◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第2話 Treasure hunting〈後編〉

◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第2話 Treasure hunting〈後編〉

旅具検査が山場を迎える22、23時台に備え、槌田たちは飲食店街へ。

「分かります」

 ぽつりと英が呟いた。分かります、ということは、英も離婚しているのだろうか?

「良かれと思って、前に進めと言う人もいますが、そう簡単に思いは変えられないですよね」

 槌田にではなく、自分に言い聞かせるように英が言う。決まりだと確信する。一つ共通点が見つかった。それも経験者にしか分からない重厚な一点だ。さらに気づいた。鈴木が言っていた「今日」も、それに関連しているのかもしれない。良くも悪くも思い出の数だけ記念日はある。今日という日に何かしらの痛みを抱えているのかもしれない。同じ気持ちを何度も味わっている槌田は一気に同情した。それどころか、もはや同志だとすら思う。

「申し訳ないが、断ってくれないか? 理由は伝えて構わないから」

「OKです」

 そう答えた英の声と表情からも、それまでとは違う親しみがあるように槌田は感じた。

 

 午後九時五十五分になった。事務室から旅具部門第一班の職員たちが続々と税関エリアに向かう。さらに機動班もあとに続く。機動班は当番以外の二班から数名ずつ順番に担当しているが、基本的に応援要請されてから税関エリアに入っている。だが今は最初から同行している。

「二十二時、二十三時台は、毎日山場です」

 今回も訊ねる前に英が答える。

 十時台の到着便は、零分ソウル、五分台北、十五分ソウル、クアラルンプール、三十分クアラルンプール、四十分ドーハ、四十五分ドバイ、五十分ソウルの全八便だと、槌田は事前に確認していた。十一時台は知らないが、そんなに差はないだろう。確かに多いとは思うが、到着便の数の多さで言えば、午後二時から六時の間も変わらない。だが英は山場だと言った。

「モノレールや電車がまだ稼働している時間なので、急いでいる客が多いんですよ」

 訊く前に英が答える。

「京急、モノレールとも零時台が最終ですが、その先がありますから」

 モノレールや京浜急行の駅が目的地ならば最終列車に間に合えば問題ない。けれど当然だが最終目的地はそれぞれ違う。乗り継ぎがある者は、そちらの最終にも間に合わなくてはならない。

「飛行機の到着時刻は、天候はもちろん様々な理由で定刻通りにはいきません。遅れた場合、これが一時間単位だと客も諦めますが、電車に間に合うか間に合わないかのような遅れのときが大変で」

 何をどうしても間に合わないほど遅れていれば、諦めるしかない。走れば間に合うかもしれないような微妙な状況の場合、成否を左右するのは税関検査となる。やましいところは何もない客からしたら、さっさと検査を終えたいだろう。けれどもちろん検査は通常通り行う。それに怒りを募らせる客がすくなからずいるだろうことは、もう想像に難くない。

「そのどさくさに乗じる、最終狙いも多いです」

「最終狙いですか」

 なるほど上手いことを言うと槌田は繰り返す。警察にも内部にしか通じない隠語があるが、税関にもあるようだ。

「それに十五分のクアラルンプールはアニマル便ですし」

 摘発されたカメが過ぎる。ジャカルタ便だったが、そのときはアニマル便という言葉は出てこなかった。

「アニマル便は月曜到着のタイからの便の総称です。タイでは日曜に動物売買をする市場が開かれます」

「買った客が乗っている」

「そうです。このクアラルンプール便はバンコクを経由しているので」

「だからアニマル便」

「ええ。密輸や脱税に備えて、増員体制で検査に当たっています」

 納得した槌田は「他にもそういうのはあるのか?」と訊ねる。

「他ですか?」

 英が思案する。すぐさま出てこないということはないのだろうと槌田は察する。

「他はない──、んじゃないかな」

 思った通りだった。

「日本以外でも名前が付けられている便ってあるのかな」

 なんとなく思ったことを口に出すと「ありますよ」と、すぐさま英が返した。

「少し前の話になりますが。ロサンゼルス空港の月曜着の中国便はコウノトリ便って呼ばれてました」

 コウノトリから連想出来たのは赤ん坊だ。だが要注意になる理由が判らない。

「当時、中国から養子を迎え入れる人が多くて。正規の手続きを踏んでいれば問題ないですが、そうではないケースも多かったそうで」

 人身売買だと槌田は気づく。コウノトリ便などとイメージの良さそうな呼び方とは正反対のことが行われていたのだ。

「摘発を重ねたのと、ブームが下火になったこともあって、今では呼ばれていないらしいですが」

 養子にブームという言葉自体そぐわないと思うが、今はなくなっているのなら良かったと槌田は思う。

「では、私たちも行きましょうか」

 英の声に槌田は二つ返事で立ち上がった。

 万全を期したものの、密輸も脱税も違反者はいなかった。検疫に引っかかる者は一便に一人二人は必ずいて、そのたびに検疫カウンターに連れて行かれ、一悶着起こしてから没収されていた。アニマル便ことクアラルンプール便、さらに定刻よりも早く着いたドーハ便まで違反者はいなかった。

「順調だな」

 十九時台のとき、密輸や脱税の違反者がいなかったことに槌田はつまらなさを覚えていた。今はそうは思わない。違反者はいない方が良い。

「遅れもないですし、今日はスムーズです。あと二便ですね」

「要注意は最後のソウル便?」

「ええ、マークするのは荷物の多さに限らず、とにかくやたらと急いでいる客です」

 ドバイ便到着のアナウンスが聞こえる。じきに入国審査エリアに旅客が現れるだろう。それまで楽な姿勢で雑談をしていた検査ブース内の検査官たちが姿勢を正した。入国審査を終えた第一陣が現れた。最初に姿を見せたのは白人の老夫婦だった。まだ荷物が届いておらず、コンベアーの前で待っている。これだけ早く税関エリアに来たということは、エコノミーではなくファーストやビジネスの利用客だ。そのあとも、続々と客がコンベアーに集まり出す。ごとんと音がしてコンベアーが動き出した。荷物を載せてから税関エリア内まではかなりの距離がある。しばらくは空のコンベアーがただ回っているだけだ。やがて赤いスーツケースを筆頭に次々に荷物が流れてきた。荷物もまた客と同様ファーストやビジネス客の物から流れてくる。

 今日一日、税関検査に立ち会って、槌田もコツを掴んできた。まず人を見る。次が引っかかった者の荷物だ。コンベアーの周囲に人が増えてきた。今のところ、気に掛かる人物はいない。英はどうだろうとちらりと視線だけで隣を探る。コンベアー周辺に集まってくる者全般に目を向けている。まだ気になる者はいないらしい。自分の荷物を手にした客が検査ブースに近づいて来る。旅具検査官は粛々と検査を進めていく。問題なく検査を終えた客たちは、次々に自動ドアから出て行った。

 今のところ何もなさそうだ。このまま何事もないと良いと思う槌田の目に、一人の男が飛び込んできた。シャツにパンツ、足下はスニーカーと軽装のアジア人男性だ。機内持ち込みのキャリーケースを引き、コンベアーには立ち寄らずにまっすぐこちらに向かってくる。やがて検査ブースの順番待ちの列の後尾に列び、見えなくなった。また他の客へと槌田は目を移す。コンベアーを流れてくる荷物に、あからさまに疑念を感じるような大きな物はない。検査はスムーズに進んでいる。応援要請もなければ、検査室に案内される者もいない。これが当然のことだが、素晴らしいと槌田は思う。気づけば、さきほどの男性が待機列の先頭にいた。染めているらしく髪の色は明るい。日に焼けた手首には大きな腕時計が巻かれていて、引いているキャリーケースはルイ・ヴィトンだ。こうなると、槌田が分からないだけで、衣服や靴もすべて金の掛かったブランド品なのかもしれない。

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日明 恩(たちもり・めぐみ)

神奈川県生まれ。日本女子大学卒業。2002年『それでも、警官は微笑う』で第25回メフィスト賞を受賞しデビュー。他の著書に『そして、警官は奔る』『埋み火  Fire’s Out』『ギフト』『ロード&ゴー』『優しい水』『ゆえに、警官は見護る』など。

◎編集者コラム◎ 『私はスカーレット Ⅰ』林 真理子
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