【電子書籍の可能性】異彩を放つ乱歩本-東雅夫の幻妖ブックデジタル(最終回)
人気連載・最終回。東雅夫注目の、異彩を放つ『江戸川乱歩電子全集』を紹介します。その真価には目をみはるものが!電子書籍について、その可能性を再認識したという一作について綴っています。
異彩を放つ乱歩本
この連載も、今回で最終回。
連載1回目と2回目では、「紙の本」の魅力を、ある意味で極限まで追求したというべき、藍峯舎の江戸川乱歩本について言及したが、締めくくりの今回も、異彩を放つ乱歩本を取りあげたいと思う。
ただし今回は、電子書籍サイドから。
小学館から現在刊行中の『江戸川乱歩電子全集』である。
今年は乱歩の没後五十年を経て著作権が消滅。このため各出版社から堰を切ったように乱歩作品の再刊が相次いでいる。
かく申す私も先ごろ、平凡社ライブラリーから『怪談入門 乱歩怪異小品集』を上梓したばかりだ。
同書は、大乱歩による怪奇幻想文学入門ガイドとして定評ある「怪談入門」を中核に据えて、関連エッセイや創作小品を交えて編纂している。
なにしろ各社から、あの手この手で趣向を凝らした再刊が相次ぐばかりか、インターネットの青空文庫では、主要な作品が着々と、無料で読めるようになりつつある。
こうした現状に鑑み、『怪談入門』では、他社の企画にはないスペシャルな趣向を盛り込むことにした。
版元の平凡社からは、昭和六年から七年にかけて〈江戸川乱歩全集〉全十三巻が刊行され、折からの「エロ・グロ・ナンセンス」ブームと相俟って、空前の大ヒットを記録。業績不振に陥っていた同社にとって起死回生の妙薬となったことは、出版史上に名高い。
その平凡社から久方ぶりに刊行される乱歩本ということで、第1部「幻想と怪奇」には「火星の運河」「白昼夢」「押絵と旅する男」という乱歩幻想譚の名品三篇を、全集版そのままの正字旧仮名表記で復刻したのである。
正字体や旧仮名遣いに関しては、ともすれば、「読みにくい」「とっつきにくい」といった理由で、敬遠されることが多いのだが、いざフタを開けてみたらこれが大反響。若い読者諸賢からも歓迎する声が多く、大いに意を強くした次第である。
他にも、第4部「怪奇座談集」に、文豪・佐藤春夫や三島由紀夫らとの座談会を収載したり、乱歩本人が実際に筆を執った翻訳として貴重なケースであるE・A・ポー「赤き死の仮面」の文庫初復刻など、ひと味ちがう趣向満載の一巻を目指してみた。
ところが、である。
こうした編者の試みを嘲笑うかのごとく(?)小学館版『江戸川乱歩電子全集』には、まさに電子書籍ならではの特性を活かした趣向が、これでもかとばかり満載されているのであった。
5月末に刊行された第6巻を例にとろう。
「愛と欲望と幻想の奇譚集」と銘打たれた同巻は、「赤い部屋」「パノラマ島奇談」「陰獣」「芋虫」「孤島の鬼」「押絵と旅する男」「虫」という怪奇幻想作家・乱歩の真価を窺うに足るラインナップとなっている。
そもそも、紙の本では「パノラマ島奇談」「陰獣」「孤島の鬼」という三つの中篇を一巻に収めることは、紙幅の点で難しい。かつてのように細かい活字でびっしり二段組……といったレイアウトが通例であった頃とはちがい、本文の文字サイズも大きめにせざるをえない御時世では、なおさらである。
それが物理的制約を受けない電子版では、作品の長さに拘らず、望みのラインナップが思いのままなのだから、アンソロジストにとってありがたい時代になったものだ。
だが、しかし。
『江戸川乱歩電子全集』の真価は、実はそこだけではないのだ。
巻末に収録されている「おまけ」(=参考資料)の充実ぶりが、ただごとではないのである。「グリコのおまけ」で育った世代にとっては、ハートを鷲づかみされる戦略というほかはない。
第6巻で真っ先に目を惹くのが、「『押絵と旅する男』を巡る旅」と題された特集コーナーである。そこでは、監修役の落合教幸氏による解説に続いて、新潟市の巻郷土資料館に現存する「八百屋お七」の「のぞきからくり」が、からくり舞台の場面ごとの写真も交えて、詳しく紹介されているのである。
『さう云はれたものですから、私は急いでおあしを払つて、覗きの眼鏡を覗いて見ますと、それは八百屋お七の覗きからくりでした。丁度吉祥寺の書院で、お七が吉三にしなだれかかつてゐる絵が出て居りました。忘れもしません。からくり屋の夫婦者は、しわがれ声を合せて、鞭で拍子を取りながら、「膝をつつらついて、目で知らせ」と申す文句を歌つてゐる所でした。アアあの「膝をつつらついて、目で知らせ」といふ変な節廻しが、耳についてゐる様でございます。(江戸川乱歩「押絵と旅する男」より)
「押絵と旅する男」全篇の核心部分ともいうべき「覗きからくり」の現物を、まさか目の当たりにできるとは!
そればかりではない。
乱歩落語を手がけている柳家喬太郎と三遊亭白鳥両氏の愉快な対談あり、乱歩や小酒井不木、国枝史郎、平山蘆江ら耽綺社同人による座談会と、「探偵夢幻劇」と銘打たれた同人合作の脚本「残されたる一人」(演じたのは新派の名優・伊井蓉峰と喜多村緑郎なのだ!)や探偵小説「意外な告白」あり。
さらには、乱歩と不木による合作「屍を」あり。
さらにさらに、「陰獣」の作家・寒川のモデルとされる甲賀三郎に関する同時代のエッセイ、回想記まで……。
いやはや、これらの巻末附録だけで、紙の本なら一冊になりそうな大充実の資料が、これでもかとばかりの椀飯振舞なのであった。
これぞ、われわれ本好き読者が切望する、「電子」ならではの出版企画であるといってよいだろう。
電子書籍が現状でも、ここまでやれるのだということを示した小学館版『江戸川乱歩電子全集』。
その画期的な試みが、後に続く企画のデファクトスタンダードとなることを願いつつ、筆を置く次第である。
東 雅夫(ひがし まさお)
1958年、神奈川県横須賀市生まれ。アンソロジスト、文芸評論家、怪談専門誌「幽」編集顧問。ふるさと怪談トークライブ代表。早稲田大学文学部日本文学科卒。1982年に研究批評誌「幻想文学」を創刊、2003年の終刊まで21年間にわたり編集長を務めた。近年は各種アンソロジーの企画編纂や、幻想文学・ホラーを中心とする批評、怪談研究などの分野で著述・講演活動を展開中。2011年、著書『遠野物語と怪談の時代』(角川学芸出版)で、第64回日本推理作家協会賞を受賞した。
評論家として「ホラー・ジャパネスク」や「800字小説」「怪談文芸」などを提唱。NHKテレビ番組「妖しき文豪怪談」「日本怪談百物語」シリーズ等の企画監修や、「幽」怪談文学賞、「幽」怪談実話コンテスト、ビーケーワン怪談大賞、みちのく怪談コンテストなど各種文学賞の選考委員も務める。著書に『文学の極意は怪談である』(筑摩書房)『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』(学研新書)『百物語の怪談史』(角川ソフィア文庫)ほか、編纂書に『文豪怪談傑作選』(ちくま文庫)『伝奇ノ匣』(学研M文庫)『てのひら怪談』(ポプラ文庫)の各シリーズほかがある。
▶関連リンク
著者公式サイト:幻妖ブックブログ
ツイッター:怪談専門誌「幽」
初出:P+D MAGAZINE(2016/08/10)