文学女子の金沢さんぽ【第5回】徳田秋声という境地! 悲しみを悲しまなくても悲しくて。
【悲しみを悲しまなくても悲しくて】
姉の葬式を終えた後、秋声は近所にある兄の家で食事に招かれ泊めてもらっています。姉の家と同様にこの建物も現在まで残されていて、旅館かつカフェとして沢山の方が訪れています。内部も当時の雰囲気を大切に改装されています。
旅館の名前は「町の踊場」
金沢には、もっとも高貴な客間は群青色の壁にするという江戸時代からの風習がある。
蔵は改装されてカフェに。宿泊客でなくても利用でき、気軽に秋聲の世界観を楽しめる。
兄の家で晩餐のもてなしを受ける秋声は、その時の様子をこう書いています。
“兄は精進料理なので、この晩餐の
団欒 には加わらなかった。嬉しそうに、時々顔を出した。“(同書より)
本来であれば、弟の秋声も精進料理を食べるはず。いえいえあなたもですよ、と言いたいところですが、秋声はしれっとしています。精進料理は、食べたい人だけが食べればいいという考えなのでしょうか。
さらに、夕飯を頂いたあと「何かしら行動が取りたくなって来た」秋声は、踊場へ出かけます。そして、ダンスホールでダンスや会話を楽しみ心地よく疲労した後に「甘い眠りに
姉の通夜に1人だけ鮎を食べに出かける秋声。そして葬式の後に、精進料理を食べる兄を尻目に晩餐に預かり、さらに踊りに行った秋声。踊り疲れて、ああすっきりした、と晴れやかな気持ちで眠りに就く秋声。
この振る舞いを、不謹慎だと言ってしまって良いのでしょうか。
「遺族らしさ」という言葉があります。
例えば何かの事件に巻き込まれ遺族となった方に対し、「残された家族であれば、このように悲しむべきだ」と、世間が「適切な」振る舞いを求めるのです。
気づけば、私が『町の踊り場』で知らず探していたのも、この「遺族らしさ」だったように思います。姉を亡くした主人公(秋声)の物語であれば、悲しみを主軸に書かれたものであるはずだと仮説を立てたのですが、この前提を見直す必要がありそうです。
ヒントとなりそうなのが、秋声が牽引した文学運動「自然主義文学」です。
自然主義文学は19世紀後半にフランスを中心に興ったもので、「現実と人間をあるがままに描く」という思想のもと成長し、日本にも紹介されます。
その後日本では独自の発展を見せ「現実の醜悪な部分をとりあげる」ことを目指す文学として解釈されるようになりました。担い手としては、秋声の他に、島崎藤村や田山花袋、正宗白鳥などが上げられます。
秋声は自然主義文学の代表的な人物で、誇張や感傷を交えず客観的な描写をすることに優れた作家であったと言われています。
確かに『町の踊り場』でも、「姉が亡くなった」というテーマに対して、「悲しい」または「悲しくない」といった解釈は加えられていません。物語というにはあまりに作者の思惑が感じられない作品です。感情移入しづらいとも言えます。
しかし、秋声のように、自らの書く物語に対して、自分なりの解釈を加えることなく、あくまで客観的に構成していくというのは、実はかなり難易度の高い手法です。