◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第2話 Treasure hunting〈後編〉
遅刻してきた彼女は友人の大学時代の同級生で、今は有名なデパートに勤めていると言っていた。松下は手にした腕時計をじっと見つめると、ものの数秒後に「こんな高級時計、初めて持つから、なんか緊張しちゃう」と言って男に返した。その後、合コンはその男と男に興味のある二人だけが盛り上がり、他の者たちはこれといった成果もなさそうな感じで終わりを迎えることとなった。帰り支度をするため鈴木が化粧室に立つと、松下が鏡の前にいた。
横並びで一番離れた席にお互い座っていたために、ほとんど話せていなかった。鈴木が会釈すると「あれ、偽物ですよ」と、松下がさらりと言った。
「私、正規代理店の社員なんです。今はデパート内の店舗勤務なので、デパートに勤めているというのはあながち嘘ではないです」
松下はデパート勤務と言っていたが、実際はフランクミュラーの日本代理店の社員だった。
「優遇してくれって言いそうな人がいるときは、勤務先を言わないようにしています」
意味ありげな微笑みを浮かべた松下に、鈴木も思わず微笑み返す。その直後、「鈴木さんって、もしかして税関さんですか?」と訊ねられた。
遅刻してきた松下は、尊大な男の取り仕切りによる簡略化されたメンバー紹介しか聞いていなかった。鈴木の紹介は、公務員の鈴木さんだけだった。だが松下は鈴木の職場を当てた。ずばりと言い当てられて鈴木は「ええ」と応えた。
「あの見方をするのは販売に携わる人ですもの。でも公務員さんだと伺ったので、だとしたら税関だなって」
ブランド各社はコピー商品を見分けるために税関に正規品の資料を提供している。けっこうしっかり見たのに鈴木は違いが分からなかった。どこだったのかと訊ねると、松下はにこやかに「重さと竜頭(りゅうず)の手触りが違ってました。正規品を日常的に取り扱っていなかったらまず分からないくらい、かなり出来の良いコピーです」と答えた。
コピー商品のクオリティが日々向上しているのは、仕事柄、体感しているだけに、鈴木は溜め息を吐いてしまった。
「限定の新商品が三カ月後にリリースされるので、また社から送らせていただくと思います」と言う松下に、鈴木が連絡先の交換を申し出ると、彼女は快く承諾してくれた──。
「今ではフランクミュラーが出たら、鈴木さん呼んでーって、なりますもんね」
「私は、松下さんに問いあわせているだけ。カワウソみたいに自分が知識持っているわけじゃないから」
さらりと謙遜した鈴木が、家畜防疫官の川相(かわい)の名を出した。
「あ、カワウソっていうのは」
「家畜防疫官の川相君」
説明しようとする森本に先んじて槌田は答えた。「カメの摘発のとき、一緒でしたものね」と、鈴木が補足する。
「カワウソはガチ勢だものね。──でも、警察も同じでしょう? テレビの警察特集番組で職務質問の的中率って言うの? すごい人が出てますよね」
お菓子を頬張りながら桜田が話の矛先を槌田に変えた。
「あれはテレビだから。摘発率で言ったらそんなに高くないよ。中にはそういう人もいるかもしれないけれど、少なくとも俺はそこまでじゃないな」
不正な薬物を使用していそうかどうかくらいには嗅覚は働く。あとはこちらが警察官だと気づいて挙動不審になった者を追及して、その結果、何か罪を犯していると分かるケースが多いと説明した。
「でも嘘とか、やっぱり気づきますよね?」
「まぁ、それは」と、同意する。
「たぶんそれもあると思うんですけれど、税関ってけっこう職場結婚多いんですよ」
「それ言ってるの、あんただけだって。単純に仕事の時間帯とか転勤とかで、出会いが少ないのと時間合わせるのが大変だからだよ」
「えー、絶対に理由の一つだよ。あたしはこの説、譲らないから。警察官もそうじゃないですか?」
唇を尖らせて桜田は森本に言い返すと、再び訊ねた。
「そんなこともないと思うけれど」
俺も、と続けようとして槌田は言葉を飲み込んだ。この話はあまり広げたくない。そこで話題を変えることにした。職場結婚が多いのなら、それこそ英はモテるだろう。そこをきっかけに、未だに謎の多い英の人物像を聞いてみたい。
「それなら、英さんはモテモテなんだろうな」
すぐさま何か返ってくると思いきや、返事はなかった。
「見た目も良いし、人柄も良さそうだし、仕事も出来るし」
促すために言葉を重ねたが、それでも誰も口を開かない。それどころか、桜田と森本の二人は意味ありげに顔を見合わせている。
「エイメイさんは、難有り物件だから」
鈴木がぽつりと言った。交際相手として難が有る。一般的に考えれば、金、人間関係、趣味あたりだろう。人間性という可能性もある。仕事を離れたところでの英の本質は、まったく違うのかもしれない。だが、と脳内で反論する。まだ数日だがけっこうな時間をともにした。二面性があるのなら、多少なりとも気づくはずだ。警察官としての自負から、槌田はそう思う。難とは何だろうと再び槌田が考え始めたそのとき、ドアのノックの音に続いて「英です」と声が聞こえた。「すみません、ちょっと電話が長引いてしまって」
本人不在の場で噂話をしていた気まずさから、四人とも黙り込んでしまう。察しの良い英のことだ、自分が話題になっていたことには気づくだろう。どうしようかと槌田が考えていると、「さてと、書類仕事しなくっちゃ」と、鈴木が立ち上がった。桜田と森本もそそくさと「それでは、お先に」と挨拶して後に続く。英はそれに応えてから、食べかけの牛丼を食べ始める。そして槌田は英と二人、室内に取り残された。
あからさまな状況に槌田は腹をくくった。
「英さんってモテるでしょうって、聞いていたんだ」
顔を上げた英が一度瞬きした。
「税関は職場結婚がけっこう多いって話が出たから、英さんはモテるだろうなと思ったもので。その答えを聞く前に戻って来て」
答えていないのは事実だ。三人は肯定も否定もしなかった。出て来たのは鈴木の「エイメイさんは、難有り物件だから」という謎の言葉だけだ。
「いえ、そんなことないですよ」
あっさりと英は否定して、また食べ始めた。会話が止まり、室内が静まりかえる。他にすることもなく、槌田は桜田から貰った菓子の袋を破る。けっこう固そうなクッキーだった。口に放り込んで咀嚼する。ボリボリとクッキーをかみ砕く音がやたらと大きく聞こえる。
「槌田さんこそ、モテるでしょう」
あっという間に牛丼を食べ終えた英に問われて、槌田は慌てて口の中のクッキーを飲み込んだ。
「実は、すでに本関の同僚から探りを入れられてましてね」
女性職員たちから、槌田を飲み会に誘いたいので間に入ってくれとアプローチされているのだと英が言う。
「同僚の私が言うのもなんですが、素敵な女性ばかりですよ」
どうですか? と問われて、槌田は答えに詰まる。単なる同僚の親睦会ならさておき、個人的に興味があると言われても、まったく気持ちが動かない。
「いや、俺は」
断ろうとして槌田は気づいた。自己紹介ではあまり個人的な話はしたくなかったので、ただ独身だとだけ伝えていた。話したのは、それまでの仕事のことのみだ。そんな槌田を慮って、英もあえて自分の話をしないのかもしれない。これから二年間、同じ職場で同僚として過ごすのだ。いずれは伝えるときが来るだろう。ならば今でもいいはずだ。
「実は、離婚していて」
食べ終えたあとのゴミをまとめていた英の手が止まった。
「娘も一人いて、小学二年生です。申し訳ないけれど、まだそういう気持ちにはなれなくて」