谷田博幸『国家はいかに「楠木正成」を作ったのか 非常時日本の楠公崇拝』/戦時下メディアミックスの重要な題材
昭和十年の「大楠公六百年記念祭」のタイミングで、菊池寛、直木三十五、大佛次郎、武者小路実篤ら人気作家たちが続々と「太平記」「楠公」をモチーフにした作品を上梓。さらに雑誌の特集や新聞記事なども連動し、国家をあげて集中的に「楠木正成」のメディアミックスが展開された、その背景は……。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
大塚英志【まんが原作者】
国家はいかに「楠木正成」を作ったのか 非常時日本の楠公崇拝
谷田博幸 著
河出書房新社 2900円+税
装丁/松田行正+日向麻梨子
「楠公」メディアミックスの不穏な記憶を喚起する
十五年戦争下はメディアミックスの時代であった、とぼくが自著『大政翼賛会のメディアミックス』でかなり実証的に論じたところで怪訝そうな顔しか返ってこないが、この時代のプロパガンダはただの物量作戦でなく、同一のキャラクター及び世界から短期集中的に複数作家で多メディア展開が特徴である。昭和十五年から十六年の「翼賛一家」であれば、同一のキャラクターと同一の舞台(町内)で全国紙五紙、少なくとも三誌の週刊誌のまんが連載、レコード、演劇、ラジオドラマ、小説など短期集中でリリースがなされた。
本書が扱う楠木正成及び「太平記」もまた戦時下のメディアミックスの重要な題材である。戦時下的な「公」のアイコンとしての「楠公」は満州事変をトリガーに昭和十年の国民的祝祭「大楠公六百年記念祭」を中心に式典などのイベントのみならず、小説に限定しても菊池寛、直木三十五、大佛次郎、武者小路実篤らがこのタイミングで「太平記」「楠公」をモチーフとした作品を上梓する。これに雑誌の特集、新聞連載記事、あるいは様々な記念出版物、ポスターから記念乗車券といったあらゆるツールでの露出が「式典」と連動した。「それは量たるや尋常で」ない「金太郎飴」であった、と著者は言い得て妙だ。そもそも「太平記」は歌舞伎における最もポピュラーな「世界」(今ふうに言えば「世界観」)であり、そこからいくつもの物語が立ち上がる仕掛けとして確立しており、その意味で戦時下のメディアミックスに実に好都合な装置でさえあった。
だが著者が注意するのはかつての「楠公」メディアミックスの復興の兆しであり、その不穏な記憶に注意を喚起すべく本書は昭和十年前後の集中的楠公展開に的を絞っている。著者は歴史学者やメディア研究者でなく美術など視覚表現の研究が専門だが、まんが研究者であるぼくも含め、他領域の研究者が戦時下のメディアミックスを問題にせざるを得ない危機的状況に今あることにこそ読者諸氏は注意を払ってほしい。
(週刊ポスト 2019年8.16/23号より)
初出:P+D MAGAZINE(2020/03/19)