曖昧に頷きました。
「は、はい。確かに」
「俺の推理では、その幽霊、大昔にここに勤めてた消防士だと思うんだよ」
「……あー!」
「で、よっぽど仕事が好きだったのか、職場が好きだったのか。そりゃ知らねえが、死んでからも毎晩、出勤してきてんじゃねえか? で、帰りは……」
おじさんは両手でバーに捕まりました。
「この棒で2階から下まで降りて、出動してるって寸法さ」
「ええええ?」
「俺たちにゃ見えねえが、ここに、かつて幽霊が乗り込んでた馬車の幽霊やら、馬の幽霊やらが待機してんじゃねえかな……ってのが、昔、俺と、上に住んでた兄ちゃんが、パブで飲みながら捻りだした名推理ってわけだ!」
なんだよ~、名推理っていうより、酔っ払い2人の「迷」推理のほうじゃないですか~!
いや、でも。
「来るのはわかるけれど、帰ったのはわからない」理由としては、いちばん……いちばん、なんというか納得できるし、ロマンチックでもあります。
今ならばつい「社畜」なんて夢のない言葉を使ってしまいそうですが、消防士の仕事を愛し、死してなおワーカホリックな幽霊と、その幽霊を乗せて、深夜のブライトンを疾走する消防馬車。
素敵では? ちょっと気の毒な気もするけれど、小説のようで、とても素敵なのでは!?
おじさんにお礼を言って、三脚を小脇に抱え、鍋を両手で抱えて「我が家」への階段を上がりながら、私の胸は、この家に来て初めて、最高にときめいていました……。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。