芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第29回】小説の魅力はセリフに尽きる

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第29回目はつかこうへいの『蒲田行進曲』について。戯曲を著者自身が小説化した作品について解説します。

【今回の作品】
つかこうへい『蒲田行進曲』 戯曲を著者自身が小説化した作品

戯曲を著者自身が小説化した作品、つかこうへい『蒲田行進曲』について

ぼくが芥川賞をもらった時は、二十九歳で、それまでは小さな広告代理店のディレクターをしていました。仕事はものすごく忙しかったのですが、まあ、それなりに充実した日々でした。それでも、小説家になりたいという夢というか、野心があったものですから、会社の仕事を属託という形にしてもらって、月の半分くらいは執筆の時間をとれるようにしました。そして、この一作でプロになるという、念力みたいなもので書いた作品で、運良くプロの作家になることができたのです。

プロになるという決意はあったのですが、プロの作家というのがどういうものなのか、よくわかっていませんでした。ああ、これがプロの作家なのだなと実感したのは、受賞の直後に、対談の仕事が来た時でした。プロの作家というのは原稿を書くだけでなく、講演したり、座談会に出席したり、そういった文化人としての仕事をこなさなければならないのです。その最初の対談の相手が、つかこうへいさんでした。

つかさんが直木賞を受賞するのは数年後のことなのですが、すでにつかさんは有名人でした。劇団を主宰し、ヒット作を連発していましたし、戯曲を小説にした『小説熱海殺人事件』もベストセラーになっていました。そういう有名な人と対談するというのは、もちろんぼくにとっては初めての経験でしたから、少し緊張していたと思います。

小説らしさよりも芝居の雰囲気を活かす

でも対談はうまくいきました。ぼくの話に応じるつかさんの呼吸がとてもいいのです。対談というのは即興の漫才みたいなものですが、つかさんの芝居も、漫才の延長みたいなものですから、即興で次々に言葉が返ってくるのです。つかさんは繊細で、相手の心の中を読むのもうまく、話術の巧みな人です。相手をしていると、こちらもごく自然に話ができるのです。最初の対談の相手がつかさんでラッキーだったと思います。その後も対談の機会があると、つかさんの話術を思い出して、相手が話しやすいようにということを心がけるようになりました。

つかさんの芝居も、小説も、会話が中心です。まったく違う考えをもった人間が出会い、舞台上で衝突する。つかさんの芝居はいつも、幕開けの直後からスリリングに展開します。直木賞を受賞した『蒲田行進曲』は、売れっ子の男優と、付け人のようなことをしている売れない役者、それにその付け人に押しつけられた女、という三人の人物が登場します。三人が三様の思惑をもっていて、それが激しいセリフのやりとりになって展開されるのですが、三人の思惑が微妙に対立していながら、破局に到ることはなく、微妙な関係が最後まで続いていくのですね。その危ういバランスが、芝居をおもしろくしているのですが、小説はその芝居の雰囲気をそっくり取り込んでいます。

映画や芝居の内容を小説に改編することを「ノベライズ」と言います。シナリオや戯曲の作者とは別の書き手が小説にすることも多いのですが、つかさんの場合は本人がノベライズしているのですね。戯曲のセリフにあまり手を加えずに、芝居の雰囲気をそのまま小説に活かしているところが、つかさんの小説を独特のものにしています。

いきなり話の核心に入り、緊張感を持続する

大学のぼくの教室にも、毎年、シナリオ志望の学生が何人かいます。若い人はまずテレビドラマを見ることで、ドラマというものに触れることが多いので、テレビのクセみたいなものがぬけません。テレビって、会話がゆるいのですね。いきなりストーリーを始めずに、状況設定をまず見せるような場合、どうでもいい無駄な会話から、少しずつ見ている人を作品の世界に引き込もうとすることがあります。テレビですと、背後の風景が見えたり、出演しているタレントの顔が見えたりしますから、それで自然と状況設定がわかるということになるのですが、小説の場合は、風景も人物の顔も、作者が描写して読者に伝えなければなりません。描写の技術がなくて、ただセリフだけが続いてしまうと、何だか間延びのした、かったるい出だしになってしまいます。

つかさんの戯曲は、冒頭から登場人物が衝突します。芝居って、そういうものですね。テレビの前の人は、退屈な導入部があれば、新聞を読んだり、お茶を飲んだりして間をもたせることができますが、劇場にいる人は舞台を見るしかありません。だから、お客さんを退屈させてはいけないのです。いきなり話の核心に入り、人物相互間の緊張を極限まで高めてから、最後までその緊張感を持続させる。そういうドラマの作り方が、つかさんのノベライズにもそのまま活かされています。初めからテンションが高いのです。それは小説としては異様な眺めですし、これって小説なのかと思うこともあるのですが、とにかく読者はスリルを感じながら、最後まで一気に読んでしまいます。

こういう小説の書き方もあるのだなという意味では、参考になる作品だと思います。つかさん以後、戯曲作家が小説を書くというのが、流行のようになりました。編集者というものはつねに新たな才能を捜しているものなのですが、いい芝居を書く作家に小説を書かせるというのが、手っ取り早い方法だと安易に考えられているのかもしれません。そういうケースが、あまり成功しないのは、芝居では才能を発揮する作家が、小説を書こうとすると、小説というスタイルを気にして、小説らしい作品を書こうとしてしまうからではないかとぼくは思います。つかさんの小説は、ほとんど戯曲そのままという感じで、そこがユニークで、小説としても成功しているのではないかと思います。とにかくセリフが楽しいのです。つかさんの小説を読むと、小説の魅力はセリフに尽きるといってもいいのではないかという気がします。

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初出:P+D MAGAZINE(2017/10/12)

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