『百年泥』、『おらおらでひとりいぐも』(芥川賞受賞作)はここがスゴイ!

前田司郎『愛が挟み撃ち』:馬鹿馬鹿しいけれど「まあいっか」と思えてしまう

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【あらすじ】
36歳の京子と40歳になる俊介は、不妊に悩む結婚6年目の夫婦。子どもがどうしても諦められない俊介は、共通の知人である水口に協力を仰ぎ、京子と子どもを作ってもらうことを提案する。

五百蔵:純粋に、すごく面白かったです。僕は今回、これが受賞する可能性は高いんじゃないかと思っています。

トヨキ:私は前田司郎作品の会話がとても好きなんですが、これもやっぱり面白くて……。ただ、読み終えたあと、なんだかグロテスクなものを見てしまったような気持ちになりました。

田中:劇作家らしい文章ですよね。ラストのほうで、京子と俊介が洗濯物を前に喧嘩するシーンがあるじゃないですか。ああいった描写のディティールが本当に面白い。“あるある”風の細かいことを過剰に描写するというか。

五百蔵:作者の前田さんはキャッチーな描写がうまいのはもちろん、そこに厚みがありますよね。たとえばいま田中さんが言った“洗濯物を前に喧嘩する”シーンって、京子の気持ちがまだ水口に残っていることを俊介が非難する、本来なら一番感情が溢れ出るシーンじゃないですか。読者も、本来なら2人の心が離れてバラバラになってしまうんだろうな……という予感とともに読むシーンですよね。でもなぜか、彼らの生活についての情報が過剰なほど、余計に描かれているから、あまりドキドキしない。

トヨキ:喧嘩の合間に「なんで脱水かけちゃうの」みたいな会話が入ってくる(笑)。

五百蔵:そうなんですよ。このシーンは結局、「水口くんの子どもが産みたいから」という決定的なひと言を京子が最後に言ってしまうわけですが、京子と俊介の関係と生活の細部があまりにも強く結びついてしまっているから、「あれ、この2人最後まで別れないんじゃないか」と思わされてしまう。

トヨキ:この関係、相当な衝撃を与えても壊れないんじゃないか、と。

五百蔵:実際に、そんな喧嘩も経て、最後はすべてがトントン拍子に行きますもんね。

田中:私この作品、電車で読んでたんですが、最後のページで「ええっ!」って大声出そうになりました。

五百蔵:(笑)。本当ですよね。でもなぜか「幸せならまあいっか」と思えてしまう。不妊治療というのも最近ではすごく身近になってきていて、人工授精で産まれた子どもを愛せるか……と葛藤を抱える人は多くいると思うのですが、いざ子どもが産まれてしまえば、そういったことって結構どうでもよくなる。この描き方は、一見乱暴なようでいてとてもリアリティがあると僕は感じました。

トヨキ:なるほど。私はそういった「実感」の部分にリアリティを感じる一方で、登場人物同士が何に惹かれ合っているかが分からなくて混乱しました。お互いがお互いを好きになる理由が、基本的にすべて見た目なんですよね。

五百蔵:登場人物たちは結局、お互いの気持ちをまったく理解し合っていないですもんね。僕はこれをとても面白く読んだ一方で終始イライラしていたんですが(笑)、それはこの作品が1980~90年代に青春を送った自分たちのような世代をすごくうまく描いているからで。なんだか、読んでいると自分の友達を見ているかのようにイライラしてしまって

田中:イライラするのはちょっと分かりますね。でも最後は「まあいっか」になる(笑)。

五百蔵:身も蓋もないことを言ってしまえば、物語って結局「いろいろあるけど頑張って生きていかなきゃいけないよね」ということをいかに説得力を持って描くか、だと思うのですが、この作品には強い説得力がありますよね。

トヨキ:そうですね……。「生きていかなきゃいけない」ことを説得力を持って言うために、普通の小説なら、人と人とのつながりの強さや自分の過去との決別といったものが描かれるわけじゃないですか。でもこれは、この結末で強引にそうさせてしまうという。それが「成り立つわけがないだろう」という不満には繋がらず、不思議と腑に落ちるのがこの作者のすごいところだと思います。

田中:最後は無事子どもが産まれ、しかも彼女に「愛」と名づけてしまう……馬鹿馬鹿しいけれど「めでたしめでたし」というか。

トヨキ:作中で水口が「愛」という言葉に対して“囚われ、視界を狭められ、ただそれを信じ続けることで、それの存在を証明しようとする試み”という定義づけをするシーンがありますが、その言葉さえも肯定的に感じられるような結末ですよね。

宮内悠介『ディレイ・エフェクト』:現代日本を真正面から描いた本格SF

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【あらすじ】
オリンピックが間近に迫った2019年の東京。突如として75年前の東京の幻影が表れる不可思議な現象、“ディレイ・エフェクト”が発生し、人々は混乱を極めていた。妻の曾祖父母の代から暮らす家に住む“わたし”は戦時中の日常を間近で目撃することに純粋な好奇心を抱くが、ひとり娘に東京の戦禍を見せたくない妻との間に溝が生じていく。

田中:私は伊藤計劃などのSF作品が好きというのもありますが、今回の候補作の中では『ディレイ・エフェクト』が一番好きですね。

五百蔵:これ、本格的なSFですもんね。本来なら直木賞候補作になるような作品です。

トヨキ:私は過去の風景が重なって見えるという演出に、星新一の『午後の恐竜』を思い出しました。

五百蔵:たしかに星新一も彷彿とさせますね。日本のSF作品って、小説に限らずゲームやアニメでもそうですが、あえて現実から非常に遠い場所、時代を舞台にして現代日本を描く、ということが多いんですよね。でも『ディレイ・エフェクト』はストレートに「2019年の現代日本」を舞台にしていて、その野心も含めて今回芥川賞候補に選ばれているのかなと感じます。

トヨキ:映像的な作品ですよね。最後に起きる「リバース・ディレイ」も、映像で見てみたい気がします。

五百蔵:実際に映画の世界にも似たアイデアのものがあって……『炎628』という戦争映画なんですが。ラストに、主人公の少年が憎しみを込めてヒトラーの映像を銃で撃つと、映像の時間が巻き戻ってどんどんヒトラーが若くなってゆくというシーンがあるんです。最初は銃を向けていた少年ですが、最後にヒトラーが子どもの姿になってしまうと、彼はヒトラーを撃てないんですよね。戦地という極点から時間の巻き戻しをしていくとやがて憎悪のない世界に戻れる、というのはこの『ディレイ・エフェクト』でも同じだと感じました。

『ディレイ・エフェクト』の中で投影される戦時中の風景も、このまま破壊に向かってしまうのかと思いきや、「リバース・ディレイ」が起きることで逆回転になる。破壊に向かっていた流れが創造に向かう巻き戻しを目撃することで、現代社会に生きる主人公たちも「時間が巻き戻されるように、現実を破壊から救うことはできるのではないか」と希望を持てるわけですよね。ネガティヴだったりニヒルな結末を導きかねない「巻き戻し」のしかけを肯定的なヴィジョンが生まれるよう使っているのが、物語としてもSFとしても素晴らしいと思います。

若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』:変わり続ける主人公の生き方は愛おしい

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【あらすじ】
24歳の秋、東京オリンピックのファンファーレに押し出されるように故郷の東北を飛び出した桃子さん。50年の時が経った今では、夫に先立たれ、子供たちも家を出たことからおひとり様に。そんな桃子さんの脳内では、あらゆる声がジャズセッションのように聞こえてくるのだった。

田中:最後は『おらおらでひとりいぐも』ですね。私は、今回これが受賞するんじゃないかと思っています。

トヨキ:私は、今回の中ではこの作品が一番好きです。ひとりの人物の自分語りの中に、「意識の流れ」であったりマジック・リアリズムであったりさまざまな手法が凝縮されている巧みさもそうですが、何よりも70代のおばあさんのことを描いているのに、まるで自分のことのように共感できてしまうのが素晴らしいなと。最後、桃子さんが泣くところでこちらまで泣いてしまいました。

田中:分かります。70代の女性のひとり語りなのに、10代少女の独白を書いた太宰治の『女生徒』を思い出しました。こんな風に歳をとりたいと思わせてくれる作品ですよね。それに、リズムのある作品なので、読んでいるだけで音楽を聴いているみたいに楽しい。

タイトルの「おらおらでひとりいぐも」というのは東北弁ですが、たしか、妹の死を描いた宮沢賢治の詩『永訣の朝』に似たフレーズが出てくるんですよね。その詩の中では妹が言う台詞で、「私は私でひとりで死ぬから」という意味なんですが。

トヨキ:作中でも桃子さんが夫のことを宮沢賢治の作品の登場人物に例えるシーンがありましたが、やはり賢治は作者の中でも根っこにあるんでしょうね。

五百蔵:僕は、桃子さんの一貫性のなさに好感を抱きました。桃子さんのひとり語りって、言っていることはまったく一貫していないじゃないですか。タイトルになっている「東北弁」についても、そんなものは表層に過ぎないというようなことを言ってみたり、反対に自分の本心そのものだと言ってみたり。けれど、その揺らぎこそが、時間によっていくらでも姿を変える生命そのものですよね。

トヨキ:本当にその通りですね。「桃子さん、さっきと違うこと言ってるじゃん」という感覚が作品に対する不信感ではなく、むしろ信頼感につながって桃子さんにどんどん好感を抱いていく

彼女の“変化”というところで言えば、夫が死ぬまでは彼への愛ひと筋に生きてきた桃子さんが、夫の死を機に「愛に縛られていた」と思い始める。あの変化も、夫に献身的な愛を注いだ彼女の姿を見てきたからこそ、美しかったです。

五百蔵:この作品の素晴らしいところは、最初から最後までどこを切り取ってもいいというところだと思います。起承転結の段取りを読まされている感じではなく、本当にひとりの人間の人生を見た、という気持ちになりますね。

トヨキ:桃子さんが自分のことを「途上の人」と表現しますが、本当にその言葉の通りで。桃子さんはこれまでの自分を振り返る中で過去のことを一切否定しないし、仮に桃子さんがもう少し長生きをするとして、少し未来の桃子さんもきっといまの桃子さんのことが好きなのだろうなと感じました。すごく愛おしい作品だと思います。

【総評】いよいよ最終予想! 第158回芥川賞は誰の手に?

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トヨキ:では、これまでのお話を踏まえて、皆さんは今回どの作品が芥川賞を受賞すると思いますか? 私は『おらおらでひとりいぐも』を推します。物語としての強度というか、何度読んでも色あせないだろうなという力を感じます。

田中:そうですね。私も好きな作品は『ディレイ・エフェクト』ですが、受賞となると『おらおらでひとりいぐも』かなと思います。

五百蔵:物語としての完成度で言うと、僕は『愛が挟み撃ち』の可能性もあると思っています。……ですが、ラストの展開を容認できない選考委員の方もいそうですね。やっぱり作品としての古さは感じさせない一方で、年齢を重ねた人にしか書けない重みのある『おらおらでひとりいぐも』には受賞してほしい。

トヨキ:今回の候補作は、どれも「描ききる」という姿勢が感じられる力作ばかりだと思います。少し前まで、芥川賞候補作というと自らのアイデンティティや自意識といったテーマの作品が主流だった印象があるのですが、近年では“肯定すること”が主流になってきている気がします。

五百蔵:そうですね。過去の世代の出来事やその生き方を踏まえた上で、それを否定せずに自分たちの中にとり込んで、現状をなんとか肯定できないかと奮闘している作品が多いように感じます。真正面から描こう、という気概は素晴らしいですよね。

田中:……では、やはり今回編集部は『おらおらでひとりいぐも』が受賞する、という予想で行きましょうか。前回は残念ながら『星の子』の受賞予想が外れてしまったのですが(笑)、今回こそは! 1月16日の発表が待ちきれないですね。

初出:P+D MAGAZINE(2018/01/14)

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