『臣女』から幻想文学の世界へ -東雅夫の幻妖ブックデジタル

アンソロジストで文芸評論家の東雅夫が幻想文学について紹介。島清恋愛文学賞受賞作『臣女』とは、果たしてどんな作品なのか!?

『臣女』から幻想文学の世界へ──

今年度の「島清恋愛文学賞」に、吉村萬壱の長篇小説『臣女』(徳間書店)が選ばれたというニュースには、思わず快哉を叫んだ。

臣女

同賞は、大正期の大ベストセラー小説『地上』で一世を風靡した島田清次郎の顕彰を目的に、出身地である石川県の旧・美川町が創設、昨年度から金沢学院大学に運営が引き継がれ、候補作を決める推薦委員会には学部生も参加するユニークなシステムを採用している。最終選考委員は、小池真理子、藤田宜永、村山由佳、秋山稔(金沢学院大学長/泉鏡花記念館館長)の四氏である。

なぜ、快哉を叫んだのかというと、この『臣女』、とてもじゃないが、通常の恋愛小説の範疇に収まるような生やさしい作品ではないからだ。

主人公は非常勤講師のかたわら純文学作品を書いている男性。教え子だった妻との二人暮らしだが、ファンと称する女性と不倫関係に陥る。情事から戻った男の眼前で、不倫を知り逆上する妻の身に異変が起きる。

「体長は、既に三メートルを超えているのである。部分的に骨が成長するせいで、体のバランスが酷く崩れている。右の頬骨だけが盛り上がり、右目が圧迫されて人相も変わってきた。皮膚は至る所で肉割れし、紅斑や紫斑が面白いようにあちこちに浮き出すが、組織の増殖が追い着いてやがて目立たなくなる。しかしすぐに新たな肉割れや内出血が現れた。異常な成長には激しい痛みが伴い、市販の痛み止めを飲ませているが殆ど効き目はなかった。米は、一日に七合炊いても追い着かない」(吉村萬壱『臣女』より)

長年連れ添った妻が突如、あたかも巨大化したお岩様のごとき様相を呈するのだから、これは怖い。

しかも妻の巨大化は留まることを知らず、一戸建ての借家の天井に迫る勢い。屋内の移動もままならない妻のために、夫は食事や排泄の世話一切を、ときに糞尿にまみれながら引き受けることになる……。

このような内容の作品を「恋愛文学」の名を冠する賞に選んだ選考委員と学生たちの炯眼に、大拍手をおくりたいと思う。

何故なら本書は、異形を極めた筋立ての彼方に、ほろ苦く哀切にして清冽な「純愛」が透けて見える作品となっているからだ。

とりわけ終盤、進退窮まった二人が海へと逃避行をくりひろげるくだりは圧巻で、「透明感と清潔な風景が印象に残る。恋愛小説に風穴を開けた作品」(小池真理子による選評より)という評価を雄弁に裏づけている。

ネットでの反響を眺めていて興味深かったのは、「これは一体どういったジャンルの小説と呼ぶのだろうか」(「本が好き!」サイト掲載の書評タイトルより)といった戸惑う声が少なくないことだ。

お答えいたしましょう!

これぞまさしく、「幻想文学」というジャンルの小説なのであります。

とはいえ、ひとくちに幻想文学といっても、この分野の作品に不案内な方々には、何とも茫洋として全貌をつかみにくいのも事実だろう。

なにしろ、あの『ハリー・ポッター』みたいな魔法ファンタジーも、貞子で有名な鈴木光司のホラー『リング』も、ざっくり括れば、幻想文学というジャンルに含まれることになるのだから。

ジャンルとしての振れ幅が、やたらと大きいのである。

『臣女』にしても、タイトルの由来となっているのは、フランスの文豪ボードレールの幻想詩集『悪の華』に収められた「巨女」という詩篇なのだが、夫の不貞で妻が異形と化すあたりは、日本的ホラーの大古典『東海道四谷怪談』の流れを汲んでいるようにも思えるし、一方では、カフカの不条理幻想譚『変身』に相通ずる側面もある。

また、巨大化する家族を密かに屋内で養うというシチュエーションは、米国の怪奇小説家ラヴクラフトの名作ホラー『ダンウィッチの怪』を彷彿せしめもする。

『臣女』という傑出した作品の中に、実に多種多様な過去の幻想文学作品の反響が交錯しているのである。

要するに、幻想文学というジャンルは、ファンタジー(=幻想)とホラー(=怪奇)という両極を有する、一種の楕円構造を成しているのだとお考えいただくと、分かりやすいかも知れない。

紀田順一郎と荒俣宏の両御大が1973年に創刊した、日本初の幻想文学専門誌が、いみじくも『幻想と怪奇』と命名されていたのも、それゆえだろう。

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内なる想像力を駆使することで、眼前の現実を超えた世界を追い求めてやまない作家たちの系譜――それこそ文学史の起源にまで溯りうる遠大な作家圏の一方の極に、「怪奇」や「恐怖」へと収斂する流れがあり、もう一方の極に、「幻想」や「驚異」を志向する流れがあって、それら両極のあいだに混沌と醸し出されるグラデーションの何処かに位置づけられるのが、いわゆる幻想文学作品であるという見取図を描くことができるように思う。

……え、なんだか抽象的で、よく分からない!?

よろしい。かくなるうえは次回以降、幻想文学という曖昧模糊としたジャンルの全貌を、できるかぎり分かりやすく、ざっくりと、解説していくことにしようではないか。

(なお、自分が編纂した本で恐縮だが、古今東西の幻想文学の名作を厳選したアンソロジーとして、ちくま文庫版〈日本幻想文学大全〉と〈世界幻想文学大全〉の両シリーズが刊行されているので、御関心ある向きは是非よろしく)

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東雅夫(ひがし・まさお)

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1958年、神奈川県横須賀市生まれ。アンソロジスト、文芸評論家、怪談専門誌「幽」編集顧問。ふるさと怪談トークライブ代表。早稲田大学文学部日本文学科卒。

1982年に研究批評誌「幻想文学」を創刊、2003年の終刊まで21年間にわたり編集長を務めた。近年は各種アンソロジーの企画編纂や、幻想文学・ホラーを中心とする批評、怪談研究などの分野で著述・講演活動を展開中。

2011年、著書『遠野物語と怪談の時代』(角川学芸出版)で、第64回日本推理作家協会賞を受賞した。

評論家として「ホラー・ジャパネスク」や「800字小説」「怪談文芸」などを提唱。NHKテレビ番組「妖しき文豪怪談」「日本怪談百物語」シリーズ等の企画監修や、「幽」怪談文学賞、「幽」怪談実話コンテスト、ビーケーワン怪談大賞、みちのく怪談コンテストなど各種文学賞の選考委員も務める。

著書に『文学の極意は怪談である』(筑摩書房)『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』(学研新書)『百物語の怪談史』(角川ソフィア文庫)ほか、編纂書に『文豪怪談傑作選』(ちくま文庫)『伝奇ノ匣』(学研M文庫)『てのひら怪談』(ポプラ文庫)の各シリーズほかがある。

著者公式サイト「幻妖ブックブログ」

http://blog.livedoor.jp/genyoblog-higashi/

ツイッター http://twitter.com/kwaidan_yoo

 

初出:P+D MAGAZINE(2016/02/19)

『ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集』
『たんぽぽ団地』