【幻想文学とは?】日本における黄金時代について-東雅夫の幻妖ブックデジタル(第7回)
幻想文学の黄金時代を振り返るこの連載。日本において、幻想文学が興隆した時代はいつだったのか?そこには、どんな歴史があるのか?東雅夫が解説します。
幻想文学の黄金時代(日本篇)
欧米諸国で「ゴシック・ロマンス」と呼ばれる長篇伝奇小説が、大いに流行していた十九世紀初頭──徳川幕府による鎖国政策が布かれていた極東の島国でも、海彼のそれに酷似した幻想と怪奇の伝奇小説が興隆しつつあったのは、奇妙な相似現象といわざるをえない。その一端を年表にまとめてみると、下記のようになる。
◆1796年(寛政8年)
曲亭馬琴『高尾船字文』(日)
M・G・ルイス『マンク』(英)
ティーク『金髪のエックベルト』(独)
◆1797年(寛政9年)
アン・ラドクリフ『イタリアの惨劇』(英)
サド『悪徳の栄え』(仏)
◆1798年(寛政10年)
建部綾足『漫遊記』(日)
S・T・コールリッジ『老水夫行』(英)
C・B・ブラウン『ウィーランド』(米)
◆1801年(寛政13年/享和元年)
山東京伝『忠臣水滸伝』後篇(日)
ジャン・パウル『気球乗りジャノッツォ』(独)
◆1802年(享和2年)
本維坊訳『通俗平妖伝』(日)
ノヴァーリス『青い花』(独)
◆1804年(享和4年/文化元年)
曲亭馬琴『月氷奇縁』(日)
山東京伝『優曇華物語』(日)
鶴屋南北『天竺徳兵衛韓噺』初演(日)
ヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』(波)
◆1805年(文化2年)
山東京伝『桜姫全伝曙草紙』(日)
歌舞伎のお家騒動物(伽羅先代萩)の世界に中国の『水滸伝』の世界を綯い交ぜて成った馬琴の読本処女作『高尾船字文』と、破戒僧の悪行に様々な怪異がからむルイスの『マンク』、宿業の恋人たちの運命悲劇であるティークの『金髪のエックベルト』という1796年の取り合わせからして、なんとも絶妙ではなかろうか。
いわゆる文運東漸(文化の中心が関西から関東へ移ったこと)の流れに乗って、当時は「読本」と呼ばれた小説ジャンルの拠点も江戸に移行し、長篇作品が中心となる後期読本の時代が始まる。
その台風の目となったのが、『忠臣水滸伝』(1799)によって江戸読本の開祖となった山東京伝と、畢生の大作『南総里見八犬伝』(1814~42)で今に名高い曲亭馬琴の二大文豪だった。
中国白話小説の影響下に、因果応報・勧善懲悪思想にもとづく、長大で複雑怪奇な伝奇絵巻が繰りひろげられる後期読本の世界には、豪傑と悪漢と美姫、怨霊や精霊、妖術使いや妖魔の類が頻繁に登場して、まさに日本版ゴシック小説の趣がある。
たとえば『八犬伝』における有名な玉梓の怨霊の跳梁や怪猫の化身による悪業、東洋オカルティズムに彩られた世界観(高田衛の名著『八犬伝の世界』を参照)など、その典型といえよう。
ちなみに東西におけるゴシック/読本小説の相似は、こうした時期的な側面ばかりに留まらない。
西欧ゴシック小説が、後世のホラーやファンタジー、ミステリー、SF、伝奇小説からモダンホラーやポストモダン小説に至るまでの母胎もしくは祖型となってきたように、我が読本小説も、近現代の伝奇小説や怪奇小説の源泉となってきたのである。
京伝の『昔話稲妻表紙』から寺山修司の『新釈稲妻草紙』へ、同じく京伝の『桜姫全伝曙草紙』から皆川博子の『妖櫻記』へ、これまた京伝の『復讐奇談安積沼』から京極夏彦の『覘き小平次』へ……といった読本作品の幻想文学的リメイクの試みは申すまでもなく、それこそ三遊亭圓朝や泉鏡花から国枝史郎や横溝正史、小松左京や半村良に至るまで、江戸読本の伝奇世界は、近現代における怪奇幻想文学の一大源流として、見過ごすことのできない影響を及ぼしてゆくのだった。
読本における幻想と怪奇の好例として、ここでは、京伝、馬琴と並ぶ読本作家・柳亭種彦の『浅間嶽面影草紙』(1809)後編から「第四 時鳥の亡霊様々の奇怪をあらはし瞿麦狂死 まぼろしぎぬたの事」の一節を現代語に直して掲げておこう。
奥州の郡司・浅間巴之丞の愛妾である時鳥が、嫉妬に狂った正妻・瞿麦によって惨殺されてから、しばらく後のこと――
さて、翌日の夜は風が烈しく吹きすさび、空は雲に覆われて月も見えず、庭から砧(きぬた)の音(木や石の台に置いた布を槌で打つ音)が聞こえることは昨夜と同様である。あるいは近く、あるいは遠く、「かやかや」と打ち笑う声が聞こえ、家鳴(やなり)もおびただしい。すでに夜も更けて、風は林を倒すがごとく、庭に湛えられた池の水面から、鬼火とともに時鳥の姿が彷彿と現われ出て、怪しや、雲を踏むように天地逆(さかさま)となり、次第次第に瞿麦の寝所に近づけば、侍女(こしもと)たちは「あなや」と恐怖の叫びをあげて打ち倒れ、全身が竦(すく)んで立つこともできない。やがて時鳥は瞿麦の黒髪を手に絡めとり、「今の心地はいかに?」と云いつつ、引っ立てていこうとする。瞿麦は生きた心地もせず、ようやく枕辺に置かれた刀を手にして斬りはらうが、亡霊は一向に怖れる様子もなく、「かやかや」と笑い、「池の水に溺れ、両手を斬り落とされたことに較べたら、こんな責苦は物の数ではない、見ておれ、今に思い知らせてやるぞよ」という声のみが残って、姿は煙のごとく消え失せた。物音がやや静まってから、侍女たちが正気づいて周囲を見まわすと、それらしき物もなく、ただ、鮮血ばかりがぬれぬれと滴り落ちている。明かりを灯して見れば、血染めの足跡が天井にありありと残されているではないか。そこから流れる血汐で行燈の油さえ、ことごとく血と変じ、腥風(なまぐさい風)がサアーッと巻き起こり、物凄き有様はたとえようもない。
出典:『浅間嶽面影草紙 桜姫全伝曙草紙』(絵入文庫刊行会)
天井に血の足形を点々と残しながら、さかさまに髪ふりみだした姿で「かやかや」と笑い声をあげつつ、仇敵の寝所へ迫り来る怨霊……まさに奇趣横溢、どこか頽廃の気も漂う出色の怪異描写ではあるまいか。
現在公開中の映画『貞子vs伽椰子』に登場する二大怨霊のルーツは、案外このあたりに淵源するのかも知れない。
ちなみに、葛飾北斎の弟子・北嵩が描く原本の挿絵は、仰天すべき構図(現代の漫画よろしく、なんと頁をまたいで絵柄が続いてゆくのだ!)で、血の足跡が点々と連なる光景を活写しており、これまた実に魅力的である。
このように後期読本においては、北斎をはじめとする浮世絵師たちが、作家と張り合うかのように挿絵に奇想を凝らし、それが書物としての大きな魅力ともなり、やがて挿絵中心の黄表紙や合巻へとつながってゆくのだった。
『浅間嶽面影草紙』の作者・柳亭種彦は、読本よりもむしろ合巻に本領を発揮した作家とされるが、鏡花などは、京伝や馬琴よりも種彦の読本を贔屓にしていたようで、右に見られるような怪異描写の凄味に接すると、それもなるほどと首肯されるのである。
なお、種彦にはもう一篇、四谷怪談の先駆作となる『近世怪談霜夜星』(1808)という怪談読本があって、こちらは幸いなことに、須永朝彦による現代語訳が国書刊行会から刊行されていることを申し添えておこう。
東 雅夫(ひがし まさお)
1958年、神奈川県横須賀市生まれ。アンソロジスト、文芸評論家、怪談専門誌「幽」編集顧問。ふるさと怪談トークライブ代表。早稲田大学文学部日本文学科卒。1982年に研究批評誌「幻想文学」を創刊、2003年の終刊まで21年間にわたり編集長を務めた。近年は各種アンソロジーの企画編纂や、幻想文学・ホラーを中心とする批評、怪談研究などの分野で著述・講演活動を展開中。2011年、著書『遠野物語と怪談の時代』(角川学芸出版)で、第64回日本推理作家協会賞を受賞した。
評論家として「ホラー・ジャパネスク」や「800字小説」「怪談文芸」などを提唱。NHKテレビ番組「妖しき文豪怪談」「日本怪談百物語」シリーズ等の企画監修や、「幽」怪談文学賞、「幽」怪談実話コンテスト、ビーケーワン怪談大賞、みちのく怪談コンテストなど各種文学賞の選考委員も務める。著書に『文学の極意は怪談である』(筑摩書房)『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』(学研新書)『百物語の怪談史』(角川ソフィア文庫)ほか、編纂書に『文豪怪談傑作選』(ちくま文庫)『伝奇ノ匣』(学研M文庫)『てのひら怪談』(ポプラ文庫)の各シリーズほかがある。
▶関連リンク
著者公式サイト:幻妖ブックブログ
ツイッター:怪談専門誌「幽」
▶過去の記事はこちらから
東雅夫の幻妖ブックデジタル Vol.1:幻想文学×電子書籍の可能性を探る
東雅夫の幻妖ブックデジタル Vol.2:紙と電子の可能性・突き詰めた乱歩本
東雅夫の幻妖ブックデジタル Vol.3:『臣女』から幻想文学の世界へ
東雅夫の幻妖ブックデジタル Vol.4:リファレンス・ブックに始まる幻想文学の茫洋な世界
東雅夫の幻妖ブックデジタル Vol.5:世界最古の幻想文学とは?
東雅夫の幻妖ブックデジタル Vol.6:海外での発展とその黄金時代について
初出:P+D MAGAZINE(2016/07/07)