◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第10回 前編

◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第10回 前編

ラッコ猟をめぐる先住民とオロシャ人の衝突──
徳内はオロシャ人から三年前の一件を聞くが…

 徳内や大石逸平は、蝦夷地に派遣された幕府役人のなかでも珍しく先住民の智恵や文化を尊重する人物だった。しかし、彼ら二人でさえも、先住民は文字を持たない無知蒙昧(もうまい)な未開人であり、日本人化することが最良の道であると考え疑いもしなかった。だが、東蝦夷地の先住民のなかには、徳内らが考えるよりはるかに賢明で強大な力を持った人物がいた。カムチャッカ半島から千島列島づたいに蝦夷本島におよぶ北方地域は、もとより彼らの海洋王国であり、松前藩を含む和人とも、オロシャ人とも、対等の立場での交易しかないと考え、一方的に力で押さえつけようとする勢力には硬軟あい混ぜての頑強な抵抗を示した。

 安永四年(一七七五)、クナシリの乙名ツキノエは、松前藩から東蝦夷地の交易商場を請け負い交易の独占を図った飛驒屋(ひだや)の商船を襲撃し、翌年から天明元年(一七八一)まで飛驒屋はクナシリでの交易が出来なくなった。その間の、安永七年(一七七八)と翌八年、ツキノエは、オロシャ人を案内してノッカマップ(納加麻布・納沙布半島北岸)とアツケシに渡り、松前藩に通商交渉を申し入れさせた。ツキノエは、クナシリをはじめ東蝦夷地は松前藩の意思のままになる地域ではなく、現にオロシャ人も交易に参入しており、松前藩のお抱え商人ごときが交易場を独占できるものではないと示した。

 このたびの幕府による検分探索にイトコイらが積極的に協力するのも、南下を強めるオロシャ人と頑迷怠惰な松前藩に対して、江戸幕府というもうひとつの勢力が存在することを突き付け、牽制(けんせい)する狙いがあった。日本の江戸から幕府の官吏が検分に来るとの噂は、昨年千島列島づたいに先住民同士の間で広まり、それがオロシャ人にも伝わったらしく、いまだ五月になってもオロシャ船のウルップ島来航はなかった。

 

     三十三
 

 五月五日昼八ツ(午後二時頃)、徳内の乗る舟はエトロフ島の北東、シャルシャムに着いた。ここでも大勢の先住民が浜辺に出迎えた。すでにイトコイが日本人を連れてまもなくやって来ると集落づたいに伝わっていた。

 先住民の群衆のなかに、飛び抜けて背の高い人物がいた。毛織物らしき黒い上ぞりの帽子をかぶり、杖(ステッキ)をつき、羅紗(らしゃ)飾りの縁を付けた革の上着にアザラシ毛皮の股引(ももひき)、羅紗で縁取りのある革製の長靴を履いていた。鼻が高く、大きな目とオランダ人によく似た彫りの深い容貌をしていた。その脇にも同じ形の帽子をかぶって異彩を放った人物が二人いた。

 イトコイが砂浜に莚(むしろ)を敷かせた。徳内が鹿皮の長靴を脱いで莚に上がり、長脇差を右手に置き端座した。イトコイもオロシャ製の革長靴を脱いで徳内の左にすわった。通辞役のフリウエンは徳内の左後方に控えた。

 やって来たオロシャ人三人は、莚の前で帽子を取り徳内に黙礼した。徳内も黙礼を返し、手のひらで目の前の莚へすわるよう示した。三人とも赤茶の長い髪と明るい茶色の目をしていた。

 オロシャ語を解する者はその場におらず、徳内の言葉をフリウエンがアイヌ語に訳した。オロシャ人もアイヌ語を少し話せた。

 頭格の大男は、名をイジュヨといい、イルクツコイ(イルクーツク)の生まれだという。もう一人はサスノスコイという名でオホツコイ(オホーツク)の生まれ、三人目の者はニケタというイジュヨの従者だった。徳内も名を告げ、江戸幕府から蝦夷地検分に遣わされた者であることを伝えた。三人は挨拶を済ますと宿舎へ帰った。

 夕刻、徳内はイトコイとマウデカアイノの家に行った。切り妻の板葺(いたぶ)き屋根で、それまで見た先住民の家で最も大きな平屋造りをなしていた。高床にした大きな倉が右手に、左手には広い干し台が設けられてあった。ナイボ村でハウシビから聞いたとおり、前庭にはキリスト教の十字架らしきものが立てられていた。それにはオランダ文字に似たものが書き込まれてあった。

 真ん中に炉が切ってある広間を抜け、奥居間の左隅にマウデカアイノが座し、下座にあたる位置の左手にイトコイが着いた。下僕が切り口上を述べると、二人はおもむろに立ち上がって中央の位置まで歩み寄り、お互いの額をくっつけ、お互いに相手の左右の耳をつかんで涙を流した。

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飯嶋和一(いいじま・かずいち)

1952年山形県生まれ。83年「プロミスト・ランド」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。88年『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞、2008年『出星前夜』で大佛次郎賞、15年『狗賓童子の島』で司馬遼󠄁太郎賞を受賞。18年刊行の最新作『星夜航行』は、第12回舟橋聖一賞を受賞。

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