源流の人 第51回 ◇ 山口馬木也(俳優)

源流の人 第51回 ◇ 山口馬木也(俳優)

いぶし銀俳優が掴んだシンデレラストーリー。泣いて笑った観客たちが再発見した才能の金脈

 名バイプレーヤーとして、時代劇をはじめ演劇、テレビドラマの世界で独自の存在感を放ってきた俳優・やまぐち。そんな、いわばいぶし銀俳優だった彼の知名度は今や世界レベルだ。初めての主演となった自主制作映画「侍タイムスリッパー」が2024年8月の公開以来、空前の大ヒットを記録し、世界各地の映画祭では賞に輝いている。コツコツと約25年間、実績を積んできた名うての役者は今、巨大な上昇気流のうねりに乗っている。
取材・文=加賀直樹 撮影=松田麻樹

「今もですけど、『どうしましょう……?』っていう感じ。奇跡の連続で、ちょっと説明がつかないから、いつも手を合わせて拝んでいます」

 インタビューの最初、山口は、当惑と興奮の入り混じった表情を浮かべていた。25年の俳優生活の中で、自身では初めての主演作品となった映画「侍タイムスリッパー」、通称「侍タイ(さむたい)」。それが、たいへんな事態になっている。2024年8月に「池袋シネマ・ロサ」(東京)単館で公開以降、瞬く間に津々浦々へと高評が伝わり、じつに全国340以上の映画館で上映された。いっときは「預金残高7000円」にまで減ったという、安田淳一監督の自腹で制作した低予算作品が今、8億円以上もの興行収入を叩き出した。さらに、2024年の暮れも押し詰まった12月27日、ビッグニュースが舞い込んできた。「第37回日刊スポーツ映画大賞」で、山口が主演男優賞を受賞。さらに、安田淳一監督の監督賞、作品賞と三冠を達成したのだ。

「侍タイ」が話題になりだしてから、山口の身にも想像しなかった変化が訪れている。

「コンビニでおむすびを買ったとき、お店の人に『おめでとうございます!』って言われました。大阪では僕を見たご年配の奥様が『あっ!』と。旦那さんがすかさず『こんなとこにいるわけないやろ!』って(笑)。侍の格好でないと、わからないんだと思いますね」

山口馬木也さん

「侍タイ」は、時代劇コメディー映画だ。山口の演じる幕末の会津藩士・高坂新左衛門が、長州藩士を襲撃した夜、雷が落ち、2000年代初頭の京都の時代劇撮影所にタイムスリップしてしまう。見るもの触れるものすべてに驚き、感動しながら、「斬られ役」俳優として新左衛門は現代を生きていく。その朴訥で素直で、かつ侍としての矜持を保つ新左衛門に、客席から喝采が起こっている。山口は、恐縮した表情を崩さず、こう続ける。

「『剣客商売』で共演して以来、師と仰いでいる藤田まことさんは、お生まれになったところが池袋なんです。ちょうど、初めて一般公開してくれた映画館がある街。それに僕、京都で最初に声をかけてくださった『東映剣会』のの方が、(「侍タイ」に出演が決まっていながら逝去した)福本清三さんでした」

 撮影時期はおりしもコロナ禍。山口自身、出演予定だった舞台が次々とキャンセルに。それもあってこの映画撮影の参加が叶った。──いろいろ繋がっている。

「あの方々が応援してくださっている。そう思わないと、この状況はちょっと説明がつかないと思います」

 まるであの「カメラを止めるな!」現象再来のような「侍タイ」ブームに、これまで共演してきた俳優仲間も喜んでくれている。谷原章介は、情報バラエティ番組で「侍タイ」現象に触れ、カメラ越しに「マキ、おめでとう!」と讃えた。山本耕史、鶴見辰吾、片岡愛之助──。山口の活躍する姿を観て、次々と絶賛してくれたという。山口は嬉しそうな表情になる。

「西岡德馬さんなんか、映画を観てすぐに直電をかけてくださって、『電話せずにはいられなかったぜ!』って(笑)。嬉しかったですね。その後、長文のメールもいただきました。ありがたいです」

 これまでも、数々の作品に出演し、活躍の幅を広げてきた山口だが、「ここまでの反響は初めて」と驚く。制作陣も、俳優陣も、こんな旋風が吹き荒れることを誰も想像していなかった。それにしても、エンドロールを見るとビックリする。監督、脚本、撮影、編集、衣装、すべて安田淳一と記されている。安田が貯金を崩し、車を売って製作費を捻出してきた。そんな安田の脚本に一目惚れし、出演を即断した山口だったが、制作過程で不安は尽きなかったと振り返る。

「僕は時代劇によく出ていますので、安田監督から予算を聞いたとき、つじつまが合わないというか、たぶん無理なんじゃないかな、と思いました」

山口馬木也さん

 まず、制作には不可欠な「記録係」がいない。そのせいで、話が繋がらないことが多々生じた。

「それでまた追加撮影。それが重なって、一時期は完成しないかも、って……」

 制作費用を少しでも浮かせようと、山口は、東京の自宅から撮影場所のある京都まで、自分で車を運転して移動した。映画撮影所の助監督役を担った俳優・沙倉ゆうのは、実際に「侍タイ」自体の助監督も兼務しており、彼女の実の母親も加わって小道具づくりに没頭した。作品のなかで、新左衛門が泣きながら大きな塩むすびを頬張る、印象的なシーンがある。そのおむすびは、監督の兼業する農家で穫れた白米で握った。

 そんなチームの、おそろしく「手弁当」な姿に感銘を受けたのが、東映京都撮影所(東映京都)だ。100年の歴史を持つ「時代劇の聖地」が、屋外ロケのセット貸し出しだけでなく、メイクや衣装など様々な面で、このインディーズ映画制作を支えた。それは極めて異例なことだった。

 2023年、京都国際映画祭で特別招待作品として上映された際、観客からの歓声と拍手が鳴りやまなかった。それが池袋での単館上映へと繋がり、「侍タイ」ブームが巻き起こっていく。それからの日々は、山口曰く「信じられないことばかり続いている」状態だった。

 25年の俳優人生を送ってきた山口だが、意外にも主演は初めてだという。山口は語る。

「主演の方の重圧や責任を、これまで見てきてわかっていたので、自分が主役になりたいとは思ってこなかったです。それよりも、『俳優になりたい』って思いがずっとある。未だに俳優に憧れて俳優をやっている感じです。今回はスタッフさんも少人数で、スポンサーが安田監督。プロデューサーも監督も全部、安田さん。だからプレッシャーがなかったのかもしれません」

山口馬木也さん

 ただ、良い作品をつくりたい。面白い作品をつくりたい。それだけの気持ちで臨んだという。

「やっているときは、みんなで一緒にイチャイチャしながらつくっている。共演者とイチャイチャしに現場に行く感じ。だから、僕がやったことはわずかで、ほとんど周りの人がつくってくれた。だから、主演というのがピンと来ないまま演じていました」

職人の血

 晴れの国、岡山県の中南部にあるそうじゃ市で生まれ育った。古代びのくにや、びっちゅうのくにの歴史財産の数多く残る総社の街で、今は亡き祖父は、雛人形などをつくる職人だったという。

「僕はもともと職人気質なんです。じいちゃん、……父ちゃんも……、代々職人です」

 祖父はいっぽうで、正月になると従業員を集め、民謡「おてもやん」を歌ったり、日本舞踊を踊ったり、手品をやったりして楽しませていた。そんなエンターテイナー的な血が、山口に受け継がれたのかもしれない。40歳になる手前、実家に帰省した山口は、祖父の手紙を見つけ、驚いたという。

「じいちゃんの手紙には、『夢は俳優になることだ』って書いてあったんです。ここで(自分と)繋がったと思いました。一個、ギアが上がった。『自分はまだ俳優を続けていても良いんだ』って。その手紙にずっと後押しされてきた気がしているんです」

山口馬木也さん

 山口が俳優に憧れることになった最初のきっかけは、高校生の頃に観た、レオス・カラックス監督の映画「汚れた血」(仏、1986年)だった。愛のない性行為で伝染する死の病、STBOが蔓延する近未来のパリを舞台としている。山口は振り返る。

「ドニ・ラヴァンという主役の俳優さん、『格好いい!』って思いました。ファッション、しぐさ、僕のなかですごく新鮮で、アーティスティックなものを観たという感じがあって、憧れました」

 ものづくりを生業とする血を継ぐ山口が、芸術系の大学へ進もうと考えていた頃だった。当時、地元で上映される作品といえば、ハリウッドなど大作ばかり。そんななか、たまたま映画館ではなく、美術館で企画として上映されていたその作品を観て、山口は「演じる」という芸術に初めて触れたのだった。

俳優になっても、俳優に憧れ続ける

 合格した京都の大学で油絵を描き、いっぽうでドラム演奏にも明け暮れる日々。ある時、実家の事情でゴタゴタが起き、家具一式を売ってバイクに乗り、東京へ移った。「俳優」という漠然とした理想を抱えながらも、「劇団に入って役者になる」という道の存在自体、山口は知らないでいた。音楽とアルコールの入り混じるクラブでバーテンダーをしていたある夜、芸能関係者と出会ったことがきっかけとなり、思いがけず俳優としての人生が始まった。デビューは1998年の映画「戦場に咲く花(原題「葵花却〈ひまわり〉」)」。このときは台詞もなく、難なく終わったが、その直後に出演した、初めてのテレビドラマの現場で、山口は激しく動揺したという。彼は振り返る。

「ただカメラの前で喋れば良い仕事だと思っていたけど、違っていました。まったく何もできなかったんです。それからですかね、『俳優になりたい』と真剣に思うようになりました」

 2000年には、巨匠・蜷川幸雄演出による「三人姉妹」で初舞台を踏む。それ以降、いくつものNHK大河ドラマや、「水戸黄門」「剣客商売」などといった人気時代劇作品に出演し、順調にキャリアを重ねてきた。「それでも」と、彼は謙虚に振り返る。

「それでも何もできないんです。でも、なぜか、充実はしているんです。そのまま今に来ているっていう感じ。『俳優になれたけど、まだ俳優やっているんだな』って思います。憧れを持ったまま続いている」

山口馬木也さん

 俳優を続けるなかで、とりわけ、助けられたジャンルがある、と山口は語る。それは時代劇だった。なぜか。

「刀の抜き方などの所作、立ち回りが元々決まっています。俳優の仕事って、何が正解か、わからない。けれども、時代劇なら決まりごとを身に付けることから入れる。何もわからなかった頃、まず、取っ掛かりができたのが、時代劇の仕事でした。救われました」

チャンバラに熱中する子どもたち

「侍タイ」の新左衛門の侍のカッコよさ。殺陣の魅力。様式美。この映画を観てから時代劇の魅力に気づく人や、改めて思い出す人が続出している。かつて栄華を誇った日本の時代劇だが、ここ最近は、目にする機会が極端に減った。そんな折、彗星のごとく現れた「侍タイ」ヒット。思い返してみれば2024年には、真田広之主演の時代劇ドラマ「SHOGUN 将軍」(米)が、「プライムタイム・エミー賞」の25部門にノミネート、うち18部門で受賞し、業界を驚かせたのも記憶に新しい。時代劇は、今、新たなブームになってきているのでは? 山口は語る。

「僕、時代劇をいっぱいやっていますけど、真田さんがいらっしゃる以上、時代劇についてどうこう、僕の口からは何も言えません(笑)。でも、ぜひ、ちっちゃい子に見せてほしい。例えば、映画鑑賞会で、全国の小学生や中学生に見てもらうとか。それが叶えば、時代劇の未来もちょっと明るくなると思います」

 そんなふうに山口が考えるのには、理由がある。

「うちの子どもたちに『侍タイ』を見せたんです。そうしたら、『模擬刀を買ってくれ』って(笑)。家でチャンバラごっこが始まりました」

山口馬木也さん

 2人とも、セリフやストーリーをほぼ完ぺきに言えるようになったという。クラスメートも同様に「侍タイ」にハマり、チャンバラに熱中する動画が山口のもとに送られてきた。「X」などのSNSに目を向けてみても、「侍タイ」熱愛の投稿が次々と目に飛び込んでくる。10回、いや、20回、30回以上、観に行った人もいるという。時代劇の世界が、子どもを含むあらゆる世代に受け入れられているのを、山口は実感している。彼は語る。

「ここ(若い世代)にアプローチできる作品だなって思うんです。子どもたちが時代劇をまた新しくつくって、面白いものを見せてくれたら良いなって。そのときにまだ僕が俳優を続けているのであれば、参加できたら楽しいなと思います」

宝物が返ってきた

「侍タイ」の放つ勢いはとどまることがない。すでに国境を超え、カナダ、プエルトリコ、スペイン、フィンランドなど各国の国際映画祭で上映され、いくつもの賞に輝いている。カナダの「ファンタジア国際映画祭 2024」で観客賞・金賞に輝いたときも、上映後の舞台挨拶で万雷の喝采を浴びた。そのいっぽうで、気づいたことがいくつもあった、と山口は振り返る。

「海外の人って不思議なところで笑うんですよ。斬り合いの前にたすき掛けをしている場面で笑うんです。相手がたすき掛けを終えるのを、ただ待っている。それに対して大爆笑。なぜ、この間に相手を斬らないんだ、って(笑)。でも、日本では、ここで笑う人は誰もいない」

 息、間合い。塩むすびを泣きながら頬張る新左衛門、ショートケーキを前に号泣する新左衛門。観客が感動する名シーンだ。しかし、これらのシーンは、元々感動させようと意図したものではなかったという。このように「侍タイ」のあらゆるシーンで、山口や制作陣たちが、およそ予想もしていなかった反応が、観客から沸き起こった。そして昭和の頃にあったような、銀幕を前に観客が大声で笑ったり、拍手喝采したりする光景が、続出している。日本国内のみならず、外国での招待上映でも、それは同様だ。

「予想以上の反応がウワーッて返ってきて、逆にお客さんから教えてもらいました。僕が1だと思っていたことが10だった、みたいなことを。ショートケーキのシーン。みなさん口々に泣いたって言ってくださって。そんな反応をいただけると思ってなかった。観てくださった人が本当に何百倍で返してくれるので、僕の日常の景色も変わって見えてくるような気がします。『宝物が返ってきちゃった』って。毎回、舞台挨拶で泣いちゃうんですよ。お客さんの『もらったよ』みたいな顔を見ると、ワーッてなっちゃう。ありがたいと思います」

山口馬木也さん

 解釈はそれぞれかもしれない。けれども、あらゆる人の心が揺さぶられる。作品を観終えた観客の表情に、山口は涙する。それにしても俳優とは、なんと尊い仕事なのだろう。山口は語る。

「ロサで、応援イベントがありました。そのときは上映中、声を出して良かったんです。『新左衛門!』『そこだ!』とか、お客さんがいっぱい声を出してくれて、手を叩いて、笑っていた。僕らも後ろで見ていたんですけど、涙が止まらなくなって。お客さんが『うおーっ』と盛り上がっていて、声を出しながら舞台を観劇するみたいになっている。本当にこの作品には、感謝、感謝です」

 つねに良い環境でものづくりをさせてもらった、山口はそう振り返る。

「つくっていたときは、良くも悪くも、安田監督のところに行く。監督と言い争いになったこともありますし、監督も負けてはいない。でも、そういうのをひっくるめてのものづくり。みんな楽しそうにやりました。スタッフさんも含めて」

 いっぽうで、「侍タイ」に続編はない、と山口は言う。

「最初で最後ですよね。安田監督、この映画の成功でインディーズの人じゃなくなりますから。だから、あんなものづくりは、もうたぶん二度とない」

山口馬木也さん

 それだけではない。「山口馬木也ファン」が新たに大量に爆誕したのは間違いない。だから今回、喝采を送った観客は今後、「山口馬木也を観に映画館に足を運ぶ」という観客へと変わっていく。山口はもうそういう存在なのだ。

オファー殺到、そして現在

 予想通り、というか、当然というか。「侍タイ」後、映画、テレビ、舞台と、山口への出演オファーが後を絶たない。彼は、笑みを浮かべながらも、ちょっと複雑な表情で、こう語る。

「ありがたいことに、同時にドンと来ているんです。今までそんなことはなかった。あったにしても、こんな状況ではなかったんですよ。どうしていいかわからなくて。できるもんなら、すべてやりたいですよ。だけど、そうもいかない。ここで何を基準に仕事を選べば良いのか、悩みどころなんです」

「侍タイ」は、脚本を読んで、脚本に惚れて出演を即決した。だが、本来は、脚本が完成してからのオファーは稀で、スケジュールを先に押さえられる例が大多数だそうだ。彼は言う。

「今まで考えたことのなかった責任を感じているんです。所属事務所の後輩にも繋げていきたいし、前みたいに、単純に『俳優に憧れて』なんて言っている場合でもないのかなって」

 山口は続ける。

「これまで一緒にお仕事して、尊敬する人は数多くいらっしゃいます。かといって、舞台を見たら、突如としてすごく若い才能とも出会えます。今回の映画もそうですけど、一期一会でやっていく、みたいなところはありつつも、こうなってくると、どこを頼りにしていけばいいのか……。ありがたい悩みです」

山口馬木也さん

 もう一つ、ドラスティックな変化が彼に訪れている。それは、もともと憧れて入った俳優の世界でありながら、映画作品に「あまり出演していない」という思いが、山口自身にはあった。その思いが、映画館から彼を長らく遠ざけていた。山口は語る。

「俳優であるのに自分はそこ(スクリーン)にいない。あと、映画を観ていると仕事のことを思い出すのでなかなか楽しめない。だから、日本映画ってあまり観ていなかったんです。それよりも、言葉の直接入ってこない海外映画を観てきました。だけど、なぜか不思議なもんですよね、自分の頭の片隅にもないと思っていたのが、今回、(「侍タイ」を)観てもらったら、『日本映画を観てみたいな』って思うようになったんです。現金だなというか、人間だなと思いました」

 自分でも不思議だとは思いつつ、もしかしたら、「日本映画は観ない」と自身に言い聞かせていた部分もあったのかもしれない。山口のなかで、いろいろなことが変わろうとしている。俳優として、ドラスティックに変わっていく、今まさにその瞬間に山口は立っている。

午前3時に起き、パンを焼く

 職人の血が流れる山口は、オフの時間も職人気質である。まずは料理。最近、彼がつくったのは、酒盗とウニ、イカのパスタだという。何ですか、そのおいしそうな一品は。

「コンビニで売っている酒盗をニンニクと和えたパスタに、瓶詰のウニとイカを載せて、最後に大葉を刻んで載せるんです。最近、日本酒もちょこちょこ飲むようになったので、コンビニでおつまみ用に買った余りを使いました。意外とおいしかった(笑)」

 なかでも、じっくりつくるのが好きだと彼は言う。塩豚、パン。和食、イタリアン、タイ、中華。ここ20年ぐらい続けているという。

「パンづくりなんて、気分転換になりますよ。時間はかかりますけど、できたてが食べられる。塩パン、子どもが喜ぶんですよ。みんな寝静まっている午前3時に起きて、生地を発酵させていくんです」

 嬉しそうに語る山口の表情を見ていると、料理番組のオファーが来そうな気配がする。もう一つ、彼がハマっているのはゴルフ。コロナ禍の頃、打ちっぱなしから始め、のめり込んでいるそうだ。

「時代劇の立ち回りと、不思議と共通点があるんです。外に見えていることと、中で動いているものが違う。静と動の切り替え。あと、重心。本身(真剣)に見せようと思ってたけみつを振っていると、本身には見えないんです。竹光の重心を捉えてやらないと。そんなことを考えながらやっています」

山口馬木也さん

 本身は2回振ったことがあるという山口。巻き藁を相手にした折、不思議な切れ方がしたと彼は振り返る。

「自分のイメージと違う切れ方だったんです。撫でるようにスーッと切れていくことを僕は想像していたんですけど、まったくその感覚ではない。もっと荒々しい。『ドン!』っていう感じ。打撲に近いんです。でもすごく切れる。切り口は引いたように切れているんですけど、すごく不思議な感覚です。本身は怖いですね。抜くのも収めるのも」

 2025年が明けた。この記事が配信される頃、山口は、4年ぶりに実家に帰省し、母親との久しぶりの再会を果たしている最中かもしれない。

「この大ヒットを、めっちゃ喜んでくれています。泣きながら喜んでいます。映画館にも観にいってくれました。ただ、パンフレットを5冊買ったときに、すごく怪しまれたそうです(笑)」

 あまりの人気に、「侍タイ」のパンフレットは現在、激レアとなっている。山口は弾けるような表情でこう続けた。

「品切れ状態が続いていたらしいんですよ。映画館の人、母親に『これ、転売する気じゃありませんよね?』って(笑)。そんな、八十いくつの女性捕まえて、転売も何もないだろうと思ったけど。でも、『もう完売らしいよ。こんなこと言われた!』ってすごく喜んでいました」

 2025年の始まり、これほどにも明確に、上昇気流に乗っている人の言葉に触れると、誰もが幸せな運気を分けてもらえる気がしてくる。

山口馬木也さんご愛用の包丁
よく研がれ、使い込まれた跡がうかがえる「GLOBAL」の包丁。引っ越しの際、元の住まいに忘れてきてしまう、というアクシデントを乗り越え、20年以上の相棒となっている

山口馬木也(やまぐち・まきや)
1973年岡山県生まれ。1998年、日中合作映画「戦場に咲く花」(原題「葵花却」〈ひまわり〉)で俳優デビュー。以降、映画「雨あがる」「告白」「悪の経典」、NHK大河ドラマ「八重の桜」「鎌倉殿の13人」、ドラマ時代劇「剣客商売」シリーズ、舞台「オセロー」「西遊記」等数多くの作品に出演。2024年、初主演を務めた自主制作映画「侍タイムスリッパー」が大ヒットし、世界的な注目を集めている。

山口馬木也さん

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